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「人格を磨くって何?の答えを探す旅②」~○○するべきから離れる~

こんにちはSt.Mです。僕は大学院在籍中に精神病院に入院した経験があります。障害者雇用から必死で努力して人生を立て直してきた中で、自分らしく生きていくためには人格を磨いていく必要があると思い至りました。「人格を磨くって何だろう?の答えを探す旅」の第2回です。前回記事はこちら。

「○○するべき」は人を苦しめる言葉

「○○するべき」
「○○しなければ」
という言葉は
人を苦しめる言葉
だと思っています

世の中には
絶対的に正しいことなど
ないように思います

たとえばコロナ禍でのマスクの問題

マスクをすると

短期的には
コロナの感染リスクが減ります

ですが
長期的には
免疫の獲得機会が減少し

コロナが変異した時などや
他の風邪に感染した時などに
重症化するリスクが高まります

熱中症のリスクもありますし
マスクを購入するお金も
地味に痛くなってきます

マスクをしていない人を叩く
「マスクをするべきだ」
という考え方は正しいのでしょうか?

では
「マスクは外すべきだ」と
マスク着用のルールを
批判することは正しいのでしょうか?

また
「マスクを着用しなければならない」と
常に自分に課し続けることは
正しいのでしょうか?

○○すべきだと人を攻撃すること
○○しなければならないと自分を縛ること

こうした考え方は
人を苦しめる考え方です

大事なことは
マスク着用には
メリット・デメリットがあることを知り

その上で
「自分がどうしたいか」
「他人はどうしたいか」
をそれぞれ尊重することです

はっきり言って 何事も
「どちらでもいい」のです

自分の 人の
「○○したい」を尊重できる
「○○すべき」と束縛しないこと

それが「人格」だと思います

photo by engin akyurt

道徳教育が変わっているのをご存知ですか?

僕が学生時代の道徳教育は

礼儀正しくしましょう
マナーを守りましょう
親切にしましょう

といった
「○○すべき」
を教える内容でした

ですが今の時代は
内容が変わっています

たとえば
来客に食事を用意をするとして

自分は
「適切な量」が正解
と思っていたところに

お義母さんからは
「たくさん用意しないと」
と言われることがあるかもしれません

どちらの考え方も
間違っていませんよね

来て下さるお客様が
食べることが好きな人なのか
あるいは食の細い人なのか
といったことを考慮したとしても

たまたま胃腸の調子が悪かったりして
空振りに終わるかもしれません

こうした
「絶対的な正解はないこと」
「人それぞれ考え方が違うこと」
を教えるのが今の道徳教育に
なっています

photo by Karolina Grabowska

人を尊重するだけでなく自分も尊重する

周囲の人の意見を尊重するのも大事ですが
自分の気持ちを殺し過ぎてもダメです

日本人の同調圧力の強さの中でも
自分の気持ちに封をしないことが
大事だと思います

要するに
「周囲の意見を否定する」のが良くないのであって
「周囲の意見に従う」必要は必ずしもないのです

自分とは違う考え方に触れた時に
「そういう考え方もあるのか」と受け止めて
自分の意見を修正できること

否定・攻撃しない人間性

いろいろな考え方を受け入れることができる
器の大きさが「人格」だと思います

人格を磨くと
こうあらねばならないという束縛から解放され
幸せになれると僕は信じています

○○すべき   を ○○してほしい に
○○しなければ を ○○したい   に
置き換えていきましょう

今は時代の変わり目 僕たちで変えていこう

同調圧力の強さに苦しむ時代は
僕たちで終わりにしませんか?

こうした新しい道徳教育を受けてきた世代が
社会の中心となった時に老害にならないよう

いろいろな価値観を受け入れる
努力をしていきたいですね

ここまで読んで下さりありがとうございました
また次回お会いしましょう ではまた!

お金はご自身やご家族のためにお使いください。みなさまに幸せの訪れを願っています。