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コミュニケーション 手話と筆談

つくば市のイベントで一緒に
りんごを売った聾唖の学生。
19歳の青年に昨日久しぶりに会った。

本を読んでいた彼の肩を叩いて
ただ笑っただけで、笑い返してくれた。

久しぶりで話したいことが山ほどあった。
手話と筆談と時々スマホを使って写真を見せて
私たちの会話は途切れることはなかった。
話せない彼と話したいことがたくさんある。

冗談言って大笑いしていたのに
ふと表情が曇った彼に不安なことを聞いたら
今の悩みや不安を話してくれた。
私なりに学んだデフのこと、
彼の悩みや不安はそこに繋がったので
悩みはすぐに共感できた。

彼は来年デンマークへの留学を控えている。
そのための準備で
TOEIC・TOEFLの参考書を読んでいた。
不安なのは英語ではなく、国際手話。
アメリカ手話は学校で半年学んだから不安はない!
そう力強く伝えてくれた。

国際手話の授業はない。
学びたくても、本も少ない。
私も図書館で本を探したけど苦労したことを伝えた。
そうなんだよ!という表情。
国際手話はとにかく使う人口が少ない。
そして口語言葉ではなく
あくまでもコミュニケーションの手段。

直訳はinternational sign language
同じ言語languageでも大きく違う。

日本語と英語の違いがあるように手話も大きく違う。

同じ日本語だからいっても
日本の全部の手話が同じでもない。
日本手話と通訳手話も違う。
japanese sign languageと
interpreter sign language。


映画『こころの通訳者たち』

この作品を見るとその辺の違いがよく分かる。
私は公開してすぐに観に行った。
たまたま映画の監督さんがいらしていて
急遽舞台挨拶をしてくださった。
私は直接映画の感想を監督さんに伝えられて
買っていたパンフレットに
サインまで頂くことができた。

その後たまたま課外活動で聾唖の学生さんと
手話と筆談でりんごを売ることになった🍎
たまたまとたまたまの重なりは
偶然ではなく必然なのだと今では思っている。
たまたま私は保育園で
人工内耳の手術をした男児の
担任として加配に付いていた。
このたまたまも重なればもう運命なのだと思う。

世の中的にも
ドラマsilentの影響もあり
タイムリーな話題だったらしく
つくばのイベントでは
手話と筆談でりんごを売る彼に
興味を示してくれる人は多かった。

彼にとっては何もタイムリーな話題ではない。
それが日常。
でも、多くの人に知ってもらいたいからと
彼はどんどん前に出て
自分は聾唖です!と
耳と口を手で覆う手話で伝えていた。

世間の多くの人は
聾唖の人は
本当は話せるのに
話さないのだと思っていた。

ドラマの中の青年は話せたのに話せなくなったから
そう思うのは当然のことだと思う。

ぜひ映画『こころの通訳者たち』を観てほしい。

ドラマsilentも最終回まで観てほしい。
作り手が作品を通して伝えたい想いは
最終回まで観ないと伝わらない。
かくいう私も
胸が苦しすぎて途中で観るのを辞めてしまった。

でも結末が知りたくて
最終回目前の前回の放送を観た。
次回の最終回で
心が通じることを心の底から願っている。
心が通じて、閉ざしていた心がほぐれて
本当の意味での
コミュニケーションが
取れるようになったら良いなと思う。

そうなるまでの心の葛藤が
映画『こころの通訳者たち』を観ることで
繋がると思う。

覚えたての手話と筆談と
時々スマホの写真を使って
たくさん話して
りんご売りのアルバイトに向かう彼に
離れたところから
またね!がんばってね!と手話で伝えた。
離れていても表情で伝わったことが分かる。
私は全身でオーバーリアクションの手話で
伝えたけれど
彼はかなり省エネモードのまたね!
の手話で応えてくれた。
でも、表情は笑顔。
またね!の手話はつくばのイベントの最後に
彼から教えてもらったもの。
だから、それだけでその時の思い出が共有できる。

言葉で伝えるには大声を出さなければいけない距離。
ピース✌️の手を横に振る。
たったそれだけで私たちのコミュニケーションは
省エネモードで完結した。

次に会った時はきっともっと
話したいことがあると思う。
彼が観て学んでいたYouTubeチャンネルを
教えてもらった。
私は隙間時間にそれを観て学ぶ予定。
だって手話だからイヤフォン要らず!
どこでも学ぶことができる!

久しぶりに会えて
言葉を話せない彼と話したいことが山ほどあるって
何だか不思議。
言葉wordsと言語language
同じようで全然違う。

コミュニケーションを取るための言語language
口語言語spoken languageと
手話sign languageは
ただ手段meansが違うだけ。

意味meaningが違うわけではない。
手段meansが違う。

元気に出かけた彼を見送った後
その場にいた人たちはしばらく手話で会話をしていた。
大きな声を出さなくても伝わるから
省エネモードの朝にはピッタリ👍

しばらく静かな時間が流れていた。
まさにsilent。
さっきまで手話をしながら会話して
大笑いしていた同じ人とは思えないくらい…
なんだか不思議。

本当に手話でしか伝えられない彼と話す時は
声を出して大笑いしてたのに…
居なくなったら、無言で手を動かしてる。
silentの時間。

私はそんな静けさも楽しくて
ニヤニヤして編み物をしていた🧶

切って貼って編んで縫って
縛ったりちぎったり…
創造の手段も山ほどある。

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