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暴虐なる社会の権化

感情類別:「怒り」「悲しみ」「悔しさ」
感情影響度:危険
シチュエーション:「学び」「体験」
備考:叱られ描写あり



とある秋の夜、私は徹夜で製作課題をこなしていた。
その頃の私は工学系の学部に新設されたデザイン科の学生で、
専攻はアーバンデザイン(都市開発・公共空間デザイン)だった。

元々文系上がりだったこともあり、工学系に進むことに不安がなかったわけではない。当然、座学ではこれまで触れたこともなかった数Ⅲや数Cを扱ってくる。そういった授業で「終わった人から提出して解散」の指示が飛べば、最後まで残る常連と化していた。

そんな中でも、私が戦える場面がある。
それが、模型作りなど実際の手先の器用さが試されるシーンだった。
つまるところ「製作課題」なのだ。


事前に作成した地域図を三角スケールで測り、縮尺に合わせてスタイロに鉛筆でマークを入れていく。そのマークに沿って真っすぐにカットし、パーツを揃え、模型を組み立てていくのだ。この際、図面で示した実際の長さよりもスタイロが余剰であったり、不足していたりすれば大事である。これは簡単なことで、実際に現場で建設に携わる人間は図面を見ながら作業する。もし図面の中で1mmズレが生じていた場合、その図面が1/1000縮尺であれば、1000mm(1メートル)が現実でズレるということなのだ。アーバンデザインという分野はコレが恐い。これはスタイロで作る模型も同じで、クライアントに提出する模型は階段の蹴上1つとっても、材料の分厚さを理由に誤魔化すことはできないのだ。


ところが、私は戦う前から気乗りしなかった。
というのも、今回の課題はグループ課題になっており、三人一組で協力して提出するよう定められていたのだ。それぞれ役割を分担し、図面やパースを揃え、指定区画をどのようにコンバージョンしたのか、その意図を模型やパワーポイントを用いて発表しなければならない。

にも拘わらず、共に課題をこなす仲間二人は途中棄権の常習犯なのだ。
組み合わせが不公平であることを教授に訴えたが「出身校が同じなんだから仲良くやれ」の一言で相手にされなかった。始まる前から詰みである。

とはいえ、必須単位を落とす訳にもいかず、情状酌量のお情けを期待して地道に作業に取り掛かる。3週間の期限で独りで全てをこなさなければならない。当然、二人は調子の良いことを言っていたのに翌週のワーキングからは行方不明になった。とにかく時間が無い・・・。

1日の講義が終わったらすぐに現地に赴き実地調査する。現在の地域の使われ方や実態を事細かくメモに取る。バス停の位置、実際の建物の有無、人の動線、図面から読み取れない細かい部分。これらを持ち帰り、毎晩にらめっこを繰り返しながら構想を組み立て、図面に落とし込む。


終わりが見えない
後から矛盾点に気付き数時間前に戻る
そんな日々

そして冒頭の夜を迎える。その夜も私は徹夜で作業を行っていた。
明け方が近付き、カラスが泣き始める。二階から誰かが降りてくる。
リビングのドアが開く。まぶしそうに怪訝な顔をする父だった。

「こんな時間に何やってんだお前」


私は事の顛末を愚痴交じりに父に話す。同情というか、慰めの言葉を期待していたのだ。いっそ、逃げ出さず奮闘する姿を誇らしいとさえ思っていた。そもそも、土台無理な話なのだ。ところが、父は怒気を込めて私に言った。

「お前がやるって言っちまったんだろ?無理だって教授に喰いつかなかったんだろ?お前が悪いんじゃねえか。やるって言ったらもうやるしかないんだよ。それがお前の責任なんだよ。」

なんて人だ!それでも親か!
あまりに自分が惨めすぎて、図面に俯いたまま悔し涙がボロボロとこぼれる。何で自分がこんな目に遭ってるんだ!逃げた奴等の責任は!?他の班は楽しく協力して進めてるのに!材料費だっていくらしたと思ってるんだ!寝る間も惜しんでこんなことして、バカみたいだ!

ここ数日の苦しい想いや悔しさが頭を駆け巡る。
最後の最後にこんな特大の爆弾で追い打ちを掛けてこなくてもいいじゃないか。せめて「頑張れよ」の一言くらい掛けてくれてもいいじゃないか。なんで、なんで自分が・・・。俯いて震えることしかできない私に父は続ける。

「よく聴けよH。お父さんはな、やりたくもないことを会社からの指示でやってきたんだよ。家のローンや妻も子供もいる部下を辞めるよう促したり、自分がやってもいない失敗の為に頭下げないといけないんだよ。それがどんなに苦しいかわかるか?泣きながら訴える部下に諦めるよう説得する気持ちがわかるか?それがフロア80人の部下を管理する責任なんだよ。できませんでしたで許されないんだよ。」


そんなこと言われたって困る。だったらどうすりゃ良かったんだ。
他にどんな道があったって言うんだよ・・・。


「お前の一番の間違いはな、出来ないことを安請け合いしたことなんだよ。出来ないクセに出来るって言っちまったんだよ。そうなっちまったらもうどんな理由くっつけたってやるしかないんだよ。もうお前は四の五の言わずにやり切るしかないんだよ。それが契約ってもんなんだよ。」


悔しかった。自分の魂胆というか、何だかんだで教授が尻拭いしてくれることに期待していた心を見透かされ、剝き出しにされた。先程まで自分自身に感じていた惨めさは、すっかり別の意味に代わっていた。余計に悔しくて涙が溢れた。頑張ってるつもりで私は逃げていたのだ。


「お前に死んだお父さんのお父さんの言葉を教える」
「お前のじいちゃんの座右の銘だよ」

為せば成る
為さねば成らぬ
何事も
成らぬは人の為さぬなりけり


「やると決めたらやれよ。お前なら出来るだろ。」


そう言い残して父は二階の寝室に戻っていった。
ひとしきり泣いたあと、私は教わった言葉を反芻した。
為せば成る・・・結局やればできるって意味じゃん。
それに何しにきたんだあの人・・・。


後日、私のコンセプトとプレゼンは教授たちに好評で、総評こそ他班に見劣りするものの、単独で課題を提出したことに対する気概とやる気は大いに評価されたのだった。

あの日、父が私に受け継がせた座右の銘は今でも私を支えている。
結局この言葉は私の生き方を縛ることにもなり、それが原因で良いことにも悪いことにも繋がっていくのだが、それはまた別のお話。


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