見出し画像

ゆっくり生きたい、たくさん歩きたい

徒然。

この前の3/20(木)春分の日の3連休(仕事っぽく曜日まで正確に書きたくなってしまう)、仲の良い会社の同期女子3人旅で、博多・熊本の黒川温泉に旅行に行った。(コロナに対する危機意識が低かったことは認めざるを得ず、反省している。)この記事を書きながら聞いている音楽は、ボン・イヴェールのBlood Bank、初めて聴く。

まず1日目、朝に新しい駒沢寮を出て羽田空港へ。の前に少し。同期女子2名とはとても仲が良く、夫々との1対1での関係も、3人でも関係もとても好きだ。この2人がいたから、一緒に時間を過ごし、(直接の業務上の関わりは無いとはいえ)日々苦楽を共にしたから、私はここで生きていると心から思う。名字の頭文字をとってA氏・U氏としたい。いつも本当にありがとう。そしてこの旅、私の送別旅行である予定であった。4月前半にシンガポールに転勤することが1月後半に決まり、この旅を企画したんだったけど、コロナの影響で一旦延期になってる。

1日目、羽田空港からANAで博多へ。1時間50分の予定だったフライト、予定よりも更に短い時間で博多に到着。初めて日本で国内線の飛行機に乗った(1月のトルコ旅行で国内線デビューはした)。往復5万3千円。高い。家族みんなでご実家に帰省、学生が帰省、こういうときってこんな大金を皆さん払われてるんですね、びっくり。値段よりなにより、早い。キラキラ号で新宿から金沢まで7時間かかり、片道7,000円に苦労していた私(学生時代)とは世界が違った。

移動時間が短すぎたから?博多、博多感は無い。PARCO、丸井。入っているお店はさすがに少し毛色が違う。全然綺麗ではないホテル1泊7,000円(最近金欠ぎみで一々浪費が気になる)にチェックイン後、ランチは丸井の中のもつ鍋や。おいしかった。東京でも食べれる、て思っちゃう。自分に言い聞かせる、「東京でも出来ることを、わざわざ本場でやる贅沢!!」。但し昼からもつ鍋にビールは最高である。その後は適当にぷらぷら歩いて天神まで→天神でパフェ食べる(一応イチゴ有名だし)→やることなくて下着みる、1セット購入→「かつえ」という水炊きやでディナー、1日目完。

この旅では、村上春樹の紀行文集『ラオスにいったい何があるというんですか?』を携行。シンガポール転勤、日本を離れて海外に1人、という孤独をネガティブに想像し始めてしまってた頃、いろいろな土地に行くこと、海外に行くこと、新しいものに触れることに対する楽しさを私の心に…!と思って買った本。期待通り楽しみな気持ちは大分醸成されました。転勤は延期になったけど。村上春樹氏によると、アイスランドには対人口画家数が多い国だそうで、「受信的な情報発信が中心になってい動いている日本からやってくると、こういう発信的情報に満ちている国はとても新鮮に見えるし、同時にまたちょっと不思議にも見える」。そしてテレワークによる自由時間増大。初めての情報発信(発信はしてないけど、少なくともアウトプットはしてる)。

思い浮かんだ順に書いてて順番がぐちゃぐちゃ。Day2、まず朝パフェ。2,500円?のあまおう苺パフェ。あまおう苺の値段を考えるとコスパ〇、朝パフェも好きだ。「パフェガチ勢」がカウンターに何名かいた。ふらふら歩いて、すぐにお昼ごはんはごまさば。隣のテーブルの人がイケメンだった。小顔、肌がきれいなのにひげが生えている。そして博多駅で黒川温泉行きの高速バスへ。佐賀経由、大分で高速を降りて各温泉地も周りながらゆったり黒川温泉へ。前述の本でも熊本について書いてあったけど、大分~熊本の道中は山山山、あいだの川、たまにある平坦な地は確り耕されている。ここはCountry of Thousands Hills?とつっこんだ。※A氏から帰路で「この旅のハイライトは?」と聞かれた(ハイライト、というのか)とき、「高速バス」と答えたら言葉を失っていた。高速バスで窓の外の景色をゆっくり眺められたのがこの旅のハイライト。

