「…ガッカリするんです」から考えたこと

すこし前に、以下のツイートが炎上していた。
自分が言ったとおりに直しただけのネームを作家からもらうとガッカリする、という趣旨の、編集者のツイートである。

これを受けて、しばらく作家たちのあいだでは、
「ガッカリするんです…!」
「こちらこそ、ガッカリするんです…!」
と、煽りあうのがブームになっていたという。(なってません)

炎上していたときに行われていた議論を見ていて、「編集者から提案を受けたときの作家のスタンス」について、つらつらと考えていたので、ちょっと書いてみる。

トンチキ提案

僕は新人のころ、編集さんから、こんな提案をされたことがある。
「出だしで、ともかくでっかいバケモノを出して、主人公を襲わせてください」

僕は思った。
「…なんでこんなトンチキな提案するんだ? この人…」

それまで編集者からされた提案に、ストレートに「いやそれは違うやろ!」と思ったことがなかったので、結構、ポカーンとしてしまった。
違うと思った理由は、以下のようなものである。

  1. 主人公がどんな人物かわからず、感情移入もしていない段階でピンチシーンを読まされても、読者の興味が向かない。

  2. バケモノのサイズと読者を惹きこむことに関係がない。(「1メートル」を「100メートル」に変えたところで、小説が面白くなることはないだろ…?)

  3. 描写の仕方次第で迫力を出すことはできなくもないが、場が温まっていない状態でそんな書き方をしても、その場限りの虚仮威しになるのが関の山だし、最悪、空回りしてるだけになることが多い。
    なにより児童書では、文章の力だけでもって押し通すようなやり方が、通用しにくい。(語彙表現が限られるし、そもそも読者が文章を読むことにまだ慣れてない)

パッと考えただけでもそれくらい「違う」提案だと思ったので、上記のようなことを説明していったら……結構、機嫌を損ねられてしまったんだが。
でも、さすがに納得ができなかったので、僕も引き下がらず。
なぜ、こんなわけのわからんことを言うのだ、この人は。

その理由は、話しているうちに段々、わかってきた。
その編集さんが、青年漫画出身なことを踏まえると、腑に落ちた。
「なるほど、この人は、文章を頭の中で漫画のコマに変換してから読んでいるんだな」
って。

ものの見方の違い

つまり、文章を読むときのスタイル自体が、自分の感覚とはまったく違っていたんだよね。
漫画の話なら、
「冒頭でカッコいいアクションシーンで読者を惹きつける」
のは理解できるし、
「ちいさいバケモノとでっかいバケモノで、読者の視線を惹き込む迫力に違いが出る」
のも理解できる。
それは描き込んだ一コマでもって説得力を出せる、絵という媒体だから。情報量がちがうんだ。
小説は、そうした「点」で一瞬で面白さを出すのに不向きな媒体だ。もっと段取りに重きを置いて、線とか面でみせていく。
違った媒体の感覚でもって捉えているから、そういう提案が出てきたんだな、と。

はじめは「なんて的外れなことを言うんだ、この人…」と思っていたんだけど、そう考えると、「賛同はできない」んだけど、「意図は理解できる」ようになった。相互理解。

その上で話していくと、編集さんの言いたいことは、ようは、
「ともかく出だしで読者を惹きつけたい」
ということであるらしいとわかってきたんだ。

提案と要望

作品に対する感想要望提案というのは、それぞれ違ったものである。
順番としてはおそらく、まず思ったことや感じたことという感想があって、それに対して「もっとこうなってほしい」という要望があって、「そうするためにこうするのはどうか?」という提案が出てくる。感想→要望→提案の順だ。
でも、我々は普段ものをしゃべるとき、そんな順番をいちいち意識していない。ごちゃまぜにして話しているものなのだ。

僕はその、「でっかいバケモノ云々」という提案については納得できなかったんだけど、「出だしで読者を惹きつけたい」という要望については、ちゃんと納得できたんだよね。
ミステリでも、「出だし○ページ以内で死体を転がせ」とは、よく言われることだ。
それが青年漫画出身の人だから、
「出だしに見開きページで超大型巨人を出せ」
って表現になってるだけで。
言わんとしてることは、同じなんじゃねえかな、と気づいて。

