企業VTuberの引退について、行動経済学で考察してみる

はじめに

前回の記事「5GでVTuberの時代が到来するという話」は、好評をいただきnote編集部おすすめ記事に認定されました。この記事で述べたとおり、これからの時代は1企業が1VTuberを抱える時代となることが予想されます。
VTuberに関わる仕事が加速的に増えていく時代において、企業の所属VTuberへのマネジメント能力は重要な役割を占めることになります。


2019年5月21日、人気バーチャルYouTuberグループ、ハニーストラップの蒼月エリさんがVTuberの引退を発表しました。
彼女はYouTubeに6万人を超えるファンを持っており、引退配信には2万人を超える人々が詰めかけました。

彼女の引退は、個人VTuberの引退とは訳が違います。人気の企業所属VTuberで、順風満帆に見えていた彼女の突然の引退は、VTuber業界全体に衝撃をもたらしました。


私はこの出来事を「引退は悲しいけれど個人的事情だから仕方が無い」で済ませてしまってはいけないと考えました。確かに個人的要因が大きいのは確かですが、彼女の引退は今後のVTuber全体に関わる問題も内包しているからです。

この記事では、彼女を引退に至らしめた外的要因を考察し、企業による所属VTuberへの適切なマネジメント方法を提案していきます。


引退で企業が受ける損失


VTuberに詳しくない方は、「引退の何が問題なの?」と思われるかもしれません。
しかし、企業からすれば、所属VTuberの引退は、大きなダメージとなるのです。

まず、金銭的な額でいえば、およそ数千万円以上の損失をもたらすでしょう。
VTuberはアニメキャラクターと違い、演者個人のアイデンティティに依存する性質を持ちます。
そのため、引退したからといって、引退者のモデルを別の演者で使い回すわけにはいきません。
結果として企業は、それまで投資していたグッズ、衣装、2D3Dモデル、YouTubeの登録者とアーカイブ、Twitterのフォロワー等、全てを手放すことになるのです。

これら全てにつぎ込まれた労力と金銭、そして未来に生み出されるはずだった収益を考えれば、手塩にかけて育てたVTuberの引退が企業にどれほどのダメージを与えるかは計り知れません。


所属VTuberの引退によるデメリットは金銭だけではありません。引退は、自社が抱える親交の深い他のVTuberにも精神的なダメージを与えます。そして精神的ダメージは、多くの時間とお金をつぎ込み応援していたファンたちも同様です。
同じ企業で引退者が続出するようであれば、「演者への管理体制はどうなっているんだ?」と企業の信頼度低下にも繋がってしまいます。


現在の企業の対策


VTuberグループを持つ企業の多くは、所属VTuberが引退した際のダメージを減らすために、複数の戦略をとっています。

その一つが「一定の結果に応じて投資額を増やす」というものです。
例えば、YouTubeの登録者が5万人を突破すれば新衣装制作、10万人を突破すれば3Dモデル制作という具合です。

いちから株式会社が運営する「にじさんじ」は、上記の戦略に「少額で多くの演者を雇い入れる」という戦略を組み合わせています。これにより、所属VTuberの引退によって企業が受けるダメージを軽減しているのです。

しかし、これらの戦略は引退によるダメージは軽減できますが、引退を食い止めるための策にはなり得ません。


優良企業でも引退者は出る


所属VTuberの引退は、企業が演者をないがしろにしているからというわけではありません。

例えば、蒼月エリさんの所属していた「ハニーストラップ」や、「にじさんじ」の運営企業は、ファンの間では優良企業として認識されています。
どちらも企業の人間がキャラクターとなり、Twitterでファンとの交流を図るほどです。

また、所属するVTuberたちが、配信内で「自由度が高くいい職場である」と発言しているのをしばしば耳にします。
例えばハニーストラップの周防パトラさんは、配信やTwitterで「ブラック企業で働いていたけれど、スカウトしてくれたおかげで今の素晴らしい職場に移れた」と運営企業に感謝を述べています。


しかし、ファンと演者を大切にしているはずのこれらの企業でさえ、既に複数の引退者を出してしまっています。

では、なぜVTuberは引退してしまうのでしょうか?


