見出し画像

【歌詞考察】井上陽水「ワカンナイ」―賢治サン、あなたはこんな日本を望んだかい?(後編)


前回のおさらい

 さて、前回の記事では井上陽水「ワカンナイ」の歌詞を、なるべく素直に読み解いてきました。忘れちゃったよ!という方は下のリンクに飛んでみてください。

 念のため、簡単に前回の内容をまとめておきましょう。「ワカンナイ」は宮沢賢治「雨ニモマケズ」を踏まえており、詩の中で書かれているように粗末な生活を送りながらも他人を助けるために働こうとするのは、現代においては不可能だ、宮沢賢治の願いは理解できない、ワカンナイということが詞で語られていました。そして「ワカンナイ」のテーマは一般的に、賢治が生きた時代と高度経済成長以後の日本の間には、社会状況や思想面で大きな溝があるということだと考えられていました。日本中で愛読されている「雨ニモマケズ」に果敢にNOを突きつけた点が評価されていることについても書きましたね。

「ワカンナイ」=断絶の曲 なのか?

 「ワカンナイ」=断絶についての曲、という考えはかなりまとまっていますし、他の陽水の曲でも世代間の断絶は描かれているので説得力があります。私もこの考えにはほとんど賛成です。ただ、一抹の疑問点があることも確かなのです。

①井上陽水は宮沢賢治の愛読者だった

 「ワカンナイ」であまりにも「雨ニモマケズ」のことを皮肉るものですから、井上陽水は宮沢賢治が嫌いなのか、とそう思うかもしれませんが、実は井上陽水は賢治の愛読者。その様子がわかるのは沢木耕太郎のエッセイ『バーボン・ストリート』。その中で陽水と沢木が「雨ニモマケズ」について話すくだりが書かれています。しかも話を切り出したのは陽水。「ぼくの周囲には、宮沢賢治の詩について訊ねて、すぐに返事をしてくれるような人は、他にいないもんですからね」と言ったところから、二人で「雨ニモマケズ」の読み直しが始まり、最終的に陽水は「驚いたね。まったく、凄い詩だね」と改めて賢治を評価します。
 そんな陽水が、世代間の断絶を語るために、わざわざ曲の中で「雨ニモマケズ」を否定するような言葉を用いるでしょうか。言ってしまえば、芥川龍之介の『羅生門』でも、金子みすゞの「私と小鳥と鈴と」でもよかったわけなのに。

②「雨ニモマケズ」との微妙なズレ

 ①に関連する部分がありますが、「ワカンナイ」には「雨ニモマケズ」との微妙なズレがあります。それはこの部分。

南に貧しい子供がいる
東に病気の大人が泣く
今すぐそこまで行って夢を与え
未来の事ならなにも
心配するなと言えそうかい?

井上陽水「ワカンナイ」

 前回の記事でも書いたように、この部分は「雨ニモマケズ」の内容を踏まえたものです。それがこちら。

東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
(中略)南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイイトイヒ

宮沢賢治「雨ニモマケズ」

 お判りいただけたでしょうか?
 原文では「東に病気の子供あれば」となっているのが、「ワカンナイ」では「東に病気の大人が泣く」に、「南に死にそうな人あれば」が「南に貧しい子供がいる」に変わっているのです。なぜこのような違いが発生しているのでしょう。宮沢賢治を愛する陽水が曲をつくるにあたって「雨ニモマケズ」を精読していないわけがありませんし、原文の通りに歌詞を書いても何か問題が発生するわけではありません。なぜ陽水はこのようなズレを作ったのか。
 私はこの理由を、「ワカンナイ」の語り手を陽水以外の人として設定しようとしたのからはないかと考えます。つまり、歌詞の中で「ワカンナイのよ」と言いながら賢治を批判しているのが陽水自身ではなくまったく別の架空の人物、しかも「雨ニモマケズ」の文章を間違えるような、文学に明るくない人物に設定するためにこのようなズレを作ったのでは、と推測します。

③カタカナの「ワカンナイ」

 すでに気付いている方もいるかもしれませんが、この歌詞において「ワカンナイ」はすべてカタカナで書かれています。「わかんない」ではないのです。なぜ平仮名ではなくカタカナにしたのか。逆にカタカナにすることによって何か効果はあるのか。
 というわけで、カタカナの効果についてこんなサイトを見つけました。

