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電子の海のあわいで


「Z世代はSNS世代、悪口を言わない」という評を見たがそんなことはない。Z世代ど真ん中のSNSに居るが、悪口、陰口、晒しの応酬はどこでも見る。

では何がきらわれるのか、というと、説教はきらわれる。正論や正鵠はきらわれる。また、過度なクレクレやでもでもだって、依存者(利益が何もない場合)、うわべだけのきれいごとはきらわれる。

とは言え、上べだけのきれいごとでも、説教でも、エモいもの(と、彼等が言うところの)は、ある種の歓待を受ける。ぼくはそれが大っ嫌いだ。地に足つけたことは何も言っていないからだ。

要するにどこへ行こうが世代が変わろうが、言うものは言うし村八分や花一匁は変わらずあるわけで、そういうところは民族性なのか、親を見てそうなったのか知らないが変わらない。正しいことは疎まれ、うざいことは退かされ、目先の利益だけが採られる。

だがコトナカレ主義はSNSになってからヒステリックに強くなった気がする。
それがガーガー怒鳴り散らすクレーマーであろうと、選挙広報のように正しいことを宣伝してまわるものであろうと、「関わると厄介だ」と判断するとそれが善でも悪でも避けて通る。

それはSNSに限ったことではないのかもしれないけど。

であればとうにこの国の大義など死んでいるのだ。
選挙に行かないわけだ。
今が良ければよくて、国がどうなろうと知ったこっちゃない。という考えは、いずれ大きなツケを払うことになると思うんだけど。

便利になり過ぎて、みんないき場所を失ってしまった。
たまにはケータイを持たないで生活してみたらいいと思う。そんなに不自由な思いはしない。

電子の海のマトリクスが皆を縛っている。

という気がしてならないのだ。



シキウタヨシ

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