人が職を変える条件


企業所属のVTuberの引退とは、言い換えれば退職や転職と同義です。

病気で働けなくなったなど、どうしようもない要因を除けば、人間が職を移す原因は「職務満足度の低下」によるものがほとんどです。
蒼月エリさんは引退理由を「他にやりたいことができたから」と語っていました。これはVTuberとしての職務満足度が低下しており、新しい環境のほうが魅力的に映ったからと言えるでしょう。

行動経済学では、人間は「現状維持バイアス」というものを持っており、本能的に変化を嫌う性質を持っています。職務満足度が高い状態であるならば、「職を変える」という決断には至りにくいのです。


職務満足度については、アメリカの臨床心理学者、フレデリック・ハーズバーグが提唱したハーズバーグの二要因理論というものがあります。
この理論は、仕事における満足と不満足に関わる要因は別であるというものです。


満足度は「達成」「承認」「責任」「昇進」などの要因で上昇することが明らかになっています。
他方で、不満足は「給与」「対人関係」「作業条件」などに関係します。ここで重要なことは、不満足に関わる要因を満たしたからといって、満足度が上昇するわけではないということです。
例えば、「給与を上げる」というだけでは、満足度は高まらず、他の要因が満たされていなければ労働者は職を離れる危険性があるのです。

VTuberならば、蒼月エリさんのように、グループ内の「対人関係」がいくら良好であっても、それは不満足をもたらさないだけであって、職務満足度の上昇には繋がらないのです。


私は、企業VTuberの引退は、これらの様々な要因が複合して起きる職務満足度の低下が原因であると考えています。企業は全ての要因を考慮してVTuberのマネジメントをすることが求められるでしょう。


最も危険な要因は「作業条件」


この記事で、VTuberの職務満足度に関わる要素を一つ一つの分析していてはきりがありません。そこで私が考える、最もVTuberの職務満足度を引き下げる要因の一つを紹介します。
それは、不満足に関わる要因の一つである「作業条件」です。つまり、「やりたいことができない環境」では労働者は少なくない不満を覚えるのです。

YouTubeは「好きなことで、生きていく」を謳っているはずです。では、「やりたいことができない」とはどういうことでしょうか?

YouTubeは規約で動画内容に制限をかけています。そのため、自由に自己表現ができないパターンが存在するのです。

蒼月エリさんの場合、彼女は自由に歌や演奏ができる環境を失っていたのです。
彼女は、引退の約2ヶ月前にYouTubeの収益化が無効になるという事態に陥っていました。


YouTubeは、楽曲関連の著作権が特に厳しいことで有名です。収益化停止の原因は、おそらく配信内で使用した楽曲の一部が著作権を侵害したためと推測されています。

仮に再度収益化申請が通ったとしても、これからは歌配信のたびに収益化を停止されるリスクがつきまといます。

彼女は歌を愛し、世界に自分の歌声を届けることを理想としていました。私は、YouTubeの規制が彼女の夢への足かせとなってしまったのではないかと考えています。


上記は私の予想に過ぎませんが、実際にYouTubeの規制が企業VTuberの引退をもたらした例は存在します。にじさんじの笹木咲さんは「著作権の関係で、自分がやりたいゲームができない」という理由で一度VTuberを引退しているのです。

このように、「やりたいことができない環境」は、VTuberを引退に追い込むまで不満足を増大させてしまう可能性を持つのです。


収益化停止は深刻なダメージを与える

蒼月エリさんの「やりたいことができない環境」が目に見える形に現れたのは、YouTubeの収益化停止事件からです。
YouTubeの収益化停止は動画クリエイターたちのメンタルに深刻なダメージを与えると推測されます。

行動経済学者のダン・アリエリーは「仕事のモチベーションは意味のある仕事かどうかが大きな比重を占める」と述べています。


彼は実験でこの人間の性質を明らかにしました。
彼は被験者を2グループに分け、レゴブロックでロボットを作るたびに報酬がもらえるアルバイトを持ちかけました。
1つ目のグループは完成したロボットを並べていきます。
2つ目のグループは完成したロボットをその場でバラバラにされます。

出典:TED

結果、2つ目のグループは1つ目のグループよりもロボットを作る個数が少なくなったのです。これは、レゴブロックが大好きな被験者であっても同様でした。
この実験は、好きな仕事をやっていたとしても、無駄な作業はモチベーションを大きく低下させることを明らかにしました。


この実験をYouTubeに当てはめてみましょう。
YouTuberやVTuberが生産しているものは「動画」です。彼らは、視聴者が動画を見ることで広告収入、投げ銭、月額のメンバーシップ料を得ることができます。
しかし、収益化が停止されると動画をいくら生産しても収益は生まれません。これにより、クリエイターは自分の仕事を「無駄なもの」と認識し、引退を決断するほどモチベーションが低下させる恐れがあるのです。

直近の例としては、登録者が14万人を超える動画クリエイターのベイレーンさんも、YouTubeに収益化を剥奪されて引退を発表していました。


結論として、企業は、所属クリエイターが収益化を停止された場合、迅速なメンタルケアとモチベーションを回復させるための施策を打つ必要があるのです。


企業の具体的対策とは?


