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エンタメ講座創作質問③

最後の質問は、これ!

Q. 

「おもしろい」「楽しい」はとても抽象的な感覚だと思います。
「おもしろい」本を作ってきた経験の上で、手応えのあるメソッドや、
いつも決まっているやり方、これだけは外せないもの、などありますか?
反対に、これは絶対にやってはいけないこと、などありますか?


たぶん、いろいろ考えて迷ってんだろうな~…と感じた質問。
公募に応募して落選したり、編集者に送ってボツになったり、そういう経験をたくさん積み重ねていくと、なるよね…。
『「おもしろい」ってなに? よーわからん!』ってさ…。

僕の回答はこうです!

A.  “自分の感じる「おもしろい」” なら、抽象的じゃないはず。


たぶん、知らず知らずのうちに、他人のモノサシで測るようになっちゃってんじゃねーかなぁ、と思い。

『人間にとって、「おもしろい」「楽しい」ってなに?』
これはさ、だれも答えられないわけです。
心理学とか脳科学とか哲学とかの組み合わせ。
脳みそに電極ぶっ刺して電気信号測るしかないやん。

でも、
『自分にとって「おもしろい」「楽しい」ってなに?』
これなら、もうちょっと話せることあるだろうと。
こういうキャラが好き! とか、こういう展開が燃える! とか、謎が解けた瞬間の爽快感が楽しい! とか。

なんというか。
『「おもしろい」本を作ってきた経験』なんて、だれにもないと思うんだよね。
作家も編集者も、『自分にとっておもしろい本』を、かろうじて作れるっていうだけなんじゃないかな、と。

僕はデビューして、出版って、そんな大層なもんじゃないんだな、と思うようになりました。
これは特に舐めているわけではなくて、単純に数の問題で。
だって、作家と担当編集者、あとは+αで編集長(決裁者)の、2~3人さえ面白いと思えば、その他の日本国民1億2000万人が全員つまらないと思っても、本にはなるし。
逆に1億2000万人がおもしろいと思っても、その2~3人がつまらないと思えば本にはならないし。

公募なんかもおなじで、公募で作品を読んでるのって、せいぜい10数人なわけじゃないですか。
「○○賞受賞作!」ってなんだかすごい気がするけれど、その10数人がおもしろいと思ったっていうだけで、1億2000万人がおもしろいと思うかなんて誰も知らないわけで。
さらに言ってしまえば、10数人全員が本気推しなんてしなくても、数人が強めに推してしまえば、ほかは「まあ、反対はしない…」くらいの温度感でも受賞できるわけで。
10数人の人間が、それぞれ千人万人単位を考えて話すので、そこに何百万人もいるように見えますが……煎じ詰めればその「数人」を射止めてしまえば良い、というだけなんじゃないかなとか。

なにが言いたいかというと、「たかだか数人」を考えればいいんじゃないかなあ? ということで。
1億2000万人を向いてしゃべろうとするから、抽象的だと思うんじゃない? と。
「おもしろい本」なんてものは存在しなくて、私かあなたかどこぞの誰かが、「おもしろい」と思いこんでる本があるだけで。
出版は思いこみでできている。


なので、シンプルに考えてみればいいんじゃないかな。

まずは「1人」の単位での「面白い」を考えてみる。
自分が面白いと思うものを、より精度高く書くにはどうすればいいか。
これはべつに抽象的じゃないでしょう。

で、それができたら、「2人」の単位で考える。
自分ともう1人(ある程度視野の広い人)が面白いと思うものを、より精度高く書くにはどうすればいいか。
褒めやすいところを褒めてもらう、みたいなのは簡単ですが、本気で面白いと思ってもらおうと思えば、この時点でめちゃくちゃむずかしい。
相当の技術力が求められるんじゃないでしょうか。

個人的には、そこまでで、十分なんじゃないかなぁ……と思います。
あとは運かなと。
「3人」がおもしろいと思ったら、それはフツーにヒット作になるポテンシャル十分じゃね? と思うので。

「千人万人」単位で考えるやり方は、デビューしてからいくらでもやることになるので、デビュー前からやりすぎないでもいいんじゃないかな…と僕は思ったりします。
いきなりその単位で考えるのは、迷走の元かなと。
…や、がっつり賞を狙いにいくなら、こんな話は忘れた方がいいかも、とも思うんだけども。(そもそも僕は賞を獲れたことがないしな)
でも個人的には、いろんな人の語る千人万人単位の思考って、突き詰めていくと自分の見たいところを見ているだけで、みんな腹の底ではなんのかんの、自分がおもしろいと思うものをおもしろいって言いたい! ってだけなんじゃないかなぁ…と思ったりもします。


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