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【緩和ケアはコミュニケーションの場~医者と患者と家族を繋ぐ大切な役割~】後半

~前半の振り返り~

緩和ケアを極めたいと決断し、コミュニケーションの取り方によって、仕事に大きな影響があることを知ったMさん。この後看護師として、また、緩和ケアを極めていくことで、どのような気づきや体験があったのでしょうか。ご覧ください。

《インタビュアー:銘苅美都子 研究員 ライター:加藤京子》

~後半~
5 無力感と恐怖の正体とは?
6 無力感がどんな影響を与えましたか?
7 緩和ケアの看護師として伝えたいことは何ですか?
8 自分を知ったことの喜びとは?

◆編集後記◆

前半はこちらから
https://note.com/vast_eagle460/n/n867403992a4c

5 無力感と恐怖の正体とは?

私は現在、看護師長さんのお陰もあり、無事に認定看護師の資格をとることが出来て緩和ケアの看護師をしています。

重要な役割は、担当医と患者様とその家族を繋ぐ立場だということ。そして、患者様本人が、人生の最期を迎える時に、どう関わって行けるのか?
また、ご家族の方々が後悔のない看取りができるようなサポートを心掛けています。
看護とは「一生が学びであり、ゴールなんてない世界だ」とも言われています。
ですが、私自身ミロステクノロジーを知れたことで、看護の在り方、コミュニケーションの取り方など、自分らしい看護の在り方に出会えました。仕事がより楽しくて仕方ありません。
“自分らしい看護”とはどういうものなのかということを、現場を経験するたびに感じています。
この思いに辿り着くまでは、とても大変でした。
というのも「無力感と恐怖」をかかえて仕事をしてきていました。
ミロステクノロジーを知り、父と母を理解することがいかに大事であるかを知った私は、両親の生い立ちを見ていき、一つひとつクリアにしていきました。

実は父親は、私が26歳の時に自宅で孤独死をしていました。病気の父を介護しようとわざわざ呼び寄せ近くで住まわせていたのに、父の最期を看取ることが出来なかったことに“無力感”をいだくことになりました。

父は、7人兄弟の末っ子として育てられ、父が20歳になったある日、兄弟から『お前の本当の親は、兄弟の一番上の姉だ』と聞かされたのです。姉と思ってた人が自分の実の母だったと言うのです。また、私を置いて家を出て別の世帯をもっていたということでした。実の父はすでに亡くなっていたというのです。
信頼していた家族みんなに20年も隠し事をされて、父はとても傷つき『この事実は一生知りたくなかった』と言っていたそうです。それを結婚前に母に打ち明けたそうです。

母と結婚してから、やっと信頼出来る自分の家族ができて大切にしようと頑張っていたと思います。
ですが実際は父は仕事をしなくなりアルコールに依存し、父と母は、互いにわかり合えない存在となり、そして両親は離婚しました。その後、父は糖尿病や様々な病気にもなり最後は自宅で一人で亡くなっていたのです。

また母は幼い時に、弟を2人亡くしています。1人は池に落ちて事故死。もう1人は病死でした。その時に、私の祖母(母の母)が泣き崩れる姿を目撃し、母にとっては辛い出来事だったと話してくれたことがありました。
愛する我が子を失う祖母の悲しみはとてつもなく、また母自身も可愛い弟を失ったことで、“大事な命を失う恐怖”を持ち合わせていただろうと思います。

失う恐怖を持っていた母は、私達を可愛がればかわいがるほど、失った時の喪失感が大きくなると思い、私たちとの距離をとって無関心で冷たくすることしかできなかったと思います。

両親の思いを理解できたことで、心にポッカリと穴が空いていた部分が埋まり、満たされ、癒されていきました。

家族間で上手くコミュニケーションがとれない不調和な家庭に、私はひどく心を痛め、なんとか家族が仲良くなるようにといつも必死でした。
ですが、結局は家庭が崩壊してしまったことに“無力感”でいっぱいだった自分を知りました。


6 無力感がどんな影響を与えましたか?

