おわった旅のはじまり 2023/08/24

 船旅では「揺れ」と「退屈」が当面の敵となる。新日本海フェリー敦賀-苫小牧航路は深夜23時55分に出航し、はるばる1200km、ほぼ丸一日かけて北の大地に到達する。船内にはレストランから大浴場、ゲームセンターまで揃っており、そのすべての窓から大海原を望むことができるのだから旅情も掻き立てられるというものである。しかしその間つねに床が揺れており、三半規管のするどい人は旅情もへったくれもなくグロッキーに項垂れながら岸を待つことになってしまう。現に友人はそうなっていた。また海上はインターネット圏外で、どう見たってひ弱な船内フリーWi-Fiに繋いでみても案の定何にもならない。ちまたではデジタルデトックスなるものが現代人のオアシスとして活用されているらしいが、何を言ってるんだ、と思う。たった一日SNSを確認できないことがこれほど苦痛なのだから、将来体内にチップを埋め込める時代が来たら誰より早くデジタル人間になりたい。
 揺れと退屈は一見関係ないが、その実補完し合ってコンボを形成している。退屈を紛らわそうと映画や本に目を向けると揺れに酔わされる。酔うのが怖くて何もせず、退屈がさらに加速する。ミンティアや水で口を埋めたり水平線を眺めたり眠くもないのに寝たりして時間を潰す。物心ついてからひっきりなしにコンテンツを摂り続けてきた人間にとっては落ち着かない空間である。とはいえ私も無粋者ではない。甲板の煤けた手すりにもたれながら、船尾が規則的に送り出す波をぼーっと見送ってみたりもした。
 粋といえば、夜も更けた頃、持ち込んだウイスキーを紙コップに注ぎロビーの端でちびちび舐めていると、窓際の席に一人の青年が現れた。湯気の立ったカップ麺と350mlの黒ラベルを大事そうに持っている。彼はそれらをそっと机に置くと、席からそう遠くない範囲を探索し始めた。これにはとても感銘を受けた。揺れる床とうっすら聞こえる波音に唆されるようにして割高なお夜食をついつい購入したのだろうと確信した。3分の待ち時間すらも楽しく過ごそうとする姿勢も好ましい。非日常が非日常の引き金となり、浮遊感に歯止めが効かなくなっていくことこそが旅の粋であるのかもしれないと思った。

 ようやくフェリーを降りると真っ暗な港だった。苫小牧には西港と東港があり、西は市街地からそう遠くない、海鮮丼を饗する漁港なんかも近い港だが、この度降り立った東港は店も家もない暗黒であった。最寄りの浜厚真駅まで1.5キロのあいだには数えるほどしか街灯がなく、遠くの踏切や鉄塔が工業的な橙色で浮き上がっているのを不気味に思いながら、小雨の気配を感じて足早に歩いた。
 駅は当然のように無人で、ホームの長さからしてワンマンカーのみが発着しているようだ。数年前の土砂崩れで一部廃線となった日高本線、その終点から2つ目が浜厚真である。ちなみに終点の鵡川には元恋人の実家があり、一度お邪魔したということもあってわずかな感慨もあるのだが、今回の旅には全く関係ない。
 ホームは砂利だった。他の客もベンチもないので友人とふたり地べたに座り、残っていたウイスキーを飲みながら電車を待った。半刻ほどして闇の中から光が現れたと思うと、その窓からぐんぴぃのような顔をした子供にも大人にも見える鉄道オタクが「苫小牧行くなら折り返してくるからその時乗るといいです」と教えてくれた。言われた通りしばらく待っていたら再び光と共にぐんぴぃがあらわれ、会釈して我々も乗り込むと、その後一切喋ることなく苫小牧まで揺られた。
 苫小牧、札幌と旅程を進めるにつれ、だんだんと都会の旅になった。土地の居酒屋に入ったり土地の公園に座ったり土地のコンビニを漁ったり、たまに僻地の知らない駅まで行って石狩川を目視したり動物園を冷やかしたりパン屋に行ったり、ゆっくり気ままにやっていたらいつのまにか一週間が過ぎていた。

 大満足の旅を終えて大阪に帰ると、昨日まで忘れていた生活のダサさが急襲してきた。たえられない。たえられないから旅の始まりをこうやって記している。バイト先の休憩室で。

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