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実父介護のきっかけ 5

自宅介護か施設か?
自分たちのできることを探す

父に関する病院のわずかな情報から、ヒントをさがした。

父は名前を答えることができるということは、
人の話を理解できる部分があるということだろうと思った。

だったら伝えたいことがある。

父が日常生活を誰かに頼らなくてはならなくても、それは父の責任ではない。手術をお願いしたわれわれの責任だということ。そしてそこまでしても私たちは父と一緒にいたい、ということだ。

医師の許可を頂き、われわれ三姉妹の各々の家族ごとと母から、父へのメッセージを音声にとりCDにした。
(父はスマホを持っていない)

あとは、昭和の男心を歌う歌や、父が大好きな西部劇の曲と落語。病院でたまにかけてあげてほしいと看護師さんに渡すと、快く受け入れてくださった。

とにかく父に私たちの気持ちを伝え、少しでもハッピーな気持ちになれるものを用意したかった。

病院のケアマネさんと話す機会があった。

ケアマネさんは、「次に入院するための病院がコロナの影響で混んでるので病院の選択肢があると思わないでほしい」と言った。

会話の合間に何度も、お父さんはおいくつでしたっけ?と聞いてくる。84です。「そんなに覚えづらい年齢ってあります?」といいそうになったが、我慢した。短気になるには相手がわるい。
ケアマネさんは意気揚々という。「そうよねー、それでも家族はいつまで経っても期待しちゃうわよね、でも、わかりますよね?」と。

わたしは、リハビリ病院に入院できる条件を全て整理し、参考までに聞きたいと言った。リハビリ病院を希望するというのは、その半年後に家に戻ってきて自宅介護をするということになる。父は今のところ要介護度5レベルだ。その場合の訪問看護、ヘルパーさん、訪問医の来れる頻度と、自宅介護の不可能な点を整理したいと伝えた。

ケアマネさんは、この父の状態で介護をするというのは並大抵ではない、療養病院にいくしかないと繰り返しいう。「できると思っちゃうんですよね、でも無理ですよ。84歳なんですよね、」と。質問には答えてもらえなかった。

コロナ禍でなければ、ここまで不可能だと言われ続けたら、自宅介護にはそこまでこだわらなかったと思う。ただ、面会も許されない状況下での療養病院入院は、もう二度と父に会えないかもしれないことを意味する。父を不自由な状態にしておきながら。

ケアマネさんの提案を受け入れるということは、つまりこういうことだ。

父は自分の人生に満足していたのに、私達の判断で延命手術をさせた。それなのに、介護が難しいからという理由で、父の寿命がくるまで、療養病院で寝たきりの生活をさせる、その選択肢しかない。

父の尊厳を、私達家族が潰したのではないか。

わたしはいつも行き詰まると、泳ぎに行く。

幼稚園の頃に水泳を始めて、中高は水泳部だった。ジムのプールの一番早く泳ぐコースにいく。その都度同じコースのメンバーに速度を合わせる。邪魔にならないスピードで泳ぐ。ジムのプールには色々な人がいる。ゆっくりの時はゆっくり。速い時はめったにない。たまに、中高年女性相手に、あおり運転をするタイプの人もいる。泳ぎに自信があって見せつけたいタイプだ。今のところ、男性にしかそのタイプは見たことがない。自分の好きなスピードで力任せに泳ぎ、前の人を焦らせる。ついていけない人はどんどん違うコースにうつる。私はたいていそういう人の後ろにつく。200〜300m同じ速度で泳ぐと相手はたいてい根を上げる。すごすごと違うコースに移る。心の中で罵詈雑言を叫ぶ。空になってしまったコースで、やみくもに泳ぎ続ける。心拍数がどんどん上がる。怒りや悲しみが強いほどキックは強まる。大好きな女芸人さんを頭に浮かべる。

クソがーーーーーーー!!

ふだん1500mぐらいしか泳がなくても、その時はするすると2500m泳げた。怒りを明日のスタミナに変換する。私のライフハックだ。プールは私の幼馴染のようなものだ。ネガティブな感情を全部ポジティブなものに変えてくれる。優しくてとてつもなく頼もしい。

ジャグジーで、ゼーハー言いながら体を温める。無数の泡が身体に癒しを与えてくれる。
屋外のジャグジーから、その日は富士山が見えた。愚かな私を嘲笑うかのように陽が高く上がっている。

私は不意におかしくてたまらなくなる。体が疲れるままに脳が解けて心が緩まる。

パパに会いたいと思った。

空に浮かぶ父はいつも通りたまらなく幸せそうに笑っていて

「おまえはガラの悪かねー!!」

とおかしそうに笑う。

「おいや、品よく育てたはずばってんなあ」
(おれは、おまえを上品に育てたはずなのになあ。)

前を向くしかない。やれるだけやろう。あとはきっとわれわれの心のスターがいつもの生命力で頑張ってくれる。もし思い通りにいかなくても父は自分の力で幸せな人生を生きた。悠々と必死に生きた。わたしたちのもがきなど笑い事でしかないだろう。大丈夫だと思い込むしかない。


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