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『人見知りの根暗が性格を変えるためにキャバ嬢になってみた話』

水商売。
はてさて、私のような人見知りの根暗にはとんと縁のない商売である。

知らない人と楽しげに会話をし、ありとあらゆる物事に気を遣い、視線と心を配り歩く。

水商売といえば未だに偏見に苛まれる職業の筆頭であり、事実「男に媚び売ってお金貰えるんだから楽でいいよねぇ」と口さがない人間に面と向かって言われたこともあるが。

ならば1度やってみると良い。
これがまあ、楽なことなんてひとつもない。
ほんっっっとうに大変な仕事だった。

🥂働いたきっかけは

あれは私が成人して間もない頃の話。
恐らくこのnoteではまだお話したことはないと思うが、私には根暗を拗らせすぎて引きこもりになっていた時代がある。

何か病気を患っていたわけではないので、
V6や嵐のコンサートには行きまくっていたが、それ以外のことでは外に出ず、ろくすっぽ学校にも行かなかった。

そうして成人した私は、いつからか他人と会話するということに恐怖を覚えるようになり、人見知りには拍車がかかっていった。

当たり前だが、そんな人間が社会で生きるということは到底無理とは言わないが、とてつもない困難を伴う。
引きこもっていたせいで学もなく、技術もない。
どこかで働きたいと思っても、まず働き口に電話をすることすら無理なのであるから、まともな社会人になる為には相当の努力が必要だと私は悟った。

しかし私は既に成人したのだから、これから先、ダラダラと家にいて母に迷惑をかけ続けるわけにはいかない。

さて、ならばどうしたらいいか。

簡単な話である。
人見知りを治してしまえばよいのだ。

🥂そうだ!キャバクラに行こう

私は基本的に考え方が極端というか、
1か0か、白か黒か、という、なんでも物事をハッキリさせたがる人間である。

そしてこの時も、私の頭は極端な荒療治を思いついていた。
「会話が苦手なら、常に会話しないといけない場所に働きに出ればいいじゃない」と。

そこで私が思いついたのが水商売だった。
ただの客商売ならそれこそコンビニからスーパーからそのへんに転がっているが、それでは駄目だった。

私が苦手なのはあくまで雑談であり、
決まりきった言葉をなぞる仕事では克服に至るまでの道筋が見えてこなかったからである。

水商売とは、つまり会話を売る仕事だと当時の私は思っていた。

お客様とお話をし、楽しい時間を提供する。
心地よい空間を提供するかわりに、対価として決して安くはないお金をいただく。

出会いはいつも一期一会。
人見知りを治すにはうってつけの職業である。

そうと決まれば善は急げ。
求人サイトに載っていたキャバクラに、なけなしの勇気を振りしぼって連絡をした私は、あれよあれよという間に、翌日には働きに行くことになっていた。

🥂人見知り、キャバクラに特攻

水商売に面接などない。
いや、都会のキャバクラならどうか知らないが、
私の地元のような田舎では、面接もなければ履歴書を見せることもない。
身分証をちょろっと確認して終わりである。

見た目的に落ちても良さそうなものだが、
きっと人が足りなかったのだろう。
翌日、店に特攻した私は、気がつくと不釣り合いなドレスを身にまとっていた。

人見知りのビビリのくせに、腹が決まると異常な行動力を発揮してしまう人間、それが私である。

ドレスなんて生まれてこのかた、子供の頃に父の友人の結婚式にお呼ばれした日以来。

私が働くことになったキャバクラ、仮にAとしておこう。

Aには衣裳部屋があり、そこで好きなドレスを選んでまず着替える。
長いこと働いているお姉さん方は、皆さん自前のドレスを持っているらしいが、勤務初日のペーペーに自前のドレスなぞあるわけもなく。
私がチョイスしたのは、ちょっとくたびれた群青色のドレスだった。

選んだ理由は、大好きな坂本昌行が歌っていたコバルトブルーの色に近かったから、というのが大きい。
これなら緊張していても、坂本くんが守ってくれるかもしれない、なんて。
アホなことを思いながら、私は群青色を身にまとっていた。

首の後ろで紐を結ぶタイプの、ホルターネックの真っ青なドレス。
後ろの裾が長くて、履いてきたピンヒールのかかとで今にも踏んづけそうだった。

それでも、私も腐っても女性だったのだろう。
普段着られないヒラヒラしてキラキラしたドレスを着ると、なんとなくテンションが上がった。
鏡に写る自分は、明らかに似合ってなかったけど。

🥂女の園に突入

Aには常時10人ほどのキャスト(サービスをする女性のこと)がいた。
開店前。
「新人の〇〇ちゃんだよ」と店長がみんなに紹介してくれた。
そこではじめて私は、自分の名前が〇〇という仮名になっていることに気づく。

そういえば着替える前に店長と話していた時に、
「これから使う名前をここから選んで」と紙を見せられて、とっさに1番上にあった名前を指差した気がするが、そうか、あれが源氏名を決める儀式だったのかと合点がいった。

