Kozen

九州男児を介護しています。あとは仕事や家事。日々のことを色々。

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最近の記事

実父介護のきっかけ 5

自宅介護か施設か? 自分たちのできることを探す父に関する病院のわずかな情報から、ヒントをさがした。 父は名前を答えることができるということは、 人の話を理解できる部分があるということだろうと思った。 だったら伝えたいことがある。 父が日常生活を誰かに頼らなくてはならなくても、それは父の責任ではない。手術をお願いしたわれわれの責任だということ。そしてそこまでしても私たちは父と一緒にいたい、ということだ。 医師の許可を頂き、われわれ三姉妹の各々の家族ごとと母から、父へのメ

    • 九州男児父の野蛮で過激でピュアな思想に、思春期だった私が、地獄の底から救われたけん

      なにしろ、九州男児が悪名高い。どこで何回検索しても、良い話がひとつもでてこない。 私は主婦なので、とくに主婦目線で見た時の夫としての九州男児なんて、どの点をとっても残念で、悪口こそ出てくるが褒め言葉なんて出てこないのは、確かによくわかる。 九州男児がどれほどなにもしないか、下の記事ご覧ください。(できれば心が穏やかな時に。) なのに、介護の話を書いていくにつれて、私のファザコン度が露呈していく。我がことながら、なんでそんなに父が好きなのか、思い返してみたくなった。 父は

      • 実父介護のきっかけ 4

        絶望の中で、目標を整理する 感情におぼれた数日を経て、現実が少しずつ見えてきた。 父は、今の自分をどう思っているだろうか。 父が脳梗塞をおこすのは初めてではない。 複数回経験し、その都度リハビリをして日常生活を普通に送れる生活に戻った。 杖があれば歩けるし、できないことはなかった。父は毎回、医師の手術に対する労力に対して、恥じない努力をする。毎朝4時に起きて散歩をしていた。 でも今回は違う。 食事もトイレも歩行も読書もできない。 父は幼稚園から小学生低学年の時に、第

        • 実父介護のきっかけ3

          父が寝たきりで生きることになったことをうけいれるまで 5時間の手術を終え、父は車椅子で戻ってきた。よく目は見えてないらしく、看護士に「家族がいるので大丈夫だったら、ピースしてください。」と言われ右手でピースを作ってくれた。 生死を彷徨うほどの時間を過ごし、家族全員の心配をよそに、車椅子の上で素知らぬ顔で、ピースをしてみせる父。 われわれは家に帰り、数日後、医師からの電話で、父の様子をきく。 鼻からの管で、薬、栄養、酸素をいれている。名前は答えることができるが、意思疎通

        実父介護のきっかけ 5

          実父介護のきっかけ 2

          それは、コロナが蔓延し始めた時期だったため、家族でさえ病室に入ることを許されなかった。 それなのに、手術前の時間だけ特別に家族で父に会うことができた。「特別」がどの場合になるのか、意味することが怖かった。 父は、左の麻痺が進行していて、父の左側にいると視界に入れない。どんどん様子が変わる父。 多分われわれ姉妹も母も、よっぽど暗い顔をしていたのだと思う。 父は長女に、「夫は元気か?」と聞いた。 長女の夫は背が高く、いつも食べ物の話をしていて、冗談を言ってばかりいる。毎回

          実父介護のきっかけ 2

          実父介護のきっかけ

          コロナが蔓延しはじめた3年ほど前に、 父は散歩中に骨折した。 その手術をするために、持病の脳梗塞用の 血がサラサラになる薬を止めたことが原因で、過去最大の脳梗塞を起こした。 その日、母からの電話で私達3姉妹は病院に呼ばれた。 「忙しいかもしれないけど、すぐ来てほしいの。」 我々の母は、宮崎県出身で、とにかく明るく、おそろしく気が強く、素晴らしく逞しい。 子育ても家事もしない九州男児に嫁いだ事で、全て降りかかる家事量になんの疑問も抱かず、父の商売を週5で手伝い、家庭を回し

          実父介護のきっかけ

          私たち家族の介護を支えた父の言葉

          父の介護が始まったきっかけが、少々入り組んでいました。 父は、70を過ぎたあたりから、何度か脳梗塞を起こしました。 脳梗塞が起きて夜中に父が歩けなくなったことがあり 母に呼ばれて、家族が集まりました。 病院へ向かうタクシーが来る間に 父は集まった家族を一人一人愛おしそうに見つめ 「ばってんよーかじんしぇいじゃった! しごつにも家族にも恵まれた。神様が見ててくださったちおもうー!!」 (本当に良い人生だった。 仕事にも家族にも恵まれた。神様が見ててくださったのだと思う)

          私たち家族の介護を支えた父の言葉

          80代九州男児が語る男の定義「サッカーとは」

          九州男子が語る男について。 「サッカーちや、しぇんそうばい。」 (サッカーっていうのは、戦争と同じなんだ。) 以前、私はサッカーも野球もラグビーもボクシングも、同じように興味がなく、ルールもわからなかった。 その時に父が言っていたのが上の言葉だ。 もちろん意味がわからず、まるでピンと来なかった。 父は、表情も変えずに続ける。 男は勝たにゃならん。 競争ぞ!男は本能で競争ばすっとぞ。勝ちたか。打ち負かしたか。 戦わなならん!! 平和は大事! ばってん男の本能は、競争じ

          80代九州男児が語る男の定義「サッカーとは」

          うわいたの解説

          うわいたの解説をします。このブログのタイトルです。 うわいたは、「わいた」「あいた」などとも言い換えられますが 驚いた時、びっくりした時、転じてちょっと人をいじりたい時、嬉しい時などに使う九州弁の感嘆詞です。(多分) 私は、父が福岡、母が宮崎出身で、九州の血しか入っていない 生粋の九州人ですが 九州で生活したことがなく 九州弁のネイティブではありません。(ちょっと言い訳) なので、なんとなく父親が使う九州弁や たまに会う親戚が使う九州弁を聞いて、想像して使っています。

          うわいたの解説

          九州男児を介護する

          86歳の九州男児を介護しています。 実父です。 どのぐらい九州男児かというと、 介護される必要がなかった若い時に、 お茶を自分で淹れることはなかったし お風呂に入るときに、自分の着替えを用意することもなかったし 1m先に置いてある新聞を、自分で持ってくることはせず、 違う部屋にいる誰かを大声で呼んで、持ってこさせたし、 家事なんて何もできないし、そこに一ミリも良心の呵責を感じていない まごうことなき九州男児です。 小さい頃の私は、お風呂上がりの父が 「お〜い!!着替えの

          九州男児を介護する