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てるてる坊主[短編小説]

てるてる坊主

てるてる坊主 てる坊主 あした天気にしておくれ
いつかの夢の空のよに 晴れたら金の鈴あげよ

てるてる坊主 てる坊主 あした天気にしておくれ
わたしの願いを聞いたなら あまいお酒をたんと飲ましょ

てるてる坊主 てる坊主 あした天気にしておくれ
それでも曇って泣いてたら そなたの首をチョンと切るぞ
                        
浅原鏡村



「私の家に伝わってきた話でございます」
 齢七十程かと思われる着古して所々よれているシャツを着た男性が、孫たちの庭を駆けるのを縁側で眺めながらゆったりと話し始める。その隣には大学生だろうか、郷土史について話を聞きに来たという二十歳前後の男子がペンとメモを手に話を聞いている。
「これは私共の先祖の小糠売こぬかめというこの土地の百姓が、子供の頃に体験したことに彼が解釈を付け加えて童話のように子供達に話したのが始まりだと聞いております。そのため、何処までが事実で何処からが中二郎の作り話なのかは、私共にもわかりません。それでも、この話がなにかの役に立てるのなら、話を伝える者としてそれ以上に嬉しいことはございません。是非とも最後まで聞いていって下さい。
「天平八年の頃の話でございます――」


 天平八年の話である。その頃平城京では――いや、日本各地、唐から持ち込まれたという痘瘡が蔓延し、感染者、死者共に多く出た年であった。それは小糠売の住む芦田郡の田舎までも例に漏れず、百姓家の者は次々と感染し、穂を狩る時期だというのに、動ける人全員で丸一日掛けても農地の一角も作業が進まない程だった。
 その時小糠売はまだ七つの子供であったが、ここ数年で働き手が減ってしまったために周りの大人と変わらない量の作業をさせられた。一日中農作業をし、夕方になると体が言うことを聞かなくなり、歩くのも覚束なくなるほど疲れ果てるが、小糠売はその日の仕事が終わると必ず西橋寺という家から一番近い寺に向かった。
 小糠売には三つ下の比呂賣ひろめという妹があった。比呂賣は数日前から痘瘡にかかったらしく全身に瘡ができ、高熱にうなされ、見るのも耐えない姿になっていた。比呂賣に痘瘡の症状がではじめた頃から小糠売は夕方必ず西橋寺へ行き
「妹のあばたを治してください。ひろは言うことよく聞き、わがままを言わないとても良い子です。ですからお願いです。ひろのあばたを治してあげてください」
 と、痘瘡とあばたとを勘違いしながら見えもしない仏に手を合わせてから帰路につくのだった。
 ♦
 ある日小糠売がいつものようにくたびれた身体に鞭打って西橋寺へ向かうと、小糠売が見たこともない濃紺の派手な身なりをした男と、若い住職が話しているのを見た。小糠売はいつものように祈ってすぐに帰ろうとも考えたが、普段は人の一人もいないひっそりとした夕方の西橋寺に珍しい人がいた事に好奇心が勝り、身体の疲れも忘れ二人の話をこっそり聞くことにしてしまった。
 男は、見た目に合わないか細い声で住職に縋りながら頼み事をしているようだった。
「どうか、どうか病に効く祈祷をしてくだされ。一人娘の佐久良賣さくらめが天然痘にかかってしまった。このままではいつか死んでしまう」
「分かりました、落ち着いてください。中へお入りください。今和尚様を呼んで参ります。話はそれから致しましょう」
――程なくして二人は寺の中へ入ってしまい話も聞こえなくなった。日ももう完全に沈んでしまい、小糠売も疲れのために石階段に腰をかけたままうつらうつらとしてきたため、いつもと同じ文句で仏に祈り、家に帰ることにした。外にもう人は居らず、ガチャガチャとした姿も見えない虫の鳴き声の中、息を荒げながら稲のまだ残る田んぼ道を駆けた。これは小糠売が大人になってから知ることだが、あの男は備後守の上道斐太都という、後に正道を名乗る地方豪族の一人であった。
 ♦
「母上、ただいま戻りました」
 小糠売が家に戻ると妹と、枕元に座る母がいる。たとえ少し早く起きても、夜遅くなろうとこの風景は変わらなかった。そして母が小糠売を見る度蝿の羽音のような声でこう言うのだった。
「ごめんねぇ、小糠」
 小糠売はこの声を聞く度にひろと、母上と一緒消えてしまうのではないか、という漠然とした謂れもない不安と共に涙が込み上げてきた。
「大丈夫です、母上。小糠は大丈夫です。明日もきっと父上よりも多くの米を刈り取りましょう」
 母に話しかけられるときっと小糠売は明るくこの言葉を言った。本当に平気なように、大丈夫なように、笑顔を向けて答えたのだった。
 その後は大ぶりの茶碗に半分も盛られない米とほんの少しの塩をかき込んですぐに床についた。
 ――疲れ果て深く深く眠る小糠売を、父が大切にしていた譲り物のヒビの入った伎楽面が愉快な顔をして眺めていた。
 ♦
 比呂賣の様態はまるで神仏が兄の気持ちを嘲笑うかのごとく日に日に悪くなっていた。
「水をちょうだい、水がほしい」
「ごめんねえ、ひろ、水は上げられないのよ。上げちゃだめなんですって。掛けているものを取ろうとしないでちょうだい。ね、ひろ。泣かないで、いい子だからね……」
 小糠売は横に見える惨状に見えない振りをしながら
「行って参ります。母上、比呂賣」
と、そっと一人でいった。一度大声で声をかけたら、比呂賣があまりにも兄について行こうとかしたため、それからはそっと家を出るようにしていたのだ。
 小糠売は家から田んぼまで毎日駆けて行った。妹と母親とできるだけ共に居たいという願いを自己の中からかき消しながら。
 空の雲は一昨日から段々と地に近付いていた。小糠売が自分の場所につくともう数人の大人達が集まって作業を始めていた。
「小糠、今日で作業を終わらせてしまうぞ。この調子だと明日は雨だ。米の収穫をこれ以上遅らせる訳にはいかねえ」
 農地の人達はいつだって小糠売に優しかった。小さい時に父を亡くした小糠売にはほとんど彼等が父親の代わりだった。
「はい!」
 農地中に響くような返事をした後、いつものように収穫を進め、辺りが暗くなった後に全ての農作業が終わった。
「お疲れ様」
「お疲れ様でした」
「また、あそこに行くのかい」
「はい、ひろには早く良くなって欲しいですから」
「妹想いだね、今日は一段と遅くなったから、気をつけるんだよ」
「ありがとうございます」
 そんな会話を農夫としながら、彼は西橋寺へ向かった。刈り取られた田んぼともう声のしなくなった虫を見ながら。
「今日も居る……」
 上道斐太都はあの日から毎日この時間帯に祈祷に訪れているようだった。小糠売は何度か一緒に妹の祈祷もしてもらおうかしら、なんて思ったが祈祷を頼むお金も時間もなかったためいつもあの文句のみで祈って帰ってしまうのだった。
 ♦
 次の日のことだった。比呂賣が朝起きたら死んでしまっていた。昨日から吐血と下痢が酷くなったという。比呂賣の上に涙をこぼし続ける母親を置いて、小糠売は外へ走り出た。母親は小糠売が外に出たことに気づいていたらしかったが、止める気力も無くただ亡くなった娘の隣に座っていた。
 大雨の振る中を小糠売は西橋寺へ一心に駆けた。周りの百姓が驚き外に出るほどまで大きく泣き声を上げながら。
「ひろも、母上も毎日頑張っていたんだ。ひろが死んだのは仏様のせいだ。仏様がひろを殺したんだ」
 西橋寺へ来た理由は小糠売にも分からなかった。ただ妹を殺した仏が許せない、その心だけが体を突き動かした。
 いくらか落ち着いた小糠売は涙を零しながら寺の石階段を登った。すると西橋寺にはこの時間にいないはずの上道斐太都が寺の僧と話していた。いや、どちらかと言うと斐太都が一方的に僧を責めているように見えた。それに怯えた小糠売は石階段見ていることしか出来なかった。
「……佐久良賣が今日の朝に亡くなった」
「其れは大変遺憾な……」
「吾は毎晩ここへ来て祈祷をしていたんだ!佐久良賣が死んだのは手前らのせいだろう!」
「何を仰って……」
「吾の大切な一人娘を殺しやがって!」
 辺り一面に響く声で斐太郎が叫ぶと胸にしまっていた小刀をぶすりと僧の首へ刺してしまった。一度刺すだけでは飽き足らず二度も三度も体へ小刀を抜き差ししながら
「佐久良賣は毎日毎日苦しいと泣いていたんだぞ!この苦しみを知れ!」
と泣きながらずっと言っていました。周りの住職は止めるにも止められず、僧の殺される姿を立ちすくんで見ているだけだった。
「もう、顔も見たくはない」
 と、小さい声で呟いたと思うと、急に近くに掛かっていた干してある掩腋衣を持ってきて僧に被せ
「佐久良賣は手前よりもっと長く苦しい思いをしながら死んだんだぞ!」
 と叫ぶと満点川という寺のすぐ側を流れていた川に投げ込んでしまったのだった。すると不思議なことに、大雨だった筈がその村の周りだけ雲に穴が空いたように晴れたのだった。
 小糠売は怖くなってしまい、川に僧が、投げ込まれた辺りから石階段を駆け下りて家に戻ってしまった。
 ♦
 母親は変わらず比呂賣の隣にぼんやりと座っていた。小糠売は涙を拭きながら
「母上、空が晴れましたよ。きっとひろが天国まで行けるように仏様が雲に穴を空けて下さったんです。いつまでもそうしていてはひろも安心できませんよ。河原の父上の隣にひろを埋めに行きましょう」
 と母親に笑顔で言った。


