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お米作り・・・その壱:我が家が手植え・手刈りのお米作りをする理由

一週間、ず~っと田植え仕事で、ようやく一息ついています。
まず先週の日曜日、久一さんの息子さんが田搔きに来てくれ、
夫が“えぶり”で田んぼを均したのは前回書きました。
その間、育ってきた苗は田んぼの畦に避難。

田植えが終わった家前の田んぼ

その苗を田んぼの周囲に配置し、月曜日から田植え開始です。


これから植えるゾ! 道向こうの田んぼ

我が家が借りている田んぼは、家の前と、針畑街道を挟んだ向こう側の2つ、
併せても7畝もないぐらいの小さな小さな田んぼです。
どうしてそんな小さな田んぼの田植えに一週間もかかるのかと言えば
田植え機など機械を使わず、全部人力で行う“手植え”を行うからです。

「どうして手植えに拘るんですか?」と聞かれることがありますが、
答えは簡単、我が家は農家ではないので、田植え機などの機械類を持たないから。
(夫は、我々は百姓ではなく、十姓だと言いますが・・)
だから、自分たちでお米を作ろうと思うと、
昔ながらの機械を使わないお米作りをするしかありません。

とは言っても、たとえ7畝でもされど7畝。
昔ながらに、鍬を使って起こして耕すのは、
現代人で高齢者となっている私たちでは体力的にも無理!

そこで、折衷案、
田起こしなどは持ち主の久一さんのトラクターでやってもらいます。
苗を作る際の育苗器は久一さんのものが我が家に居座っています。
なにしろ、標高300mの山間の我が家は、気温が低いため、直植えではなかなか育ちませんから。
最後の籾すりだけは、昔ながら瓶に詰めて搗く、とか水車で搗くとかまず不可能
なので、これも久一さんの籾すり機でやってもらいます。

というわけで、我が家のお米作りは、久一さんが「もう無理」と言うまで、
そして我々の力が続く限り、細々と続ける予定です。

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私たち夫婦が書いた本です。

奈良時代に木材を平城京へ搬出した記録が残る山村、滋賀県高島市朽木小川には、筏流しの神を祀る思子淵(しこぶち)神社への信仰をはじめ、昔ながらの民俗行事が受け継がれてきた。榊治子・著者が、おばあさん、おじいさんによる語り言葉をそのまま用いて、集落の寺事、祝い事、普請、山仕事、麻布作りのことなどをまとめた、学者による記録とはひと味違った民俗誌風フォトエッセイ。

ボク、 ゴン太! 大阪から父と二人で、滋賀の奥山・朽木小川に移住。柴犬・ゴン太くんとの奥山暮らしを、写真と文で綴る一冊です。

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