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何で病気になったのか、なんて

「別に望んでいた訳ではないけど、必要だった」


新学期。1週目はプチ過呼吸とプチパニックを何度も起こした。2週目は何故か急に落ち着いて、束の間の平和を味わった。うん、本当に束の間だったな。現在3週目。息苦しさと眠気で悶絶している。授業中起きていられない…息が苦しいからといって頓服薬を飲むと強烈に眠くなる。かなり困っている。

調子が悪い時って2種類ある気がする。UPな時とDOWNな時。どっちにしろ辛いが。1週目がUPだとしたら今はDOWNだ。

そんなDOWNな気分と体調の中でも、書き記しておきたいことがあったので、スマホをぽちぽちとしている。

先生(と呼べる人)に「私にとって病気って必要なものだったんです」と言ったことがある。先生は非常に納得した…「腑に落ちた」顔をされていたのが印象的だった。

別に「病気があるからこそ今の自分がある。感謝。」とか言いたい訳ではない。私はそう言う考えを好むタイプではない。

病気なんてするもんじゃない。

診断名がつく前は「診断名がつけばわかってくれる人がいるかもしれない、もっと酷い目に遭っていれば慰めてくれる人がいるかもしれない」という考えに囚われて、自分で自分の首を絞めていた。この考えが決して良いものではないこと、口に出せば他者を傷つける可能性があることも十分わかっていて、でもそこに希望を見出す他なくて、自己嫌悪。この繰り返しだった。

だけど、いざ診断名がついてみて、症状が悪化していくにつれて感じるのは「あ、これも地獄だ」ということ。まぁ当然なんだけど。息が苦しい。思考が強制的に「あれ」に向けられる。もう何も思い出したくない。何も考えたくない。どんなに願っても叶わない。

どうしてこんなに辛い思いをしなければならないのだろう、とも考えなくなってしまった。「そういう人生なんですよ、きっと」と笑顔を浮かべるしかできない。

とは言え、不思議と自分の人生に意味を見出したくなる時がある。

聞くところによると、私の病気というのは「処理しきれない苦痛を感じた時に、一時的にそれを感じないようにする」事により起こるらしい。

「私にとって病気って必要なものだったんです」と先生に言ったのはその事についてだ。

あの時、あの辛い言葉をそのまま受け止めたら、私は生きていられなかっただろう。だから、記憶を凍り付かせる事にした。もう何も思い出さなくても良いように。それでは如何にもならなくなってしまったから、後々になって結局記憶を解凍しなければならなかったのだけれど。

病気と名がつくからには、私の状態は異常なのだろう。まぁ正常だとも思わない。あの日々で、きっと私の脳と身体は「異常」になることを選択したのだ。自分を守るために。

それって、ある意味「正常」じゃない?

歪まなければ、自分を守れなかったのなら、歪むのは当然のことだ。

そう言えば、今日、久しぶりにインナーチャイルドなる存在と再開した。しばらく姿が見えなかったから、どこに行ったのだろうと思っていた。薄暗いゴミ捨て場のような部屋の隅っこで、うずくまって泣いていた。今もそこで泣いている。

自分を限界まで歪ませることで、見ないようにしていた自分の姿かもしれない。やっと会えたのなら、意味があるのかもしれない。

…久しぶり。

…抱っこしてもいいかな?

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