製作日記14 あるジャンルの音楽を良いものとして聞くための認識枠組み

コード:Em7→Em7(9)/D→CM7→B7

タイトルは、Frog Rock、カエルのロックです。

こう、結構な数のループパフォーマンスをやってるわけですが、そうすると弾いてる自分もだんだんとマンネリを感じるようになってきています。

そんな中で"暗めネオソウル"みたいな曲が増えてきているところから脱却しようとして、ちょっとオルタナ系をやってみた、そんな感じですね。

奇しくもギタマガ4月号がオルタナ特集ですね。

まぁ、ギタマガを見てこういった形にしたわけではないのですが。

ちなみに、Eastern Youthの吉野寿さんが、

オルタナってジャンルがあること自体が、すでに本来の意味とかけ離れてるわけだからね。今や1つの権威というか、型になっちゃったのかもしれない。(『Guitar Magazine 4月号』42(4): 37)

と述べていて、それに対して向井秀徳さんが、

ここまで話してきたオルタナも、世に出始めた頃は枠からハミ出た存在だったのに、90年代に入って商売になったことで一度枠にハメられたと思うんですよ。(『Guitar Magazine 4月号』42(4): 37)

といっているのが印象的でした。

前々回の記事で、

しかし、ロックだけどロックじゃないのがポストロックだとすれば、さらにその先を目指さないとジャンル的には面白みがなくなっていく気がします。

と書きましたが、吉野氏と向井氏の言葉をきいてみると、オルタナもそうだよなーと思いました。

また、向井氏が「90年代に入って商売になったことで一度枠にハメられた」といってるのも面白いな、と。

ジャンルっていうのは、その背景にどっさりと、その手の音楽を良いものとして聞くための認識枠組みを抱えているものなので、その認識枠組みのきっちりとした枠がないと商売としては難しいのだろうなぁ、と。

もちろん、上に引用しているお二人はその枠組みから外れようとして成功した人達です。

しかし、もっとメタな次元、音楽ジャンルがひしめく空間みたいなものを考える必要があるかもしれません。

実はそういった空間の中に、すでにEastern YouthやNumber Girl、ZAZEN Boysなどを良いものとして認識できる枠組みが用意されていたのかもしれません。

あるいは、Eastern Youth・Number Girl・ZAZEN Boysが影響を受けてきたジャンルを聞くための枠組みをハビトゥスとして備えていた人たちがこれらの音楽を評価し、そして「界」での象徴闘争に一定程度の成果を残したか……。

詳しく考えたい方、私の考え方に反感を持った方は、ピエール・ブルデューの『ディスタンクシオン』やミシェル・フーコーの『知の考古学』などを読んでみてください。


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