 このサイトで挙げられているように、本来漢字や平仮名で書かれる言葉を敢えてカタカナで書くことによって、言葉に別の意味を付与することができます。たとえば「金」を「カネ」にすると何だか悪い意味に読めますし、「頭が悪い」を「アタマが悪い」にすれば相手を馬鹿にしているように感じる。
 私はカタカナの「ワカンナイ」にも同じような意味合いを感じました。まるで賢治の文章に「わかんない」と言う人を揶揄するような、または「わかんない」という言葉にダークな意味を与えているような、そんな気がするのです。つまり、陽水は「雨ニモマケズ」の内容に対してどうこう言おうとしているのではなく、「雨ニモマケズ」が「ワカンナイ」と言っている人をちゃかして批判しようとしているのではないか――

 さて、ここまで私が従来の「ワカンナイ」論における違和感を述べてきました。「じゃあいったいお前は『ワカンナイ』はどういう曲だと思うんだよ!」。それではここからは、私なりの「ワカンナイ」の解釈について述べていきたいと思います。

市川式「ワカンナイ」考察

私は「ワカンナイ」をこう読む!

 では私は「ワカンナイ」とはどういう曲だと考えているのか。一言でまとめるとしたらこうなります。

「雨ニモマケズ」を誤解し、曲解してきた日本人に対する批判の曲

 いったいどういうこと?と思われる方がほとんどだと思います。これから詳しく書いて行こうと思いますが、まずこの考えの根っこにあるのは、日本において「雨ニモマケズ」がどのように受容されていったのか、ということなのです。まずは「雨ニモマケズ」執筆と受容の過程について説明いたしましょう。

日本一誤解された詩「雨ニモマケズ」

 そもそも「雨ニモマケズ」は、文学作品ではありません。1931年(昭和6年)に宮沢賢治が病床で書いた手帳のメモなのです。原稿用紙ではなく、メモに書かれている。賢治はこの文章を誰かに見せようと思って書いたわけではなく、病気になって伏せている自分を鼓舞するために書いたのだと言われています。事実賢治は「雨ニモマケズ」について家族にも知らせていませんでしたし、弟清六に託した原稿類の中にも「雨ニモマケズ」は入っていなかったのです。
 しかし賢治の没後である1934年、彼をしのぶ集まりの席で偶然発見され、この年に『岩手日報』に遺作として発表されました。これが「雨ニモマケズ」が人々に公開された最初で、そこから一部の愛好家の中で「雨ニモマケズ」の評価が高まっていきます。ここまではよかったのです。その後、「雨ニモマケズ」は思いもよらない広まり方をしていきます。
 なんと戦時下の国民意識高揚の道具として「雨ニモマケズ」が利用されていくのです。これについては、小倉豊文の『「雨ニモマケズ手帳」研究』で詳しく書かれています。

一九四二(昭和十七)年には、軍国主義的独裁政治の国策遂行を目的に組織された「大政翼賛会」の文化部編になる「詩歌翼賛」第二輯「常盤樹」の中に採録され、当時の国民とくに農村労働力の強制収奪に利用されることにもなった。大日本帝国の傀儡国家「満州」でも中国語訳して同様な目的に利用されていたのは、この詩を軸とする賢治観の対立に象徴的な意味をもつ事実であって、独り農民に関してではなく、一般的に権力に利用される危険性をもっていたといえよう。

小倉豊文『「雨ニモマケズ手帳」研究』(筑摩書房 一九九六年)

 こうしてきな臭い戦争の時代のなかで国民に共有されていった「雨ニモマケズ」は、いつしか「賢治の理想像について書いたメモ」から「理想的な国民のあり方について書いた詩」として曲解されていき、誤解されていったのです。
 さて、1945年に太平洋戦争が終結します。すると今度は「雨ニモマケズ」は祖国復興のために働く日本人の心の支えとして読まれていくようになります。「雨にも負けず風にも負けず、おれたちも頑張らねえと!」と言ったところでしょうか。こうして日本全国で「雨ニモマケズ」は読まれていき、終いには国語や道徳の授業で扱われるまでになりました。しかしその反動として、「雨ニモマケズ」の内容に共感できない人が現れたり、「内容が時代にそぐわない」「賢治の考えがわからない」という声が聞こえてきたりするようになったのです。

ワカンナくしたのは誰?