ちなみにこの旅の概要は、博多はやることなくて食べてただけ、黒川温泉は旅館で温泉に浸かってただけ、です。これがこの記事の本旨。女子旅って、こういう「温泉でゆっくり!」ありがちだと思うんです。A氏・U氏と一緒に過ごして楽しかったことに変わりはないけど、旅のコンテンツとして、私は温泉に入るだけの旅は好きではないと思いました(温泉・銭湯すきだけど…)。あと、観光地を巡るだけの旅も好きじゃない。もっと色んなものを求めて生きたい。

女旅だと、ちょっと気を遣う。荷物重そうだし道を間違えてはならない…私は15分くらいなら歩いて移動したいけど地下鉄乗るか、足疲れたかな…etc.である。勝手な気遣いと言われたら否定できないんだけど、大抵の女子は私より荷物が多く、私より散歩好きではなく、私より自己主張が弱いと認識しているので、積極的に気を遣わなきゃと日頃より思ってなるべく行動している。

旅は移動が楽しいよ。道なんて間違えても遠回りしてもいいと思ってるし、街並みもたのしみたいよね。人と旅するのもたのしいけど、人といるとどこに移動してもそのグループの空気感のままになっちゃうよね。1人旅の自由さはやっぱり好きだなと思う。1人は寂しいし怖いけど。

ラオス旅行後の村上春樹「『ラオス(なんか)にいったい何があるんですか?』というヴェトナムの人の質問に対して僕は今のところ、まだ明確な答えを持たない。僕がラオスから持ち帰ったものといえば、ささやかな土産物のほかには、いくつかの光景の記憶だけだ。でもその風景には、匂いがあり、音があり、肌触りがある。そこには特別な光があり、特別な風が吹いている。何かを口にする誰かの声が耳に残っている。そのときの心の震えが思い出せる。それがただの写真とは違うところだ。それらの風景はそこにしかなかったものとして、僕の中に立体として今も残っているし、これから先もけっこう鮮やかに残り続けるだろう。それらの風景が具体的に何かの役に立つことになるのか、ならないのか、それはまだわからない。結局のところたいした役には立たないまま、ただの思い出として終わってしまうのかもしれない。しかしそもそも、それが旅というものではないか。それが人生というものではないか。」

「ヴェトナムの人」という言い方、いいね。別稿にします。

YYYY年のMM月のその場所で、その時の自分だから味わえるものを味わいたい。心を震わせたい。その旅行の前と後で、変わった自分の一部分があってほしい。

2018年9月、夏休みにベトナムに行った。たまたま会社の同期女子3人旅と日程が被りそうで一緒に行こうと誘われたがやんわり断りたかった私の鋭断ですが、往路一緒→最初の3日一緒→残り2・3日は1人旅。ホイアンだけ一緒に過ごして、皆はダナンのビーチへ、私はもう1泊ホイアンに残ってゆっくりしてから、ダナンに戻って鉄道でフエに。鉄道は予定時間に来なくて、2時間くらい出発が遅かったし、かかった時間も予定より長く4時間。隣に座ったおじいさんにVC100みたいなのど飴あげた。どこに行くのか聞かれた(たぶん)のでフエと答えた。列車内で爆睡してしまった私をフエで起こしてくれたおじいさん、本当にありがとうございました…あぶないね。それから、帰りの列車では、やはりこれまた列車が遅れてて、いよいよ列車が来るというときにホームに出てたのだが結局そこそこに来ない…あつい疲れたな…というとき、お水買っても無いのにお店のおばさんが椅子に座りなさいと椅子を出してくれる。ほんとにありがとう。私は観光してるとき、「私は所詮観光客」と思って過ごしてるし、その土地に住む人々が精神的に歓迎しているわけではないと思ってるから、水を買って利益に貢献したわけでもないのに、娘のようにいたわってくれるおばさんのやさしさが本当にうれしかった。おじさん(おじいさんって言うほどではなくて呼び方がぶれる)の表情(俺に話しかけてくるの?この外国人観光客、想定外といった顔。飴をもらったときの得体の知れないものだなって顔)も、おばさんの、日に焼けて暗闇で光るやわらかくて頬がつるつる上を向いている表情も、心にやきついた。

ケニアやルワンダで心にやきついたことも、別稿にしたい。川上弘美のエッセイのマダガスカルの新婚旅行の文章のなかで(『此処 彼処』かな)、「大切な時が、大切だったと知るのは、いつだってその時が遠く過ぎ去ってからだ。マダガスカルの秋の日差しは、淡かった。淡くて、つくづく、美しかった。」とあった。そういう、日常のなかで、淡くてつくづく美しく、心にやきついている物事がある。

2020.3.30

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?