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コレもしあわせのカタチ

「日付の周りそうなこの時間に、ソファに腰掛け録画してある『渡る世間は鬼ばかり』を観ている奥様は、大変お疲れモードである可能性が高いです。また、サイドテーブルには緑色の筒に入った、おそらく例のアレがありますが、どのようにお声がけしましょうか」
「……あぁ。まずはあいつを呼んでくれ」
「あいつですか? ……承知しました」
「私も疲れていてな。優秀な秘書がいると助かるよ。そして、最初の対応は欲望に忠実なあいつに任せて、我々はそれに対応できるようにしておこう。今日はそれがいい」

残業帰りの私の脳内劇場

「ただいま。お、プリングルズじゃん。食べていい?」
 疲れ果て空腹状態の私は、緑色の筒に真っ先に目が行った。
「いいよ。……2枚なら」
 妻のこの言葉が指す意味は、リングに鳴り響くゴングのそれである。

 プリングルズサワークリームオニオン味は、私の好きなお菓子ランキングでずっと上位をキープしている至高の1品だ。プリングルスじゃなくてプリングル。(この記事で一番大事なところです。)
 年々、空気の量が増えるものの紙管の中に詰まっている成型ポテトチップスのあの濃い味は変わらない。小さくなった気もするが、それも構わない。そんなプリングルズを、あの妻が、娘がせがんでも自分の取り分を分け与えることを一切しないあの妻が、食べていいと、しかも2枚も。
 これは、開戦同時に顔面めがけてストレートを放たれたような衝撃的なものだ。
「お、おう。あー、体調わるいんなら早く寝なよ」
 すかさず両手でガードして、直撃は回避したものの、軽く揺らされた脳が繰り出すのは、裏をかかれる可能性を考慮し、相手の身を案じるかのような優しさで偽装した牽制パンチ。しかし、これは痛恨のミスとなりうる。
(――どういう意味よ。ならあげない。絶対にあげない。1枚たりともあげない。)と、カウンターを打たれたら相当な痛手となる。
 しかし、無言。ここで無言。距離をとってきた。その意図はつかめなかったが、この隙に態勢を整える。

「というわけで、欲望に忠実な食欲さんが雑な受け答えをしてくれました。何とか意思に介入して最悪の事態は避けましたが」
「あぁ。助かる」
「どうしましょうか。状況を整理すると、ポテトチップスを2枚食べることを許可されています。余計なことを言わずに2枚食べることは可能でしょう。とりあえず2枚頂いて、後は当たり障りのない対応がよいかと」
「いや。今日はあいつの意向に応えたいと思う」
「それはつまり、奥様を言いくるめてより多くを食べようと画策する、という意味でしょうか」
「あぁ」
「ちなみに『無理無理無理無理、絶対無理。何を言ってもその願いは叶わないことは経験則で知っているだろう、いい加減学習しろバカ共』と、海馬が言っていますが」
「あぁ。『それでも譲れない戦いがある』と俺の心が叫んでいるんだ。やれるところまでやってやろうじゃないか」
「では、食欲さんには退場してもらいましょう。奥様との舌戦は、私が担当ですから」