正直、このみんなに紹介された時が1番怖かった。
ジロジロと値踏みするような視線もあれば、
携帯から顔も上げずに、チラ、とも見てくれないキャストもいた。

キラキラした店内はまだ開店前だからか薄暗く、
そこに綺麗に着飾ったお姉さんたちがたくさんいるのに、ほとんど誰も話さない。

「おお、女の園っぽいぞ」とある意味感心していたが、それにしても不躾な視線にだけはイライラさせられた。

「よろしくお願いします」と、頭を下げてみたものの、にこやかに返事をしてくれたのはほんの数人だった。

「開店したらBちゃんについてもらうから」
私の肩を叩いて、店長は裏に戻っていく。

いや、Bちゃんって誰やねん。
私が所在なさげに突っ立っていると、ある1人の女性が優しげに手招きしてくれた。

「こっちにおいで」と呼んでくれたその人こそ、
私がAにいる間、ずっとお世話になることになるBちゃんだった

🥂はじめての業務体験

キャバクラ、と求人誌では記載されていたと記憶しているが、今考えると、Aはクラブかラウンジだったんじゃないか、と思う。

キャバクラにしては明らかにキャストもお客様も年齢層が高かったし、当時ハタチそこそこの私が1番最年少だった。

キャバクラみたいにキャピキャピした接客ではなく、どちらかと言うと落ち着いた接客を求められた。
逆に、それが自分には合っていたのだと思う。
年相応に、テンションアゲアゲで接客しなさい、と求められたら、きっと私は1日で辞めていただろう。

開店時間がくると、
最初のお客様をキャストが並んで迎える。
その日1番はじめのお客様は、店のNO.1であるC姉さんの指名客だった。

3人組のお客様だったので、C姉さんとBちゃん、そして私ともうひとりのキャストが席に着く。

ああ、ついに知らない人とお喋りをする時間が来てしまった。

絶望的な気分になりながらも、先程Bちゃんに教えてもらったように水割りを作っていく。

基本的に新人はそのテーブルの雑用係である。
水割りを作ったり、タバコに火をつけたり、ボーイを呼んだり、グラスについた水滴をハンカチで拭ったり。

これが簡単に見えるが難しい。

お客様の動きに常に気を配らなければならない。

会話に相槌を打っている間も、視線だけは忙しなく動かして、テーブルについている全員の動きを把握していないといけないのだ。

誰が何をしているのか、何かしてほしいことはなさそうか、作る水割りの濃さにも気を配らないといけない。

私はお酒が嫌いなほうではないが、
味なんて全くわからず、ただ水のように喉を潤すだけ。
酔いもしなければ楽しくもなかった。

そんな時、お客様から「〇〇ちゃんはなんでこの店に入ったの?」と訊ねられたので、私はそのまま「人見知りを治したいからです」と答えた。

ちょっとウケた。
というか笑われた。

Bちゃんは特にウケていて、
ひーひー言いながら笑っていた。

🥂働く理由は人それぞれ

水商売で働いていた期間、私は色んなキャストに出会った。
Aはキャストの入れ替わりが激しく、NO.3までの姉さん方を除いて、他のキャストは長くても半年いればいいほうだった。

お金が欲しい!という純粋な理由で働く子もいれば、楽しそうだから、と働き始めた大学生もいた。
中には付き合っている男がろくでもなくて、
そんな男を養うために働いていた子もいたけど。

売れていく子に共通していたのは、
人と話すことが好きで、楽しく働いていた子たちだった。

どんなに綺麗に着飾っても、若くても。
苦しそうに、辛そうに、そして機嫌の差が激しくて楽しそうに振る舞えない子は、すぐに売上が落ちて辞めていった。

水商売という世界でも、モノを言うのは見た目よりも愛嬌なのか、と感心した。

そして働く理由は人それぞれでも、やはり“プロ“として振る舞える子は強いなと実感した。
どんな職業でも、その職務に精一杯邁進して、高みを目指すこと。
そんな意識が自分に芽生えたきっかけは、この水商売を通して、プロをたくさん見てきたからだったかもしれない。

🥂1年間頑張った結果

まるまる1年間。
私はAでの仕事を続けた。

売上はクソみたいなものだったが、最年少だったこともあって、いじめられることもなくBちゃんやC姉さんを筆頭にみんなに可愛がってもらえた1年間だった。

タチの悪いお客様に絡まれている時はBちゃんが必ず助けてくれたし、C姉さんからは人として大切なことをたくさん教わった。

普通に過ごしていたら出会えなかったようなお客様もいっぱいいた。

しかし残念ながら。
私の人見知りが治ることはなかった。

何人かで会話をすることは出来ても、
一対一だとどうにもならないのだ。

どうしても自分から話を振ることが出来ず、
「これを言ったら失礼かな」とか「これじゃ話が盛り上がらないだろうし」とか、余計なことばかり考えて会話が続かない。

ほとほと困り果てていた私に、Bちゃんが言った。

「きっと、リトはそのままでいいってことだよ」

もって生まれた性格は、そうそう変わるものではない。
無理に矯正しようとしても、
合わない眼鏡をずっとかけ続けた人が身体の不調を訴えるように、どこかできっと歪みがでる。

