見出し画像

やりたくないことリスト

 自分の仕事を自分で作ろうとなった時に、まず考えたのは、
「やりたいこと」よりもむしろ、「やりたくないこと」についてでした。

 私の思う「やりたくないこと」というのはたとえば、

 1.自分を含め、誰からも喜ばれず、感謝もされないようなこと
 2.苦手な作業、身体的、または精神的苦痛を感じること
 3.自分や誰かを傷つけること
 4.誰かを騙して利益を得ること
 5.一方的に奪い取るようなこと
 6.自分や誰かを大きく見せたり、面子や見栄のためになにかすること
 7.意味のないルールを守るためだけにすること
 8.「やってる感」を出すためだけにすること

 などなど。これらが複数重複しているような場合もありますよね。

 ここでまぎらわしいのは「めんどうくさいこと」ですが、「めんどうくさいこと」の中には楽しいことなども含まれますので、これは、私の思う「やりたくないこと」とは違います。

 掃除や草刈りなどは、億劫になってやりたくないこともありますが、いったん取り掛かってすっかり片付けてしまったら、逆にいい気分になるのですから、これがたとえば、誰かに命令されてその上感謝もされない、という条件でもなければ、「やりたくないこと」には分類しません。

 ところで、世の中では、少なからず、というか、むしろ多くの人がこの「やりたくないこと」を「やらねばならぬこと」として、取り組んでいるようです。ちょっと他人事みたいにいいましたが、私だってやっていました。自営業になった今だって、だいぶ減ったとはいえ、まだ時々やってます。

 「お金もらってるんだから仕方ない」とか「それが社会というものだ」というご意見はよく聞きました。でもホントにそうかな?

 誰かがやめたくてもやめられない「やりたくないこと」というのは、別の誰かが「やりたくないこと」をやってしまったがために生み出された仕事だと仮定すると、いろいろ腑に落ちるところがあるのですが、とりあえず目先の「やりたくないこと」ひとつやめてみたらどうなるか、試しにやってみるのはどうでしょうか。

 安い賃労働をみんながやめてしまえば、当然というか、安い製品は買えなくなるのですが、安い製品を買っているのは、安い賃労働をしている人々だったりします。その中の数パーセントでも安い賃労働やめて、芋を育てたり、買っていたものを作ったり、交換したりしてみたなら、一体何が起こるだろう。ストライキ&自給自足の無血革命で、困るのは労働者じゃなくて、人々を搾取していた少数のナニモノカではなかろうか。


「やりたくないこと」そのまたの名を「ブルシット・ジョブ」あるいは「じかんどろぼう」



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?