CHANCE OF RAIN

Bon chance!

英語ではcrossed-fingerで表現できるような、「幸運を!」という訳になる言葉だが、一度くらいしか使ったことのないこのフランス語の一部に、何故か惹かれた。「chance」は、要は「確率」「運」で、「chance of rain」は、要は「降水確率」ということになる。「Chances are that ~」という表現も確かあったから、「chance」は、不確定要素についての言及ということになると思う。

「chance of sun」という言葉、つまるつころ「晴天確率(好天確率」というのはなかなか聞かない(てか聞いたことが無い)。晴れが基準となっている分、「雨」は日影ものというわけだろうか。だけど、そんな「雨」が好きだ。冷たい雨の中は、不思議と暖かさを感じる。だから冷雨が好きだ。

「chance of rain」は、ただの「降水確率(というか、降雨確率?)」じゃない。少なくとも、ワタシにとっては。「chance of rain」は、ワタシにとっては「雨という幸福」に近い。中なかお目に掛かれないからこそ、雨は、干天の慈雨の如く、大切に感じられる。どこかで聞いたことがあるのだが、「chance」は、「落ちる」というラテン語だか、ギリシャ語だかに由来している言葉のようだ。なるほど、「落ちる」ことが、不確定要素であり、運であり、幸福であり、また確率であると。そうなると、「chance」という言葉が、落ちてくる(降る)「rain」に前続するのも、納得がいく気がするね。

晴れも、曇りも、雷も、降ってこない。雨と(それから派生し、変化して発生する)霰(あられ)、雹(ひょう)、霙(みぞれ)は、降って来る。全部、雨冠だ。雨という天気だけがほぼ唯一、空に留まるようなものではなく、地面に募り、その音が聞こえるものだ。雨は、ワタシに近づいてくれる。建物に水滴としてまとわりつき、濁流として下水道に流れて行くことも。土地に染み込む。或いは干していた洗濯物にも、人の心にも。

「chance of rain」と言うから、天気は晴れか晴れでないかということが基準になっている気がする。ワタシはなんとなくそれが気にくわないからさ、日記を書く時は、今日は雨が降ったか降っていないかで判断している。もちろん心地の良い晴れの日も嫌いではないが、そんな日も天気は「晴れ」ではなく、「雨絶」と書くだけだ。雨が降ったら、長雨なり、冷雨なり、大雨なり、時雨なり通草腐らしと書く。

「chance of rain(=アナタの好きな”、”雨が降るかも)」。ただの物的事象としての無味乾燥したような確率ではなく、一つの幸運として。降雨の幸運。なんとなく、響きが似ている気がする。多分偶然。そう、ただの偶然(chance)、勝手な意味的内在化だ。chance(偶然)だから、幸運(chance)だと、勝手に信じているだけ。”落ちてくる”雨は、まさに幸運、としておこう。





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