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【短編小説】寄り添う気持ち(前編)


夏の夕暮れ時。上野・アメ横。
 
サラリーマンが呑みに来始める時間。
 
居酒屋・総大将では、もう半分以上の席が埋まってきており、なかなかの盛況ぶりだ。
「お姉さん、こっち、こっち。注文、取ってえ!」
ミーコは、別の席に生のジョッキを運んでる時に、別の客席に声を掛けられた。
そっちを向くと、ちょっとビールを零しそうになる。どうしようと思っていたら、後ろから声がした。
「へい、ご注文は?」
ミーコの背中に、テルシさんがいた。テルシさんはいつも、ドンくさいミーコをフォローしてくれる。
「取り敢えず、生中を4つと、枝豆と冷奴。」
「枝豆と、奴はいくつにしましょう?」
「枝豆は2つで、奴は人数分だから、4つ。」
「へい、ご注文を繰り返させていただきます。生中4つ、枝豆2つ、冷奴4丁ですね?ご注文、いただきましたあ!」
ミーコは、自分が運んでいたジョッキを、無事に客に届ける事ができた。
助かった。
 
テルシさんは、ホールリーダーで、いつもホール全体を見守り、特に、少しだけ要領がよくないミーコは、テルシが助けるてくれるのだ。
客にビールをかけた時も、注文とは違う料理を運んでしまった時も、いつもミーコが謝るより先に、テルシさんが客に向かって、頭を下げてくれる。
イヤな客がいて、ずっとクレームを言い続ける時も、テルシさんはミーコの横で、黙って、客の文句を聞いててくれる。それでも、客が収まらず、無理難題を吹っ掛けて事がある。そんな時は、テルシさんは、客に向かって、言葉遣いを丁寧にして、柔らかく、根気よく応対し、客をなだめる。
 
ミーコは、ここで働いている間中ずっと、テルシさんに迷惑の掛け通しだと思ってる。
だから、仕事が終わって、客がいなくなる頃には、何度もテルシさんに、頭を下げる。そんな時、テルシさんはいつも「謝らなくていいよ。俺は、俺のやらなきゃいけない事をやってるだけだから。俺はホールリーダーだろう?だから、俺んとこのスタッフが全員、気持ちよく働けるようにするのが、俺の務めだから。」と言う。
それを聞いて、ミーコは、すまない気持ちが薄れ、少しホッとする。

ミーコは、美大の2年生で、グラフィックアートを勉強している。
 
テルシさんは、カメラマンの専門学校を出て、有名な商業カメラマンの事務所に入り、そんなカメラマンになるための修業をした。だけど、すぐに自分には何だか合わない感じがして、事務所を辞めたそうだ。
そして今は、総大将のホールリーダーをしながら、休みの日に、自分の好きな写真を撮っているんだとか。
 
ミーコは、テルシさんの撮る写真に興味があり、「一度、見せてください。」と、何度か頼んだ。自分の作品づくりのヒントになると考えたという理由もあるが、それよりもテルシの事を知りたいという願望の方が大きい。しかしそれに対して、テルシは「俺の写真は、つまんないヤツばっかりだから。」と言って、いつもお茶を濁し、一度も見せてくれなかった。
 
居酒屋総大将は、日曜日は定休日だ。
 
翌日の月曜日。
普通なら夕方の客足は遅いはずだが、今日は4時の開店から、ずっと席は埋まりっ放しだった。そして、ミーコはあまりの客の多さに面食らい、小さなミスを頻発していた。
 
「こっちは、ホッピーじゃねえ。緑茶割りって、言っただろう!お前、何回、間違えるんだよう!」
一つのテーブルに、初めてこの店に来たと思われるガラの悪い兄ちゃんのグループがいて、その粗暴な態度に、ミーコは腰が引けていた。そして、注文ミスを繰り返してしまった。
「すいません、すぐに緑茶割り、お持ちします。」
「いやよう、姉ちゃん、俺が言ったの、聞いてたの?俺は、お前に、何回、間違えてんだ?と、訊いてたろう、分かってんのか、この野郎!責任者、呼べよ!」
「いえ…」
ミーコは、その客のテーブルの前で立ち尽くしてしまった。肩が震えており、今にも泣きだしそうだ。
「お客さん、何ですか?」テルシが飛んできた。
「お前、責任者か?」
「ホールリーダーです。」
「ホールリーダー?そんなんじゃあ、話にならねえ。俺は、店長を呼べと言ってるんだよ!分かったら、すぐに店長を呼べよ!」
「バカバカしい、飲みもん間違えたぐれえで、ギャーギャー騒いでんじゃねえよ、このタコが‼他のお客さんに迷惑だろう!大声出して!下らねえ事で、若い女の子に絡んでないで、さっさと酔っぱらって、帰ってくれよ。」
テルシさんはいつもと違った。大きな声こそ出さないが、お客さんに言い返している。
ミーコは、唖然とした。テルシが客に言い返すのを初めて見たからだ。ミーコは、見守るしかなかった。見守るというより、ただ、そこに突っ立ってるだけだった。
「おう?それが客に対する態度か、この野郎!」
「お前、うるさいよ!」カウンターで、常連のおじいちゃんが大声で言った。
「さっきから、大声でわめき倒して!うるせんだよなあ。酒が不味くなっちまう。お前、文句があるなら、出ていけよ。何も、この店で呑まなくてもいいだろう?」おじいちゃんが続けた。すると、店の常連さんがみんなで、「帰れ!帰れ!」と、大合唱が始まった。
 