「その後、小糠売とその母は二人で河原に埋葬したそうです。それから小糠売に子供ができた時に、この話を聞かせ、子供が布でものを包んで晴れるように願掛けをしたことが今のてるてる坊主の始まりだそうです。
「どうでしたか?」
 大学生の男子は
「ありがとうございます!おかげで良いものが書けそうです」
 と満足気に言った。
「おじいちゃん、おじいちゃん」
 男性の孫達が嬉しそうに走りながら言った。
「明日ね、僕達保育園で遠足に行くんだ」
「そうかい、楽しみだね。遠足に行くなら晴れるようにてるてる坊主を作っておかなきゃ行けないね」
「うんっ!おじいちゃんも一緒に作ろう」
「わかったよ」
 大学生の男子はありがとうございましたと微笑ましい光景を前に笑顔で言った。
「ああ、言い忘れていたことがあったよ」
 孫に手を引かれながら男性が言った。
「てるてる坊主を作って、本当に晴れた日は僧侶様の苦労を労って、てるてる坊主にその当時高価だったお酒をあげるんだよ。その時の僧は豊作祈願や疫病祈願で寝る間もないほどだったからね。その上あんな最後だったんだ、せめてお酒ぐらいはあげてあげようよ」
 ♦
 大学生の男子は甘い酒を一瓶持ちながら西橋寺の石階段を登った。青い青い澄み渡った空の下で――

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