親がどのように生きてきたのかが分かったことで、自分の中の無力感についてこんな体験がありました。
父を孤独死させたことの無力感を昇華しきれてなかった私でしたが、ミロステクノロジーを学ぶなかで、ある時講師からこんな言葉をもらいました。
『無力感を持っているということは、そこに真剣に向き合っているからこそなんです。
“父親への愛”がなければ絶対に、無力感は生まれてこない感情です』
と言われた時に、私はまさかの言葉に大号泣しました。

父は子どもに罵声を浴びせたり、訳もなく何時間も怒ったり、理不尽に感じることも沢山ありました。そんな父に対して“愛があった”とは思えてなかったのです。
講師に言われた“愛がなければ無力感は生まれない”の言葉に、これほどまでに涙が溢れている自分に驚きました。

その後、父親を失ったときに感じていた無力感と同じように感じる患者さんがいらっしゃいました。

その方は誰にも心を開かず、病院内でもどう接して良いのか分からない状況でした。
そんな患者さんを見て、私は思うのです。
「患者さんは何を訴えているのだろうか?」
「今まで、どんな人生を生きてきたのだろうか?」
そこに興味があった私は、その方に何度も話しかけてみました。
「何か貴方に役に立つことがしたい!」と言ったことで、ようやく心を開いてくれて、その後は担当医と看護師の間に入り、「彼が望んでいることは、〇〇〇〇ですよ」などと通訳的なことをしていました。

そんな患者さんが、最期をむかえた時に、私は何も言えず、ただただ「ごめんね」しか言えませんでした。もっともっと患者さんに出来ることがあったのではないのか!と無力感を感じ泣けたのです。
真剣に患者さんと向き合っていたからこそ、そこには“愛があった”と言われた講師の言葉がよぎりました。
患者さんに感じた“無力感”と父に感じていたものが全く同じだったことで、私は漸く“父への愛”があったからこそだとハッキリと分かったのです。

この体験と、無力感とどう向き合い、理解できたことで、私は患者さんと家族への関わり方が全く変わっていきました。
無力感を受け取ってから、罪悪感から看取りをすることがなくなり、患者さんへも家族へも精いっぱいの愛をもって看護できるようになりました。
とても楽に仕事が出来るようにもなりました。

7 緩和ケアの看護師として伝えたいことは何ですか?

緩和ケアに関わってる方や家族の方に感じていることです。
亡くなっていかれる患者様に何もできない“無力感”を感じる方は多いと思います。
自分の安易な一言が、患者さんや家族を傷つけるのではないのか?など、コミュニケーションを取ることに“恐怖”が出てしまうことがあるのは、どこかで分かっていました。

患者さんと家族との空間を大事にしようと思うこともあって、看護師は敢えて入らないというのも一つの方法でもあるかもしれません。
ですが、むしろその大事な時だからこそ看護師として、一人の人間として
【聞くこと・対話すること】で患者さんや家族が癒されることがあるのです。
「患者さんがどういう人生を歩んでこられたのか?」
「家族が何を感じて、今どんなことを思っているのか?」
ただただ吐き出してもらうこと、聞かせてもらうことで本音が聞けて、関わっていけることもあると思います。
そして、亡くなられて初めて家族として「これで良かったのか?」と考えます。それはとてつもなく長く、辛く、寂しくてどうすることも出来なかったことに“無力感”を感じてしまいます。時間が経過しても消えることはありません。

ある時、母親の緩和ケアをしていて、答えが出せずに悩んでいた娘さんからこんなことを言われました。
「看護師さんに聞いてもらったことで、母の最期に立ち会う時の気持ちの整理ができました。それまでの母とのやり取りや感情を誰にも言えませんでした。聞いてもらったことで母の思いも感じられて、とても楽になりました」と娘さんが言ってくれました。