みんなの「帰れコール」に、ガラの悪い兄ちゃんたちは、怯んだ。そして、渋々のように見せかけながら、席を立った。店を出る前に、おじいちゃんが「ちゃんと、お代は払ってけよ!踏み倒すんじゃねえぞ!」と言った。
兄ちゃんの一人が、レジに来て、ミーコに言った。
「カードで。」
ミーコは、カードを受け取った。
 
支払いが済み、兄ちゃんたちが全員出ていくと、店の中は大盛り上がりで、みんなが歓声を上げた。
 
みんな、テルシさんに「よく言った!よく言った!」と、褒めていた。
 
テルシさんは、いつものクールな感じではなく、嬉しそうに、はにかんだ笑顔を見せた。
 

その日の、店が終わった時間。
ミーコが私服に着替えていると、更衣室のドア越しに、テルシが声を掛けてきた。
「ミーコ。」
ミーコは、てっきりテルシが早く着替えたいんだろうと思った。
「あっ、もう、着替え終わります。すぐにここ空けますんで、もうちょっとだけ…」
「いや、そんなんじゃねえよ。ミーコ、この後、用事、あるか?」
「いえ、別に。」
「じゃあ、俺に付き合ってくれねえか?」
「えっ?付き合うって、どこに?」
「パフェ食いに行かねえか?」
「パフェ?行く!」
 
 
御徒町駅に近いビルの地下の純喫茶にテルシは、ミーコを連れて行った。
「渋ーい。」
「そうだろう、ここ、俺の隠れ家なんだよ。」
 
深夜に近い時間。終電までは後少し。
 
この店に客はなく、店主の男性の老人は一人、テレビを見ていた。
 
テルシとミーコが席に着くと、水とおしぼりを持ち、注文を取りに来た。
「俺、メロンパフェ。ミーコは?」
「じゃあ、私は、チョコバナナパフェ。」
「違うのだと、時間がかかるんだけど、いいかい?」
「じゃあ、私もメロンパフェ。」
 
店主が厨房に消えた。
 
テルシがミーコの顔を見て、言った。
「ミーコ、俺、お前の事、好きだ。」
ミーコは、慌てた。
急に、何を言ってるの、この人?私だって、テルシさんの事、好きなのに、何で、急に、こんな?何?
 
「急に、どうしたんですか、テルシさん。」ミーコは、そう聞くのが、精一杯だった。
「いやさあ、聞いてくれる。昨日さあ、やっと、金が貯まったから、一眼レフ、買おうと思って、アキバに行ったんだよね。いつも、行く店なんだけど。」
「うん。」
あれ、何の話を始めてるんだろう、この人…
「すげえ、欲しいカメラがあんだけど、一代型遅れなんだけど、やっと買えるんだよ。でさあ、買いに行ったらさあ、その横に新型が置いてある訳よ。」
「新しいヤツ?」
「そう、最新型。でね、値段見たら、持ってる金よりも15万も高いんだよ。でさあ、俺、悩んじゃったんだよねえ、型遅れなら買えるんだけど、最新型を見ちゃったらさあ、欲しくなんじゃん、実際。」
「分かる、欲しくなるよねえ。新しいの見ちゃうと、ダメだよね。」
「そうなんだよ。それでさあ、カメラのショーウィンドウの前で30分ぐらい、悩んでいたわけよ。そしたらねえ、腹が減ってきたのに気づいたんだ。」
「お腹?」
「そう、2時ぐらいだったんだけど、昼飯、食ってなかったからね。で、頭冷やし方々、いったんそのショーウィンドウの前を離れて、その店のあるビルの地下のカレー屋に向かったんだ。」
「美味しいの、そこのカレー?」
「美味いし、何より安いんだよ。今時、ポークカレーが400円なんだ。」
「で、カレーを食べたのね?」
「いや、カレーは食えなかった。臨時休業とか、貼り紙があって。」
「で、どうしたの?」ホントにこの人、何を話してるんだろう?ミーコは、少し不安になってきた。
「カレー屋の奥にね、看板を見つけたんだ。「あなたの秘密、買い取ります。査定して、ご希望の額に近づけます。」っていう看板。」
「何それ、怪しくない?」
「だろ、だろ!俺も怪しいなあと思ってさあ。でも、ちょっと、興味あんじゃん。だからさ、ドアのガラスの中を覗き込んだんだよ。そしたらさ、スゴイ身なりのいいビジネスマンみたいな男の人が出てきてさあ。いきなり、ご要望をお伺いしますって、俺に言うんだよ。」
「それで、中に入ったの?」
「そう。」
「それで?」


後編へ続く。 後編は有料記事になります。宜しければお読みください。

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