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イチゴたっぷりの焼かないタルトに挑戦!

みなさん おはようございます。
今日も早起きして書き留めて置いた原稿を見ながら投稿の準備をしています。

すずらん爺爺にとって最高に至福の時間です。
昨年の暮から今年1月を乗り越えてなんとか2月も無事に終わりそうです。

庭の小さな花たちも先日の雪に負けずに咲いています。すべて物事は一気には進みません。じっと堪えてその時を待つのです。

大地の中では生命が胎動しています。チューリップ、匕アシンス、水仙、クロッカスなどかすかに新たな生命が芽吹いています

忙しさと疲れから床屋に行けず先日の休みにさっぱりとスポーツ刈りにしました。そして今日の昼ごはんはペペロンチーノ、晩ごはんはお好み焼きが食べたいと要望が来ています。普段の感謝に応えて美味しいの作ります。

今日も投稿目指しじっくりと過去の記憶を呼び戻し書いて行きます。

早起きすることは自分を変えるもっとも簡単な方法です。いつも早いんです。休みも早いんです。先日は早く起きて確定申告をスマホでやりました。便利な時代です。

すずらん爺爺の料理記事に対し皆様の好きやフォロー心から感謝申し上げます。ノート継続の励みになります。その前に一言お詫びしなければなりません。コメントをくださっている方、記事購入の皆様に対し御礼申し上げます。ありがとうを伝えることがまだなされていません。 
今年は今まで頂いたコメントの返事を送ることを目標にしていきたいと考えています。大変失礼致しましたことをお詫び申し上げます。
ノート初心者すずらん爺爺はこれからも頑張ります!

さて、今日はこんな内容で綴っていきたいと考えています。

白鳥観察
流氷とハマナスの花
母親の記憶なし
妹との別れそして再会
海上保安庁東京水路部移動
北海道は最高だ!
幻のカニ
焼肉はジンギスカン
くなしリプロペラ曲がる
食べるものは自然から頂け!
かりんとうが大好き
ユリ大感動圧巻の通学路
ついに調理師入社
フォントネルと砂糖がけの苺
苺たっぷりの焼かないタルト

白鳥観察

屈斜路湖

北海道には白鳥観察の出来るスポットが近くにありました。屈斜路湖は11〜4月約500〜600羽飛来します。そして近くに天然温泉の砂湯もあり足湯に入りながら観察できます。

風蓮湖

風蓮湖 周囲96kmの大きさを誇る国内最大級の白鳥飛来地。3月下旬〜4月上旬と10月上旬〜12月中旬の2回飛来シーズンが訪れます。
餌が豊富で天敵に狙われにくい環境であることから毎年多くの白鳥でいっぱいになるのが特徴です。
その数は5000羽以上にもなりピーク時の光景は圧巻!

流氷とハマナスの花

北海道と言えば冬はオホーツクの流氷です。自然が作り出す大迫力の流氷ですが日本で見られるのは北海道だけです。そもそも流氷とは海に浮かび漂流している氷のことです。

アザラシ

組成に注目するといずれも海水が凍ってできた氷であり2月中旬から3月上旬ごろが流氷を見られる確率が高いす。

紋別網走知床は流氷街道と言われています。その流氷は中国とロシアの国境で生まれています。
北海道から遥かに1000kmにも及ぶ距離を旅して来る事実にはロマンを感じます。

クリオネ


今年はすでに2月上旬頃から見頃を迎えています。

流氷まつり

そして流氷が連れて来る生き物はその栄養をきっかけで植物連鎖が引き起こります。

流氷とともに現れるクリオネ、沢山の魚すると今度はそれを狙うアザラシや天然記念物のオオワシやオジロワシなどの貴重な生物が見られるようになります。

根室には観光スポットが3つあります。

野付風蓮道立自然公園
この世の果てと呼ばれるトドワラ
春国岱野鳥とハマナスの砂州

トドワラ!

