見出し画像

過疎の嵐の中を生きる

Book review 1
「亡び村の子らと生きて 丹後半島のへき地教育の記録」
池井 保
出版社:あゆみ出版 発行年:1977

 雪に閉ざされる、を実感すると思いを馳せずにはいられない。
こんな日に我が家とは比べ物にならない豪雪地、あの山の中の僻地に住む名も知らぬ人々の忍耐強さ、厳しさ、明るさ、優しさ、悔しさを。

この本は、70年代そんな僻地の小学校に赴任した一教師の、学校だけでない地域での奮闘と、高度経済成長期の中たくさんのしわ寄せを受けて亡びゆく村、その現実を目の当たりにした虚空のなか「教育とはなにか」を自らに問いかける記録である。

いきたにゃあ、でも、でもしゃあないのです

子供たちの作文に残る丹後弁が、今も変わらぬ独特の言い回しを普段から聞いてるだけにその声が直接聞こえてくるようで、せつなくてならない。
全校生徒28名(当時)の虎杖小学校から一人また一人と生徒が去っていく。去る者の悔しさ、去られる者の悲しさが作文から伝わり胸を打つ。

村を捨てる。最終的に行動にうつすまで、村捨ての小さな小さな炎が見えぬよう、悟られぬよう村中を覆っていく、詩人でもある作者の紡ぐ自由詩が容赦なくおそろしい。

集団予防接種など行政による住民サービスも著しく制限されている僻地の者はこれまた「しゃあにゃあ(仕方ない)」と諦める、差別されて当たり前と思ってしまう、この意識から変えたいと作者は奮闘し少しづつ変わっていく町民ではあるが、日本社会は待ってくれるはずもなかった。

この後、村人は助け合い、考え抜き、たくさんの困難に立ち向かうも敗れ続け、廃村が相次いだ。
そしてついに、ばらばらに離村した亡び村ではなく、行政と交渉し村人一人たりとも見捨てない行動を積み重ね、集団離村を成しえた村を一つの住民努力の到達点とみている。

虎杖小の子どもたちは、近隣の大規模な小学校の生徒に馬鹿にされて悔しがる。
しかしこの著書が記されて半世紀経った現在、その馬鹿にした側の小学校が廃校の危機に立っている。これも「しゃあにゃあ(仕方ない)」で終わってしまうのか、感情に走るだけでない新しい方向を見出し歩みだすことを期待してわたしはこの地域の今後を注視したい。そして、明日は我が身だということも忘れてはならない。

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?