孤独について思うこと -「アルジャーノンに花束を」を読んで

「アルジャーノンに花束を」を読んだ。昔からタイトルは知っていたけれど、なぜかこれまで読んでいなかった本。

私は、チャーリイのように発達障害があるわけでもなければ、様々な分野に精通して新しい発見を次々とできるほど頭がよいわけでもない。
だけど、チャーリイの書いていることが、すごくわかった。

どうせ誰も読まないのだから、自分のことを好きに書いてもいいよね。

私はたぶん、何かを理解したり考えたり、新しいことを覚えたり外国語を習得したりすることに関しては、人より能力が高いと思う。もちろん上には上がいるから、平均よりは高いくらいだけど。
物心ついたときからそのことが誇らしくもあったし、好奇心が能力によって制限されることがなかったから、勉強も遊びもとても楽しかった。

だけど、それと同時に孤独もあった。
「〇〇ちゃんは出来るから大丈夫だよね」と、親も先生ももっと手のかかる子のほうに行ってしまう。
新しいことを学んで、それが楽しくて、他の人に嬉々として話しても「難しいからわかんない笑」と笑われたり、「それはまだ習っていないよね」と叱られたりして、何かとても悪いことをしたような気分になった。

高校に入ってからは、周りの友達も先生もそんなことは言わなくなって、人と話すのがただ楽しかった。

大学も、行きたかったところに行けた。
子供のときから憧れた研究をできることが誇らしくてわくわくした。

だけど、ある時から、何の疑問も好奇心も湧かなくなって、何をするのも億劫になった。
研究室に向かうモチベーションが、純粋な好奇心から、「怒られないために」とか「社会からドロップアウトしないために」とかいったことだけになっていった。
そんな自分を愚かだとも思った。昔の自分が今の自分を冷ややかに見て、残念そうな顔をしているのが見えた。
昔の自分ならもっとできたはずなのに、と熱意を持てない自分を悔しく思った。

それでも毎日研究室に行って研究をして、無事に修士号をとれた。
「私なんかが修士号を持っていていいのだろうか」としか感じなくて、ちっとも嬉しくなかった。だけど安心はした。これで親を喜ばせられるだろうし、社会から零れ落ちないで済む、と思った。

会社に入ってからも同じだった。
周りの先輩からは「どうせ頭いいのだから」「俺たちより給料もらっているのだから」(きっとそこまで露骨には思われていないのだろうが、どちらかというとこういう気持ちだろう)と思われて(いるように感じることもあって)、孤独を感じた。
先輩たちにはよくしてもらっているとは思う。居心地悪く感じることがあるのは、私のせいである。ごめんなさい。

反対に、社長や上司は本当に頭がよくて優秀で、わからないことを質問したらキレられたりもした。
質問するタイミングや質問のしかたは考えていたし、社長や上司が理不尽にキレることは他の社員から聞かされていたから、
まあ、キレる方がおかしい部分もあったのだろう。
だけど当時の私は「私が頭が悪いから、能力が低いから怒られたのだ」と感じた。

人は誰しもチャーリイのような状況になるんじゃないだろうか、と思う。
ある時は周りの人より優秀で、ある時は周りの人よりできないことが多くて……
きっと、他の人より能力が高くても、低くても、どちらでも孤独を感じるんだろう。また、過去の自分と比べてできないことが多いと感じる時期は、焦りや怒りを感じるのだと思う。

そういうことを、本を読んで考えた。
数日後、数か月後、数年後には、また違う感想を抱くようになるかもしれない。



ここからは本を読んだ感想とは別のことになってしまうから、分ける。

ーーー
上に書いたことは、客観的に見たらあまちゃんでしかないのだろう。
社会とは理不尽なものらしいから。
私だって、せいぜい修士課程の研究活動で鬱病になる程度の人間だったというだけだ。もちろん鬱病になる人のことを、そうやって軽く見ているわけではないけれど。

だけどこの春職場に後輩が入ってきて、わからないことを聞かれたり、自分が他の仕事に追われている時に声をかけられても、まったくキレようとは思わない。
それどころか、なるべく次からも声をかけやすくなるように応対しているつもりだ。
相談してもらえてうれしいし、自分が相手より上の立場である以上やさしく接するのは当然のことだ。
理不尽にふるまう大人から「社会は理不尽だから我慢しろ」と言われるのはやっぱりちょっと、なんだか腑に落ちない。


ーーー

転職を考えている。
まだ決まっていないけど。

中学生や高校生の時は学校の先生になりたかった。
教育学にも興味があったから、大学では専攻とは別に教職課程をとって高校の教員免許を取得した。

大学の時に仲良くしていた友達の一人から、「この大学に来てまで教員になるとか負け組でしょ」と言われた。
自分はそう思わなかったし、先生になる予定だった他の友達のことをかっこいいと思っていた。ただ単純に、好きな友達からそんな風に言われて、とても悲しかった。
そのせいではないけど、教員という仕事に就くことはやめていた。
今は、なりたい気持ちがまたふつふつと湧いてきた。

最近、発達障害とかに関係する本を多く読むようになって、特別支援学校の教員とかにも興味がでてきた。
「アルジャーノンに花束を」を読んだのも、なんとなくその興味の流れからだった。

でもまあ、こんな軽い気持ちでなれるもんでもないだろうから。

う~~~~ん、どうしようかなあ。


誰かの役に立ちたい。

今の会社に入ったときもそれは思っていた。ここで長く働くつもりだった。会社が悪いわけではない、かもしれない。わからない。悪くないよ。
私が悪いのかもね。それもわからないけど。

まとまらないな。


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