なので、「その提案は呑みたくないけれど、出だしで読者を惹きつけるなら、代わりにこんな風にするのはどうかな…」ということを、自分で別途考えて書いたら、OKとなった。
絶鬼の最初のころ、冒頭で毎回ルール提示をしていたのは、そんな理由だ。(なんか児童書デスゲ枠でミーム化してしまった感じがあるが…)

正しい意見がいいとも、間違った意見がダメとも限らない

自分の中で、この経験は大きかったなと思う。
つまり、「編集者の提案に対して、もとになった感想や要望を探っていってから、自分なりの実現方法に変換して書く」こと。

それまで僕は、編集者からの提案を、そのまま実現していたんだよね。
そのとおりだな、正しいな、と思っていたので。

でも、正しい提案が、作家の(特に新人の)ためになるとも限らないのがむずかしいところで、正しい提案をひたすら反映していくことを続けた結果、「創作」が「作業」になっていっちゃった。
どんなに正しい提案であっても、他人の心と頭から出てきた意見は他人のものではあって、自分の持っているパズルのピースとは、本当には噛み合っていなかったのだ。
自分の作品を書いてる感覚が、なくなっていっちゃって。

そんなときに、ピントのずれた提案を受けたことで、むしろ、「いや、それはちがうやろ」「どうしてこういうことを言うんだ?」と、その奥にある要望をヒアリングする力がついた。
それは大事なことだったな、と。
一方的に提案を受けて反映するだけじゃなくて、対話ができるようになると、違った世界が見えてくる。
「他人の意見を取り入れながら自分の作品を書く」ということが、できるようになっていった気がするというか。

編集者もそのへんうまく整理して伝えられる人ばかりではないし、整理する暇がないことも多い。(下手に整理するとむしろその過程で失われるものもあったりする)
なので、作家の方でも、それを聞き出す姿勢を持つのは、以来、結構大事なことだなぁ…と思っていたりする。

パワーバランスの問題

とはいえ、新人作家がこれをやるのは結構むずかしい。
編集者とのパワーバランスが大きいのだよね。生殺与奪の権を握っている相手に、正面から自分の考えを述べるのはやはりむずかしい。(件の編集者のツイートが炎上したのは、そのパワーバランスへの配慮に欠けていたからだろう)
僕の場合も、「自分の意見を言って出版できなくなるなら、それはそれでいいや」って思ってなかったら、特に反対することもせず、そのまま相手の提案を反映してたかもしれない。(なので今でも僕は、半分そんな気持ちでやるようにしている)

でもまあ、そのへん心配しすぎることも、ないんじゃないかなぁ。
相手の提案に異論をはさんで気分を害しちゃうみたいなことは、実際、あるんだけども、「提案は受け容れられないけど、感想や要望は大事にする」ということが伝わってれば、それだけで切られちゃうってことは、そんなにないんじゃないかなと。
実際、感想っていうのは、100%正しいものなわけじゃないか。
それら含めてまるごといらんよって邪険にしていったら、相手が怒ったりやる気をなくしちゃうのは、それは人として当然のことだと思うし。
そのあたりのバランスの取り方は、経験をしていかないと身につかないのだと思う。(自分に身についてるかどうかはかなり微妙)

どこまでいっても自分の主観

いろいろ書いたが、こうした考え方さえも、作家によっても編集者によってもバラバラなもので。
僕のこのスタイルは、どちらかというとマンガに近く(少年漫画の漫画家や編集者が似たようなことを言っているのはたまに見かけるが、小説方面ではみかけたことがない)、小説の作家のスキルとしては、ちょっとヘンなんだろうな…という気もしている。

でもまあ、もうどうしようもないし、とりあえず、思ったことを率直に話せることと、対話さえできれば、あとはまあ、なんとかなるんじゃないかなぁ…ならんかなぁ…とか、テキトーなことを思いながら仕事をしている。

とりあえず、作家をみたら「ガッカリするんです…!」とか、煽っておくといいと思う。

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