肉焦がし骨焼く鉄板の上で褒められてのびるタイプ

創作してる人たちが、
「褒められてのびるタイプです!」とか、
「もっと褒めてもらいたい!」
とツイートしているのをたまにみかけるのだが、
もうひとつ共感できなくて、なんでだろう? と思っていた。

いや、僕も褒められたくないわけじゃない。
むしろ褒められたい。たいへん褒められたい。

でもそれは、
「褒められるとうれしいよね? OK! 褒めるよ!」
という、理性での選択が可能な範囲での話じゃなくて。

「褒めずに…!! 褒めずにいられるか…!!!!」
という、衝動的に、選択の余地なく褒められたいのだ。

そういう意味ではむしろ、褒められたい欲は、僕の方が強いのかもしれない。
僕の褒められたい欲は、焼き土下座に近い。

福本伸行「賭博黙示録カイジ」/講談社

「本当に面白いという気持ちで・・・胸がいっぱいなら・・・・・・!」
「どこであれ、褒められる・・・・!」
「たとえそれが・・・肉焦がし・・・骨焼く・・・・・・鉄板の上でも・・・・・・っ!」

↑ こんな感じに思っちゃってる。

だから僕がツイートすると、

肉焦がし骨焼く鉄板の上で褒められてのびるタイプです!
 もっと…褒めてもらいたい!(ざわ……ざわ……)

とかになっちゃう。
とんだサイコパス野郎だ。

「褒められたい」はそのとおりなんだけど、こちらの希望を汲み取ってもらいたいわけでもないというか。

どちらかというと、
「褒めずにいられないほど面白いものを書きたい」
だったりする。

とりあえず鉄板買いにいくのでだれか肉焦がし骨焼く鉄板の上で褒めて。

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