 しかし、時代が経つにつれ作品の世界観が理解できなくなるのは、文学全般において言えることです。文学を理解するには、書かれた時代の社会や文化、慣習について理解する必要があります。一昔前の小説が載っている文庫なんかだと、本の最後のほうに注釈や解説がついていて、それを読むことで私たちはようやく作品世界を理解できます。
 しかし、「雨ニモマケズ」はそういう作業をすっ飛ばして日本人の頭に刷り込まれました。「すばらしい作品だから読みましょう」「有名な詩だから暗記しましょう」。そうやって覚えることばかりを優先しすぎたせいで、「雨ニモマケズ」を読んだことあるけど理解できない日本人が量産されました。何十年も前の東北を生きた一青年の思い描いた理想像が、現代を生きる人間の理想像として教えられる、読ませられる。ワカンナくて当然、「理解できない」と思って当然です。だって賢治没後まもない時代の日本人ですら、「雨ニモマケズ」を正しく読めなかったのですから。
 結局のところ、「雨ニモマケズ」がワカンナくしたのは、表面だけを舐めるような教育と、それを当然の如く受容して次の世代に伝えてきた日本人たち、ということになってしまうのです。

ズレとカタカナが表していること

 ここでもう一度、「ワカンナイ」の違和感について考えてみましょう。
 まず、「ワカンナイ」と「雨ニモマケズ」の間のズレ。「宮沢賢治のファンである陽水が詩の内容を間違えたまま曲にするはずがない。曲の語り手は陽水ではなく、『雨ニモマケズ』を理解できていない架空の人物なのではないか」と先ほど書きました。そうなんです。曲の語り手は明らかに「雨ニモマケズ」を理解できていない。でも授業や何かで読んだことはあるから、冒頭のくだりは覚えている。間違えたのは詩の後半の覚えるのが難しい箇所なのです。
 そしてカタカナの「ワカンナイ」。平仮名で「わかんない」にしてもいいのに、敢えてカタカナにしているのは、「わかんないわかんない」と言っている語り手を嘲笑するため。もしくは「雨ニモマケズ」を知っているのに理解できないままでいる人間がいることを一つの問題として強調するためなのではないかと私は考えます。

賢治サン、こんな日本を望んだかい?

 宮沢賢治は生前、童話や詩を世間に認めてもらうべく自費で本を出版したり雑誌への寄稿を行なったりしましたが、ほとんど無名のまま生涯を終えました。
 死後、彼が死の床で書いた一編のメモは、「雨ニモマケズ」と題されて日本中に広がっていきますが、それはあくまでプロパガンダの道具として。ようやく戦争が終わったかと思いきや、今度は中身のない教育によって「雨ニモマケズ」の真意が理解されないまま広まるだけ広められていきました。
 「ワカンナイ」という曲は、素直に読めば「雨ニモマケズ」の時代と、それを理解できない現代とのギャップ、断絶をテーマにしていると考えることができるでしょう。しかし所々に詩の内容を理解できない、理解しようとしない日本人に対する皮肉のようなものがにじみ出ています。
 果たして井上陽水は「ワカンナイ」にどんな意味を込めたのか。それは本人に訊いてみないとわかりませんが、私は陽水が賢治にこう尋ねているような気がしてならないのです。

「賢治サン、あなたはこんな日本を望んだかい? こんな形で自分の文章が有名になることを望んでいたのかい?」

と。

おわりに

 ここまで長々と考察を展開してきましたが、皆さまお疲れ様でした。読みにくい箇所、わかりにくい部分、あったかと思います。もし気になった方は、井上陽水「ワカンナイ」、そして宮沢賢治「雨ニモマケズ」ももう一度読み直して、皆さんなりの考察を立てていただければなと思います。
 それではまたどこかでお会いしましょう、ぐーばい!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?