見出し画像

うずフェス(仮)残り一週間

うずフェス(仮)中の人です。
ついに一週間後になりました。うずフェス(仮)。
4月12日(金)〜14日(日)@浅草九倶楽部です。

何者にもなれなかった自分

唐突ですが、原作版「左ききのエレン」を10巻まで読みました。
ちょっとどうかと思うぐらい響いてしまって、高校生の時に「ハチミツとクローバー」に出会った時の感覚がフラッシュバックしました。
「主人公になれなかった主人公の人生にも、ちゃんと意味はあったんだ」という感触が、2つの作品にはあります。

シンプルに言えば、「天才」と「凡人」の話です。
圧倒的な才能=天才を前にして、自分が揺らぐ主人公=凡人を描いています。
どんなに頑張っても埋められない「天才」と「凡人」の溝に、主人公は徐々に気付いていきます。
根拠のない自信は崩壊して、その先に待っているのは絶望です。

それなのに、「左ききのエレン」も「ハチミツとクローバー」も最後まで読み終えると、とてつもない勇気を与えてくれます。
どちらの作品も「凡人が天才に勝つ物語ではない」からです。

「左ききのエレン」の朝倉光一も、「ハチミツとクローバー」の竹本くんも、最後の最後まで勝ちません
「何者かになろう」と歯を食いしばって努力してきたのに報われません。
でも、自分の人生をきちんと見つけます

2つの作品が偉いのは、「凡人が天才に勝つ」という夢物語でも、「凡人は凡人らしく生きるべき」という現状追認でもないからです。

人生のどこかのタイミングで直面することになる「自分とは何か?」「才能とは何か?」という問い掛けに、どちらの作品も誠実に向き合っています。

「才能」に期待して、振り回されて、嫉妬して、逆恨みして、絶望する。
残酷な話ですが、現実でもほとんどの人がそうであるように、天才には勝てず、才能がない自分に絶望するしかありません。

でも、「自分には才能がないんだ」「何者にもなれないんだ」と気付いてしまった時から、人生は始まります。
どこかで期待していた自分の才能に絶望した時から、自分の人生は動き始めます。

「何者かになる」ために必要なのは、「何者でもない自分と向き合って、認めて、それでも一歩を踏み出すこと」だと思います。
それはどんな小さな一歩でもよいのです。
他の人には気付かれない一歩かもしれません。
それはたしかに「無力」かもしれません。
でも、絶対に「無意味」ではありません
そんなことを「左ききのエレン」も「ハチミツとクローバー」も教えてくれます。

しかも、どちらの作品も凡人視点だけでなく、天才視点でも「人生のうまくいかなさ」を描いているのが素晴らしいのですが、この話は長くなるのでやめます。
RHYMESTER「POP LIFE」を聴いてください。

うずフェス(仮)でも、そんなことが表現したいのです。

あなたの人生はあなただけのものです。
他の誰にも渡してはいけません。
時に自分が無力に思えるかもしれないし、自分の才能に絶望するかもしれません。
努力して努力して努力して、それでも報われないかもしれません。勝てないかもしれません。
それでも、あなたがしてきたことは無意味ではありません。

自分の中にある何かを必死に振り絞った後に残るものは、絶対に自分を裏切りません。
うずフェス(仮)が、あなたが一歩を踏み出すために背中を押してくれるものになってくれればこれ以上ないぐらい嬉しいです。

最後に、「左ききのエレン」を引用して終わります。
4月12日(金)〜14日(日)@浅草九倶楽部、お待ちしております。

原作版「左ききのエレン」10巻より


天才になれなかった全ての人へ
子供の頃に夢描いた大人になれたと胸を張れる人がどれだけいるだろうか
大人は無責任に「夢を見ろ」と言うけれど
いつしかその言葉は「現実を見ろ」にすり替わる
でも一度も戦わずに消えた想いは何処へ行く
あの日のあなたに何て言い訳ができる
あなたが大人になる前にやらなくちゃいけないことがある
本気出せ
本気出して本気出して本気出して
それから諦めろ
そしたらきっと許してくれる
あの日のあなたはきっと許してくれる
たとえ夢が叶っても叶わなくても
あなたは自分を愛せる
称賛のためじゃなく
脚光のためでもなく
人生を愛するために戦う友へ
私が生涯で最も多くの言葉を交わし合った
私の友人の言葉を今
あなたにも贈ろう

天才になれなかった全ての人へ
この世界の全ての才能達へ
描けよ

タイムテーブル


チケット購入


http://w.pia.jp/t/uzufes/


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?