緊急対策脳内劇場

「ならもらうね。って、割れてるな。2枚ってさ、割れてるのも込みで2枚?」
「うん」
「そっか。ところで、日本円の紙幣はその3分の2が残っていれば銀行で1枚として交換してもらえるよね。ということはそれ未満の場合は、1枚としてカウントされないってわけ。つまり、このポテチも3分の2以上欠損している分は、1枚とカウントしないっていうのはアリだと思わない?」
 距離を詰めての視野外からの左フック。
「紙幣じゃないし、メーカーにクレームつけるなんてのも迷惑だから止めるべき」
 あえなく躱され、かわりに正論ジャブをくらってしまう。続く二打目も警戒しなくては。
「まぁ、1枚とするのも可哀想だから、割れている分は合わせて1枚となる分くらいは食べればいい。細かい加減は任せる」
 ここでなんと、慈愛の精神てかげん。しかし、それは危険な譲歩ステップ。この機をチャンス見逃すわけながない。
「ということは、0.7枚と0.4枚を食べたとしたら1枚換算でいいの?」
「うん」
「じゃぁ、0.69と0.32は?」
「1枚」
「なら、0.39と0.32を食べたあとに0.32をもう一度食べるのはあり?」
「……あり」
「それってつまり、合計後の小数点以下は切り捨てでいいってことだよね。だったら0.99と0.99でも1枚換算でいいよね。では、遠慮なく0.99枚を4枚いただくとするよ」
 思考をもつれさせ足捌きをもたつかせ、すかさず必殺のアッパーを打ちに行く。勝ったも同然。最初の提示の約2倍量を獲得できれば食欲さんも大満足だろう、と思いきや。
「いや、それはおかしいよね。小数点以下切り捨てなんて言ってない。ついでに四捨五入も認めないよ」
 すんでのところで上体を反らして回避し、その反動で四捨五入を封じるというボディブローまで叩き込んでくる。さ、さすが我が好敵手ライバル
 正直なところ、この一撃で決着が着くとは思っていなかった。最初に要求を大きく言って、落とし所として四捨五入を提案するという二段構えの作戦だった。しかし、その道までしっかり封鎖してきたのだ。これで、1.4枚と1.4枚の計2.8枚または2.4枚を食べるという判定勝ちも望めなくなってしまった。
 こうなっては形振り構ってはいられない。背水の陣。捨て身の覚悟。
「ごめんごめん。そうだねそうだね。おかしいね。普通に食べるよ。……あっーっと、これ粉々だわー。粉々になってパウダー状になったこれは、一体どれくらいの割合に換算したらいいんだろー悩むなー」
「キッチンに計量器あるよ」
 試合終了。

 その後、仲良く『渡鬼』を観ました。

「ということで、大人しく割れていない2枚を頂戴しました。食欲さんのご要望にお応えできず申し訳ございませんでした。え? 『空腹は満たせずとも、お腹はいっぱい』ですか。その分野は私の管轄ではないのでよく分かりませんね。まぁ、しあわせなら、それでいいのではないでしょうか。おやすみなさい」

幸福に満ちた脳内劇場

 性格の不一致。
 離婚理由として不動の一位に居座り続けているのがコイツである。『渡る世間は鬼ばかり』でも何度も描かれるテーマになるのも肯ける。
 実際コイツと戦い続けることは厳しいことなのだと思う。この一幕も見方によってはひどいもので、例えば『渡鬼』の登場人物が眺めていたら、こんなコメントをつけてくれるだろう
・もっと栄養のあるものをこしらえて置くのが女房じゃないかい
・仲良く分け合うのが道理ってもんだろう
・キッチリ分けるのなんて簡単じゃないか
・亭主が疲れて帰ってきたらまず労いの言葉があるのが筋だろう
・鬱陶しい会話 要点だけ話してよ
・そんなの絶対おかしいわよ
・細かいこと気にしすぎなんだよ大人は
などなど

 挙げればキリがないほど、多様な意見が出てきて、それはきっと性格の不一致(ケンカ→離婚)になりうる。
 そして、困ったことにコレが正解というものもないわけで、こういったこと自体を楽しんでいくという柔軟な態度も、大切な人と生きていくには重要なのだと思うのだ。

 仮に、妻が私のためにこのお菓子を買い置きしてくれていても、実はあまり嬉しくない。それに、一枚あたりの質量を量って完璧に2枚分計算してこられても、ちょっとしんどい。
 こういうくだらない掛け合いをして収まるところに収まるという、ある種の様式美(折れるのは毎回、私)が好きなのかも知れない。これに付き合ってくれる妻が好きだし、毎回は互いに求めないことも居心地がよい。後にも先にもこんなにちょうどいい人とは出会えない気がする。
 私と妻は、元々性格の不一致が多いので些細なことは気にならないというのも大きいのかもしれない。大事なところだけ一致していれば、それでいいのかもね。

 しあわせのカタチなんてのは人それぞれで、成型ポテトチップスみたいに一様ではないけれど少し欠けていても美味しかったりするし、バラバラを集めたらすごい量になったりもする。無くなってしまったと思っても、底にたまった残滓の一舐めで、あの多幸感を思い出すこともあるかもしれない。
 そして私にとっては、たった2枚だけで充分で。それはやはり、しあわせなことなのだと思う。

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