そのあと担当の医師から、その娘さんのことを、
「娘さんの様子ですが雰囲気が全く違っていて、明るくなった感じでしたね。昨日、話を聴いただけであんなに変わりますか?凄いですね。話を聴いていただきありがとうございました。」と言われたのです。
娘さんが癒され解放されることで、担当医からもそのような言葉をいただくことは、私にとっては嬉しい出来事になりました。

患者さんのご家族は、患者さんの最期を見届けるうえで、どんなに大変なことがあったとしても、なんでもやってあげたいと考えている家族は多いと思います。
だけど患者さんは、家族に迷惑をかけてしまうかも、と思うと本音すらも言えないこともあると思います。
様々な現場を経験してきた私は、患者さんと家族が、お互いのことを思いあっていることを知っています。
コミュニケーションエラーがあって、言いたいことを言えないケースがあっても、そこにはお互いを想い合う“愛がある”ことを分かっています。
こうして、患者さんと家族とのお互いの思いを伝えられるのも看護師として重要な役割だと思って仕事をしています。

8 自分を知ったことの喜びとは?

緩和ケアの知識、技術も素晴らしい方たちも沢山いると思います。ですが、自分らしいコミュニケーションの取り方で緩和ケアが出来て、自信を積ませてもらっていると感じています。

“聴くこと・話すこと・表現すること”など、あらゆることを吸収している段階です。

私は、信頼していた人に何度か裏切られる体験もありました。
当時は相手を恨み、“自分なんて愛されないし誰からもわかってもらえない”とずっと思っていました。

事象だけ集めると本当にかわいそうな人生だったなと今は笑えます。
ミロステクノロジーによって“自分を知る”ことを求めてきたことで、“自己肯定感”が上がり“この人生で良かった”と心の底から思えて、緩和ケアの看護師で働くことが、楽しくて仕方ありません。

相手を通して自分の間違った思い込みがはずれていき、辛かった体験があったからこそ、人の痛みや喜びが分かります。

父に対して“無力感”も消えて、今は両親への愛を感じ感謝でいっぱいです。

自分の人生を俯瞰して見たときに、沢山の方の“縁”のもとに導かれて生きてこれたことを感じています。

メンタルが弱いと思って生きていた自分だったけれども、
“自分が自分を信頼している”からこそ、周りに認めてもらえることがとても嬉しいです。

今はまだプロセスの途中です、でもこんなもんじゃない!し、これから恩返しがしたいと思っています。
自分の生まれた意味、生き方、これから創造していく世界にワクワクが止まらないです。
今、私は全く違う人生を生きています。

◆編集後記◆

「心のケア」に携わることをしていきたいという小さい頃からの想いをもち、現在緩和ケア認定看護師として働くMさん。

看護学校の卒論のテーマを「コミュニケーションについて」とするほど、『コミュニケーションの重要性』を感じ大切にされ、そして患者と医者の橋渡しとして日々Only Oneの看護をされています。

特にインタビューで胸を打たれたのは、Mさんにとっても影響のあった
「病気を看るのではなく、その人を見る」
ということ。

自分の人生の最期は「この人生でよかった」と言える人生でありたいという思いに忠実であること。
でしたが、亡くなっていかれる患者に何も出来ない無力感を感じたり、コミュニケーションを取ることに恐怖を感じた体験の全てに愛があることを知り、乗り超えることが出来たことは、自己信頼になり、Mさんの現在に繋がっていると思われます。

そして全体を通して
そのモットーにしていることを元に、看護師として1人の人間として、患者だけでなく患者の家族、そして医者一人ひとりに真正面から向き合い、「聞くこと・対話すること」をされている真摯な姿が眩しく、人間性や医療者としても魅力的な女性だと感じさせていただきました。

今回の投稿は、医療者だけでなく、どんな方にも『コミュニケーションの大切さ』や『生き方』について考えるきっかけやヒントになれば幸いです。


《インタビュアー:銘苅美都子 研究員 》

(株)ミロス・インスティチュート
https://www.mirossinstitute.co.jp/


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