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テツガクの小部屋15 小ソクラテス学派①

小ソクラテス学派には、アンティステネスとキュニコス派、アリスティッポスとキュレネ派、エウクレスとメガラ派、パイドンとエリス・エリトリア派がある。

アンティステネスはソクラテスの徳をもっぱら行為において追求し、極端な求道的生活を実践した。彼によれば、人生において求めるはただ徳のみであって、徳の獲得に役立つところのないものは、他の面からはどれほど価値のあるものであっても「どうでもよいもの」(アディアボラ)である。また快楽は精神を軟弱にするため、当然排斥されるべきである。「快楽にふけるくらいなら、気違いになった方がましだ」と彼は言ったといわれる。また富・名声・礼儀・習慣など、市民レベルにおける一切の外面的善に対しても、彼は徳に関係なきものとして軽蔑を示し、ついには家、家族、財産など、通常の市民生活に要請されるすべてのものを捨てて乞食のような生活、換言すれば犬のような生き方をした。ここから彼の学派はキュニコス派と呼ばれる。彼は一枚のマントを二重にして着用し、ずた袋を肩からかけ、手に杖をもって乞食僧のように歩きまわった最初の人といわれる。このことによって彼は世俗的関心からの精神の独立性を保持しようとしたのである。

また徳に至るには「ソクラテス的強さ」があれば十分であって、多弁や学識は必要ないという。「ソクラテス的強さ」、何ものにも動じない堅忍不抜の意志の強さを養うために、彼は不評や辛苦をむしろよきものであるとし、労苦の意味を積極的に説いている。また徳はそれのみで幸福たるものであって、徳は自らの他に何ものも必要としないという。彼は徳の自足性を強調した。賢者、有徳の人は自足せる人である。

アンティステネスの存在思想はプラトンのイデア論に対するアンチ・テーゼとして位置づけられ、その形相論に反対した。それは彼が抽象的な普遍の存在を認めず、具体的な個物の存在しか信じなかったからである。彼によれば普遍的な形相といったものは存在しないため、当然また普遍の表現である抽象的概念も認められない。かくしてことばは、個々の事物に一対一の関係で対応する固有のことばしか可能でないことになる。ここから彼は、命題はすべて同語反復としてしか成立しないことを主張した。

参考文献『西洋哲学史―理性の運命と可能性―』岡崎文明ほか 昭和堂
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棒線より下は私の気まぐれなコメントや、用語解説などです
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ソクラテスの影響を受けたソクラテス学派には大きく分けて二つあり、今回紹介したキュニコス派と、次回紹介するキュレネ派がある。一方は乞食のような禁欲的生活を徹底してめざし、他方は快楽を徹底して求めた。源は同じソクラテスであるが、なぜこのように正反対の主張をする学派が、自分こそソクラテスの教えを守っていると主張したのかというと、それはひとえに、ソクラテスの多面的な生き方による。ソクラテスはあるときは裸足のまま雪道に突っ立って一日中考えに耽ることもあれば、饗宴などでは誰よりも多く酒を楽しんだ。ソクラテスの生き方のどの面を重視したかによって、正反対ともいえる主張をもつ二つの学派がのちに生まれたのはとても興味深いところである。

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