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京都にて

青春18きっぷが出る度に
この時だけリュック背負って
朝6時1分の2番電車に乗ります
ポケットには10年以上前から愛用の
WALKMAN
「今時?」と言われるけれども
録音しては曲数を増やしています

在来線を利用しての切符なので
目的地まで3時間半かかりますが
音楽を聴きながらの車窓
人の動き
私にはあっという間の時間です
乗り継ぎは2回、または3回
曜日によって変わりますが
足を動かすことも目的の一つなので
なんの苦痛もなく
ホームを移動します

目的地は「京都」

京都といえば
「修学旅行」でしかなかったのが
大人になり 子供を育て 忙しく働き
時間に追われて生活している中で
ゆっくりとした時間を欲するように
なり 同じ年代の人との共鳴か
「歴史の空気につつまれたい」
「浸りたい」
となり、やっと人生の終盤に足を突っ込んでから時間ができた

滞在時間は5時間半程ときめている。
なので行く場所は多くて2ヶ所をゆっくりとまわる事にしている。
京都駅は旅行者でごった返す
けれど空間があるので 息苦しさもなく「感謝」と思います。
青春18きっぷなので
JRを利用しながら動く事が多いですが 極力歩くようにします。

さて、今回は「龍安寺」

JRと嵐電を乗り継ぎ 
嵐電の中ではまだ咲かぬ桜のトンネルを妄想しながらくぐりました。
道路に矢印でちゃんと案内してあるので有り難いです。

「龍安寺」と言えば枯山水

でもその前に大きな池
まわりの庭
池の上に伸びた柿の木には
葉が少く ても柿がまだついていました。ゆるやかな上りの道 木々に囲まれた中 衣服のない手の甲と顔には
なんだか普段と違う「空気」を感じます。
これを「何浴」といえばいいんだろう?
 空 木 花 苔 葉 土 風
それぞれの放つものがすべて重なって
いつも自分のまわりをおおっているものと 明らかに違う
「気持ちいい」
「解かれる」

拝観料を払い
いよいよ中へ
ひんやりとした廊下を歩く
進んだ先に広がるきちんと整えられた枯山水の庭

気持ちが整う
というのが言葉で合ってるのか

大きな縁側の様な場所に腰をおろし
陽にあたりながら眺める
低い塀 石 苔 
水の流れ 海に浮かんでいるかのようで「別空間」を感じます

電車の中では久しぶりの雪を見たけれど京都に着いてみれば晴天だった
この気持ちのいい空気を青空の下
お陽さまに当たりながら感じられる
のは贅沢であります

明日になればまた
私はお客さんと向き合い
楽しんでもらえるよう心がけ
自分の不器用さに落胆し
落胆する自分に反省し
反省して落ち込む事を責め
一旦底まで行ってから

「今日は今日の私の精一杯」
「明日は明日の私がいる」

と立ち上がる
その繰り返しなのだ

こうして
いつもと違う空気の中で
この地球(ほし)の歴史においては
ほんの小さい自分の存在を認識して
また「今日」を生きていくのです

そう思うと京都に来るのは
海を見に行くのに近いものがあります

すいているとは言え
いつまでも座っているわけにはいきませんね
そろそろ行くかっ!








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