母の味

母・みよ子と出掛けた記憶が幾つかあるのですが、一番記憶に残っているのが喫茶店に連れられた時です。四歳の時でした。古びた小さな店で、カウンターの席しかなく、昼間なのに薄暗い店内でした。今思えば、多分喫茶バーだったのでしょう。

席に座ると、みよ子が私に「なに食べたい?」と聞いてくるのです。しかし私は何も言いませんでした。


家に力が居る時、どんな状況でも私が食べ物に関して何かせがむことはありませんでした。逆上して殴る蹴るの暴行を加えてくるからです。
三歳のときです。ある日私は体調がすぐれなくて、みよ子にお粥を作ってほしいとせがみました。しかし二口、三口食べるとよけいに吐き気をもよおして、お粥を残してしまいました。
煙草をふかしていた力が、血走った目で私を睨み付けます。

「手ェ~出せ・・・」

怖くて、私は言われるとおりとっさに、左手を差し出すのです。

「動くなよ。ちょっとでも動いてみろ。殺してやる・・・」

父親の男は、差し出した私の左手の甲に、ゆっくりと、煙草の火を押し付けました。
私は、微動だにしませんでした。目の前にいる人間が本気で私を殺そうとしているのが、三歳の私でも、本能的に理解出来たのです。
自分の手の甲の皮膚の焦げる臭いがするのです。

三歳の子供です。我慢できるわけがありません。動かなかった代わりに、恐怖と熱さ痛みで、私はぶるぶると全身が震えだし、失禁してしまったのです。


「親に指図するなんざ百年早えんだよ、バカヤロウが。今度なめた口利いたら、殺してやるぞ・・・。 」


今でも左手の甲に、うっすらと火傷の痕が残っています。

この出来事があってから、私は親という人間に、何かを頼んではいけない、食べ物を選んではいけない、そう思ってしまっていたのです。



「どうしたの?、好きな物頼んでいいのよ。」
それでも私は黙っていました。
すると店のマスターが、「グラタンなんかいいんじゃないの。」とつぶやくのです。
「そうね、じゃあグラタン。」
マスターは調理し、母親の女と私は黙ったままです。
しばらくして、グラタンが私の前のカウンターテーブルに置かれます。
ポテトグラタンでした。大きなグラタン皿で、まだぐつぐつと煮えたぎっているのです。
私は、目を丸くしてたでしょう。こんなの初めてみたのですから。しばらく見つめていたのをよく覚えています。
「お皿の所、触っちゃだめよ。熱いから。」
頷くとすぐ、私はグラタンに食らいつきました。
香ばしい甘い香り、バターの風味、とろおりと溶けよく伸びるチーズ、ポテトのほくほく感と表面のカリッとした食感、しつこくないクリーミーな味わい。

・・・たまりませんでした・・・。


みよ子とマスターは、すごく親しく話し込んでいました。どうやら、時折この店に来ていたような感じを子供ながらに感じたのです。なんかとても不思議な感じを受けたのです。力とみよ子が話している記憶が、私にはまったくなかったからです。

でも、その時の私にはどうでもよかったのでした。無我夢中でグラタンをほおばっていました。

みよ子が言うのです。
「全部食べれる?。」

「...うん。」

頷いた私はとっさに、するはずもないのに、みよ子に横取りされてしまうんじゃないかと、いやしい気持ちが湧いてきたのをよく覚えています。口を火傷しながら必死に喰らい付いていました。


大人になって若い頃の私は、何処かの店に入るごとにグラタンがあると必ず頼んでしまうようになっていました。
あれからずっと、じゃがいも、バター、チーズ、クリームソースが好きなままでした。
でも、あの喫茶店で食べたグラタンの味には、出会うことは出来ていません。もう、二度と出会うことはないでしょう。
たぶん、味の記憶が美化されてるのでしょう。


年を取り、グラタンを頼んでも、胃がもたれて、半分しか食べられなくて残してしまい、今はもう、体が受け付けなくり・・、頼まなくなってしまいました・・・。

おやじになってしまったのです・・・ 。

  


    私にとって母の味は、「喫茶店のポテトグラタン」でした。

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