冬は風蓮湖の白鳥、そして夏は野付半島のトドワラ春国岱は310種の野鳥観察さらにハマナスが一面に咲くのです。小さい頃からハマナスは海辺や海岸の砂地に6〜8月の間は咲いていました。50年前に知床旅情が大ヒットしたこともあり知られました。
懐かし花です。花言葉は「幸せの誓い」とあります。

ハマナスの花

母親の記憶なし

幼少期はどういう訳か母親の記憶は全くありません。小学2・3年頃まで親戚や近所の家にお世話になったようです。小学校の入学式は父親と行きました。だから母親の記憶は何一つありません。
一番大事な時に母親はいなかった。良い思い出は一つもありません。

妹との別れそして再会

一緒にいたよちよち歩きの妹がいましたが、いつの間にか生みの母親が連れていき寂しい思いがいつもありました。
その後父親は再婚し念願の新しい母親と弟ができました。
すずらん爺爺は結婚するときに奥様になる方に誓ったのは何があっても別れないという思いでした。
幼少の頃のことは何も話しませんでした。幸せの誓いはお話しました。

子どもの幸せを親の都合で壊したくなかったのです。
人生色々経験したことはすべて勉強になりました。

妹と別れてから14〜15年が経ってから再会する機会がやって来ました。

すずらん爺爺は根室海上保安部巡視船「くなしり」に乗船してから、そろそろ3年になろうかという時期に東京本庁の水路部測量船「昭洋」に移動の話しが決まりそうでした。

なので母方の叔父に連絡し妹の所在と何処の高校に通っているか聞いてもらい会いに行くことを決めました。

住み慣れた北海道を去るかもしれないので、ここで会わなくては一生後悔することとなるかもしれません。
おじと二人で通っている高校に行って
「兄貴が会いに来た」と叔父が告げ学校の帰りに二人で会いました。妹にしてみれば兄がいることは知っていても生まれてから一度も会ったことないのと一緒です。それはびっくりしたでしょう。

妹は泣きじゃくるだけで予想外の展開でした。会話はほとんど成立ちません。どこの馬の骨が現れて兄です!と告白しているようなものです。

準備期間は何もありませんでした。
突然すぎました。妹には驚きと悲しみを与えました。晴天のへきれきです。
本当に申し訳ありませんでした。

海上保安庁東京水路部移動

昭和52年8月に正式に移動が決まりもう一度ちゃんと会わなければと思い今度は家を訪ね生みの母親と妹に北海道を去ることを話しました。

あれからすでに50年やはりその時も会話になりませんでした。
悲しく寂しい思い出です。
テレビドラマのような感動的な出会いはありませんでした。

北海道は最高だ!

3年間お世話になった根室を巣立つ時が刻一刻と近づいています。道東は根室は良い所でした。阿寒湖、屈斜路湖、摩周湖、風蓮湖、紋別、網走、知床、羅臼、別海そして野付半島、トドワラ、春国岱、ハマナス、野鳥観察、流氷街道。

冬の摩周湖

幻のカニ

食べ物では駅前の蟹屋さんで茹であげていた花咲蟹姿は絶品でした。
今では漁獲量は50年前の10分の1となりすでに幻のカニとなっています。
漁期は7月から9月と短く根室近海しか生息していない大変希少なカニです。

焼肉はジンギスカン

北海道で焼肉と言えばジンギスカンでした。くなしりの通信科と賄い担当の衣糧科7・8人でたまに野外でジンギスカンパーティをしました。タレも自家製で薄切りのマトンスライスを専用の鉄板鍋で焼いていました。

そして冬の寒い時期はホルモン焼きです。これがまた美味しく酒が進みます。
一度羅臼に船が入港したとき、日本で一軒だけトドの焼き肉を食べさせてくれる店がありました。先輩と行きました。脂が乗りすぎて煙がもんもんと立ち込めて換気扇が効かないほど煙かったです。味は美味しいとは思いませんでした。

くなしりプロペラ曲がる

流氷は早くて3月初めごろ知床羅臼根室湾から太平洋へ流れます。遭難救助で緊急出港したときに稀に流氷の中を通らなければならない時がありました。ある時流氷がプロペラに巻き込まれ、とんでもない音がしてグニャリと曲がったことがありました。
その後船体が揺れる程の濁音で速度出ず救難活動が出来なくなり釧路ドックに入り修理したことがありました。

流氷は小さいようでも氷の下では何メートル級のもあるようです。
プロペラが曲がるほど氷は重くかたいのです。

食べる物は自然から頂け!