1年という長い時間。
努力を続けて変わらなかったのなら、
それはもう「それが自分なんだ」ということの何よりの証拠なのではないか。

Bちゃんはそう言った。

🥂あの1年間で私が学んだこと

Bちゃんに自分自身を認めてもらったような気がした私は、1年間働いたAをあっさりと辞めた

会話がうまく続かず、お客様とプライベートで付き合うこともなく、連絡先も教えなかった私の売上は凄惨たるものだったし、このへんが潮時だろうとも感じていた。

あの1年間で私が学んだことはたくさんある。

例えばC姉さんの席についた時。
C姉さんは立ち振る舞いにとても厳しかった。

お客様が何を求めているのか、何を考えてここに来ているのか、どういう会話をしたいのか、それともただ静かに飲みたいのか。
一言、二言、交わした次の瞬間には感じ取れ。
それがC姉さんの口癖だった。

話せなくてもいい、空気を読め。
場に流れる空気を、お客様の雰囲気を読めと
私はC姉さんに教わった。

それは現在の仕事にも通じるものがあると思う。

お客様は決して自分の本当の望みを口にしない。
ほんの少しの会話から、隠されたニーズを見つけ出すこと、それが求められた時、私はいつもC姉さんの言葉を思い出す。

ハタチそこそこの人間が、出逢えないであろう立場のお客様にも、たくさん出逢うことが出来た。

いくつもの会社を経営している社長さん。
フリーランスで月に何十万も稼いでいるイラストレーター。
家賃収入だけで食べていけるのだと豪語する地主のおじいさん。

想像もつかないくらいのお金持ち。
老いも若きもいらっしゃったが、お金持ちでなおかつ人格者であった皆さんに共通していたのは、綺麗な飲み方をすることだった。

目が飛び出るほど大きな金額を使うことはない。
でも、キャストに飲みたいと言われたボトルを断ることは絶対にないし、指名しているキャストだけじゃなく、サブでついている私たちにも分け隔てなく接してくれた。

外で会いたいとか、アフターしてよ、とか。
そんな女の子を困らせることは言わないし、全員が店だけの関係で完結する。

そんな人たちだから、キャストからの人気もめちゃくちゃ高く、その人たちが来た時は、席が争奪戦になっていたのが懐かしい。

その中でも社長のDさんと私はよくお話をさせてもらって、今でも覚えている言葉がある。

「キミにいつか大切な人ができた時。
その人が自分にとって本当に大切な人か迷った時は、その人のために時間が作れるかを考えなさい」

時間というのは無限にあるものじゃない。
忙しい人間には特に限られたものである。
でも大切な人のためなら、どんなに忙しくても大変でも、その人と共に過ごすための時間を作ることには躊躇しないはずだ、と
それがDさんの持論だった。

この言葉があったから、私は旦那と結婚する時に躊躇なんかしなかった。

そしてBちゃん。
Bちゃんからは、人に優しくすることの大切さを学んだ。

困った時、辛い時、苦しい時。
Bちゃんのように、誰かに手を差し伸べられる人間でいたいと思った。

私がそうしてもらったからだ。

右も左もわからない私を、優しく導いてくれた。
会話すらままならない私を見て、色んな話を振ってくれた。
お客様に無理やり濃い水割りを飲まされそうになった時は、気づかれないようにグラスをいつも取り替えてくれた。

そして「リトはリトのままでいていいんだよ」
諭してくれた。

それは今思えば、Bちゃんなりの最後通牒だったのかもしれない。
「この仕事向いてないよ」と言えないかわりに、綺麗な言葉で包んでくれただけだったのかもしれない。

だがそれでも、私の心にその言葉がストンと落ちてきたのは事実だった。

🥂最後に

人見知りは治らなかった。
私は今も根暗なままで、雑談も上手く出来ない。

でも私は今、あの頃のBちゃんが言ってくれたように「自分のままで」生きることが出来ている。

一時期、Aで共に働いていた昔の友人から、
つい先日Bちゃんが亡くなったことを聞かされた。

記憶の奥にしまい込んでいた当時の記憶が、
ばーっと蘇ってきて、なんとなく書かずにはいられなかった。

人見知りは治らなかったし、性格も変えられなかったけど。
ちゃんと結婚出来たし、あの頃みたいにライブも行ってるし、色々あったけど天職にも出逢って毎日楽しくすごしているよ。

だから心配しないで。
私は私のままでいるよ、と。
もしもどこかでBちゃんが見ているなら伝えたい。

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