では、企業は所属VTuberを引退させないために、具体的にどのような対策を取ればいいのでしょうか?

まず、YouTubeの規制対策は、YouTube以外のプラットフォームの活用が考えられます。YouTubeではAIの自動判定で規約に違反していないかを判断しています。そのため、例えば既存の楽曲やASMRのスライム音などは、実際には規約に違反していなくとも、誤判定でアカウントが停止されたり、収益化を剥奪される危険性があるのです。
17Live」「ミラティブ」「Twitch」「OPENREC.tv」など、配信媒体はいくらでも存在します。演者がYouTubeで扱うには危険なコンテンツを望んでいる場合は、YouTube以外で配信すればいいのです。これにより、演者の職務満足度の低下を防ぐことができるでしょう。加えて、依存するプラットフォームを分けることは企業のリスクヘッジにも繋がります。


次に、突発的な収益化剥奪への予防には、動画以外の収益モデルの構築が有効でしょう。演者の仕事に複数の意味を持たせることで、仕事のモチベーションを維持させることができます。

収益モデルの例は、グッズ、ボイス、歌の販売。オフラインやVR空間内での有料イベントなどが挙げられます。


最後に、私はVTuberの職務満足度を上げるにはオフラインで大勢のファンと交流するイベントが効果的であると考えます。

VTuberは直接ファンと声を交わす機会がほとんどありません。
例えば、蒼月エリさんの同僚である、宇森ひなこさんや宗谷いちかさんは、リスナーと交流をする企画の後に、「リスナーさんって生きてたんだ……」と発言していました。彼女たちは、半年以上Twitterや配信のコメントでファンとコミュニケーションを取っているのにも関わらず、実際に「人間」が応援している実感が沸かなかったそうです。この例から、数万人のファンを抱えていても、数字や文字だけでは実感がわきにくいということが伺えます。

つまり、VTuberに仕事の成果を感じさせるためには、臨場感のあるフィードバックが必要なのです。
文字数の関係で詳細は割愛しますが、私は、因幡はねるさんが行った「因の者オフ会」のような形態が理想であると考えています。




おわりに

バーチャルYouTuberは自己表現のためのツールに過ぎません。
「VTuberになる」がゴールでは無く、「VTuberになって自分は何をしたいのか?」が最も大切となるのです。
これはVTuberだけでなく、全ての仕事に共通するものでしょう。

企業は、「どうすれば社員の職務満足度を上げることができるのか?」を常に考え続ける必要があります。それを怠ると有能な社員を手放すことになりかねません。

VTuberが楽しく活動できる環境作りは、演者だけでなく企業やファンにも大きなメリットをもたらします。企業は「演者が本当は何をしたいのか?」をヒアリングし、「演者が自己表現を実現できる環境を整えること」が求められるのです。

VTuberは最新の職業であり、前例に習うことができないため、適切なマネジメントを体系化することは一筋縄ではいかないでしょう。
この記事が、少しでもVTuberの労働環境の改善に役立ち、今後のVTuberの発展に貢献することができれば幸いです。

2019/5/27 バーチャルエコノミスト 千莉

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バーチャルエコノミスト 千莉

経済系のバーチャルYouTuberです。 人々の生活やビジネスに役立つ情報を提供することを目的とし、主に行動経済学(心理学+経済学)とサブカルチャーを複合させた記事を書いています。 発行書籍:https://www.amazon.co.jp/dp/B07QH1V6TF

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コメント2件

企業VTuberというからにはコンプライアンスの観点も求められるところ、著作権が問題なら緩いところに移れというのは、そもそも企業VTuberとしては取りえない選択なのではないかと思いました。
BigHopeClasicさん、ご感想ありがとうございます。

企業VTuberがコンプライアンスが重要視されるのは私も同意します。

しかし、YouTubeは、AIが自動で著作権の判定をしているため、実際には違反していなくとも誤判定を受ける可能性があります。
そのため、「誤判定を受けるリスクの高いコンテンツを扱いたい場合は、別媒体での配信が推奨される」というのが私の主張です。

私の書き方が未熟なせいで、著作権の違反を推奨しているように感じられたかもしれません。
該当部分を修正しておきます。
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