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輪郭をはっきりさせたい

ここ1ヶ月ほど、食べることのコントロールが効かない状態が続いている。
以前からのことだけど、あっても週1,2回とかで毎日のように続くのは6年ぶりのことなので、さすがにおかしいなと思い、オンラインカウンセリングを久しぶりに受けた。

話の中で印象に残ったのは、自分という形がぼやーっとすることはありますか?と聞かれたこと。
最初は何を言ってるんだ?と思ったけど、徐々にその意味が腑に落ちてきている。

昔からこれといった没頭できる趣味がなく、社交辞令で「趣味はなに?」と聞かれても「趣味がないのが悩みなんですよね〜」と答えるのが定番のやり取りだった。
仕事も、苦手なものから逃げた結果やっているものであって、やりたいからやっていることではない。自分のアイデンティティとはなり得ない。
将来どうなっていたいか、やりたいこと、目標とか聞かれてもそんなものはなくて、嫌でもやってくる毎日をただこなしているという感覚。

ここのところ、何かしらの理由で常にどこかの病院に通っていて、ひとつ治ったらまた他の所で不調が現れる。もしかして、「病院に通っている自分」をアイデンティティと思っているんじゃないかってぐらいに。
(今は生理が半月くらい遅れているのがずっと気がかりである。多分ホルモンバランスの乱れなんだろうけど)

カウンセリングで言葉にしてみて気付いたことなのだけど、食事を適量で終わらせられず限度を超えてしまう時、喉(食道)までを全て何かで満たしたいという感覚になっている。それって、自分の形が曖昧であるが故に、せめて物理的なもので輪郭をはっきりさせたいということなのかなと思ったりもした。

満たすものは食べ物でなくても構わない。例えば、感動的な映画を観た時や、悲しくて涙をこらえている時、喉が詰まった感じがして食べ物が通らないことがある。 

カウンセリングの人からは、依存先を増やすようにと言われた。そんなことはとっくの昔に知っているんじゃいと反論したくなったのをグッとこらえたのはここだけの話である。

でも、改めて考えてみて、自分の好きなものは何かと聞かれて真っ先に出てくるのは音楽だ。音楽を聴くことも、楽器も歌も演奏することも、ワンフレーズ考えることも、みんな好きだ。
長い時間没頭することができない私でも、3,4分の曲を聴いている間は他の全てのことを忘れることができるし、うつ気味でバラエティものを見れない時でも無心で音楽だったら聴けることがある。

好きな音楽を能動的な活動の題材にすることで嫌いになってしまうのではないかとも思ったけど、おそらくこれは私の得意な予期不安だと思うので、やってみなけりゃ分からない精神で一度試しにやってみようかなと思っている。良さげなのが見つかったら。社会人の合唱団に。

前は仕事がシフト制だったのを理由になかなか踏み出せなかったけど、今の仕事なら曜日固定だし、しっかり睡眠時間も確保できていて休日に動く体力もあるから、やるなら今かもしれない。

コロナ禍明けて、色々気になってた合唱団、活動再開してないかなー。探してみる。

さあ、今は夜の21時半過ぎ。
今日はどれくらい食べるのかな。食べ過ぎても、そうでなくても私は私。
中学の時に拒食っぽい時期があったんだけど、成人式の同窓会で恩師と再会した時に「〇〇は本当は食べるのが好きなんだよな」と言われた。そうなんだよな、私はただ食べることや料理が好きで、故にストレスの矛先が食に向いてしまうんだよなって思った。

食べることが好きなのも私。
音楽が好きなのも私。
もうひとつくらい依存先欲しいなー。
まあ欲張らず。焦らずいこうぜ。


#自己理解 #自己像 #摂食障害 #過食  

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