見出し画像

日本を原ねて 心の健康 ストレス解消【吉田兼好】

 24 吉田兼好 (1283~1350)
日本道教遺跡 福永光司・千田稔・高橋徹 朝日新聞社
 卜部(うらべ)氏はその後吉田氏と称し、鎌倉時代以降になると、一族から学者、文化人が輩出する。『徒然草』を書いた兼好、『釈日本紀』の兼方(生没年不詳)などはなかでも有名だ。        164ページ                          
                                  
道教と日本文化 福永光司 人文書院

 日本人の老荘思想は『懐風藻』『万葉集』以来、原始老荘の思想それ自体よりも竹林七賢のそれを主要な関心事として理解され親しまれてきたと見ていいのではなかろうか。
 『徒然草』のなかにはまた、「かげろふのゆふべを待ち、夏のせみの春秋を知らぬもあるぞかし。…いのちながければ辱(はじ)おほし」(第七段)、「智慧出でては偽あり…可不可は一条なり…まことの人は智もなく徳もなく、功もなく名もなし」(第三十八段)、
 あるいはまた、「善にほこらず、物と争はざるを徳とす。…志つねに満たずして終に物に伐(ほこ)る事なし。」(第百六十七段)、「おごりを退け」(第十八段)、得がたきの貨をとふとまず」(第百二十段)、「こはきもの先ず滅ぶ」(第二百十一段)、などと老荘の語句の引用が各所に見られるが、しかし彼の老荘思想は要するに徒然の名が示すように趣味的随想的であり、…風流人の知的教養、せいぜい仏教とならぶ一般的な人生智として理解されているにすぎない。…
吾が日本国においては、老荘無為自然の思想は永く「官」もしくは「公」とは無縁の存在であった。          190ページ 
                
吉田兼好は無為自然をあらわしている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?