山ぶどう

幼少期の思い出は自然がいっぱいでした。炭鉱のある所は山に囲まれていることが多かった。
春は山菜わらび行者にんにく三つ葉炭住の横に水のきれいな小川が流れていてせりやわさびもありました。

こくわ

夏から秋には山ぶどうが熟して真っ黒になりよく先輩に連れて行ってもらいました。木によじ登って収穫するのです。コクワや木苺そしてキノコ味噌汁に入れたら絶対美味しいです。
夏に川で泳いだ帰りに農家さんに行ってカゴいっぱいの赤いすももと黄色いすももが買えたんです。そしてグスベリーは青いのは酸っぱいけど赤くなると甘くなります。

グスベリー

かりんとうが大好き

食べる物がなかったそんな時代だったんです。もちろんおやつなんてなかった。貧乏してました。
母親もいなくて不憫な思いをさせていると父親は思い親戚の家に父親の書いた手紙を持ってお金を借りに行ったこともありました。

そのお金でかりんとうを買って帰ったこともありました。だから今でもかりんとうが大好きです。学校の帰りはグスベリーの赤くなったのをよく頂きました。青いのは酸っぱいけど今流行りのスイーツなんて知らない時代でした。そんな幼少期でした。

ユリの大感動圧巻の通学路

エゾスカシユリ

炭鉱から町の高校に通う汽車からは右側は雄大な太平洋左側は山の斜面一面に何キロに渡ってエゾスカシユリが6〜7月の間オレンジ色の花を咲かせます。

それが見事と言うか空を見上げて咲くのです。海岸線に多く花言葉は飾らない美、子どもの愛そして私を見てとうったえています。
圧巻の通学路でした。

ついに調理師入社

2月1日からついに調理師が入社しました。すずらん爺爺よりも50歳若い女性調理師です。調理師専門学校卒業し2年間病院の調理を経験して来ました。将来の頼れるスタッフとして頑張って欲しいです。若いので呑み込みが早いんです。

フォントネルと砂糖がけの苺

野生苺の利用は石器時代にまでさかのぼるといわれるくらい古く、栽培されるようになったのは比較的新しく14世紀に入ってフランスやベルギーで始まったと言われています。

その後、北アメリカ原産の野生ヴァージニア苺と南アフリカの野生チリー苺の交雑種から出たアナナスサと呼ばれるものが18世紀中ごろオランダで作り出され、これが現在の栽培苺の素材となりました。

1819年にはイギリスで最初の大果品種が作られてイギリス、フランスを中心にヨーロッパ各地に広まりました。
アメリカでも18世紀末ごろからヨーロッパで育成された品種の栽培が始まり現在ヨーロッパと並んで大産地を形成しています。

日本では徳川時代(天保年代)オランダ人によって九州にオランダ苺が伝えられたのが初めてでオランダ苺と呼ばれていました。
明治33年(1900年)にフランスから導入した品種から福羽逸人博士が育成したものが福羽苺で、1970年ごろまで促成栽培の主要品種でした。最盛期は5〜6月ですが、最近では促成栽培の発達で1年中苺は市販されるようになりました。

静岡県の久能山の石垣栽培は有名ですが、ビニールでトンネルを作って栽培する方法が発達しています。

苺と言えば思い出すのがフォントネルです。彼は哲学者でありアカデミー・フランセーズの会員でもありました。
彼のグルメぶりは当時の社交界で有名でした。中でも好物はアスパラガスと苺でした。
彼はデザートに苺に砂糖を沢山かけて食べることが健康に良いと主張し彼自身、苺のシーズンにはそれを実践していました。

100歳になったある日病に倒れます。臨終が近づき彼の親友ラプラースがベットに近寄り「おやじさん、お加減はどうですか」と言うと「いつもと変わりないが、もう駄目だ、もし苺に砂糖をたくさんかけて食べられるならもう1年生きられるが・・・」と穏やかな微笑を浮かべ息を引き取りました。

残念なことに、現在のように1年中苺はあるわけでない1757年1月4日のことで、苺のオフシーズンでした。

時代は変わって今。食べ物は豊富ですが、苺のあの愛らしさはケーキ類になくてはならないもののようです。
すぐ売り切れてしまうのがショートケーキ、ミルフィーユであるというのが何よりの証拠です。

さぁ  みなさん!

『いちごたっぷりの焼かないタルト』

に挑戦しましょう!

記念日やホームパーティなどでも喜ばれる華やかなイチゴたっぷりのタルトです。市販のカステラも入った超美味しいカスタードクリームをみなさんでご堪能下さい!

今日も長文にお付き合いくださいましてありがとうございました。

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