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若者でない自分と向き合うために

子どもら(小学生)が、得意げに聞いてくる。
「馬の耳に?」「念仏!」
「三重県の県庁所在地は?」「津市!」
めんどくさいけどいちいち答える。何が目的かわからんけど次々と教科書的問題を出してくる、まあ、この程度間違えるわけないよね、すると、おかあさんなんで知ってるの?って(馬鹿にしとんのかw)、
「大人だからね!」と大声で言ったのが最近の大人の自覚であります。

Book review 3
「「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?」
熊代 亨
出版社:イースト・プレス 発行年:2018

 地域の商工会青年部の面々がどう見ても青年ちゃうやん、おっさんやん、と侮辱していた20代、そんなわたしも不惑を過ぎて、青年部定年40歳か、まあ、40までなら青年に間違いない!と思い至る歳となりました。。。「大人」を始める?。。。わたしは社会的にちゃんと大人になれているだろうか?そんな不安を感じながら本書を手に取りました。
この本はこれから「大人」になろうとする年齢へ向けた書であり、若者もいいが、大人もいいぞ、ということがメインテーマです(さすが著者はわたしと同世代でも大人としてしっかりしてる)。

とはいえ、「気力、体力、集中力が著しく衰えてくる。そしてそれに抗えない。」
「人生の余白が減り、選択肢が限られる。」
「社会から大人としての振る舞いを期待、強制される。『老害』という言葉もできて迫害される。」
「(何にでもなれる若者とは違い)何のせいでもない、自分で重ねた歴史の上を歩くしかない。」
などという改めて言葉にしなくても(溜息)。。。が並びます。意気消沈この上ないのです(若者よ、君たちも例外なくこうなるのだざまあみろ(自分のことはなぜか置いといて)感をちらっと感じ少し溜飲を下げることはできます。)。
しかし大人へとシフトチェンジすることによって、幸福とは何か、人生の価値観がひっくり返り、人生のコスパの方程式が変わり生き生きと活躍できるようになるから心配するな、と指南しています。

「若者」をやめたくない

この10年の意識調査では、中高生は大人になりたくないそうです。
あらゆる年代で若者を続けようとする人は見かけます。わたしはそうじゃない、そうじゃないよね?と思いつつ「すでに下り坂なのに自分の成長に夢中でフレキシブルで流行に強いと自負したがっている中年男女が結構いる。」という言葉が突き刺さります。ま、それはしんどいけれども悪いことではないと思いますが、なぜ、若者に固執してしまうのか、なぜ若者をやめたくないのかが社会的背景から綴られます。どのエピソードも納得でありながら正直「痛い」。。思春期でもないのに心がヒリヒリするんです。。嗚呼。

40歳、惑う余地なし

それなりに仕事も趣味もこなしてきた不惑と呼ばれる40歳は惑わないのではなく、もうそんな自分(のアイデンティティ)が染み付いてしまって惑うことすらできなくなるのです。これが逆に大人の強みでもあります。自意識過剰にならず打たれ強くなると説かれます。地に足がついている、ってやつです。でも安心してはいけません。何にでもなれる若者のようにアイデンティティを確立せず、自分探しを継続中の40歳も「何者でもない中年」が完成してしまいその道を外れることができなくなってしまいます。
!!!
いちいち我が身を振り返ってしまう。。。どうなの?わたしどうなの?

大人の定義

「世代や立場が違う人に、その違いを踏まえて対応すること」を大人の条件であろうと著者は提案します。
自分が、自分が、の世界から、
価値観の違う人とどう折り合いをつけるか、先達者から如何に学ぶか、後進を如何に育てるか、若輩者の世話をどう楽しむか。ここに価値を見出した時、人は大人になって人生をより豊かにしていけるのだなあ、と理解しました。
そう思えば、これこそが今のわたしの理想像です。この姿を追い求めている(努力しているかは別として)ということは、曲がりなりにもわたしも大人だなと少し安心。ま、年齢的には確実に大人ですが。

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