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疼きの夏(2)

山本五十六元帥がブーゲンビルで戦死したのが去年、おとんに赤紙(陸軍の召集令状)が来たのがその年の暮れ。
インパール作戦が今年の春に始まったとかで、そのころにおとんがよこした手紙を最後に何の連絡もなくなってしまった。
新聞では「転進」とあったが、ばあちゃんやおかんなどは「負け戦や」とおれにどうどうと言ってのけた。
「孝(たかし)、もしもやで、お父ちゃんが戦死しなさったら…」と声を詰まらせることもあった。
村では、はやくも「戦死」とか「英霊」とかの言葉がささやかれ、紙切れ一枚でその旨が遺族にとどけられたそうや。
幸い、おとんの戦死を告げる知らせは届いていなかった。
おれは、どっかでおとんが生きていると信じてたし、おとんが死ぬなんて考えられへんかった。

田村律子先生は毎朝、加古川から疎開のために引率してきた国民学校の生徒を慈光寺の講堂で教えていた。
聞けば、勉強と言っても、読本を読ませて、書き方を午前中の一時間とちょっとやっているだけで、あとは畑に出て菜っ葉の植え付けやら、洗濯やらをやらせていると言っていた。
もともとこの部落には子供の数が少なく、疎開で一遍に子供が増えた。
おれら上級生は、表向きは疎開の子らと仲ようしていたが、下級の在郷の子たちは、あらかさまに疎開の子たちを敵視していた。
しかし多勢に無勢という感じで、次第に在郷の子たちのほうが肩身の狭い思いをしていた。
それに誰が吹き込んだのか、ここが特殊部落であることを疎開の子らに吹聴した者がいたらしく、いやがらせを受けて在郷の子が泣く泣く帰ってくる様子も何度も見た。
「くそったれが…」
おれも、渋やんも腹が立って仕方がなかった。
その怒りを、おれんちに下宿している田村先生にぶつけたことがあった。
「わかった。そういう差別はいかんわ。お世話になってるのはこっちのほうやのにね」
田村先生は、申し訳なさそうに詫びて、生徒に言い聞かせると約束してくれた。

日本の戦況は、かなり悪いらしかった。
村長の鵜飼さんの屋敷で、婦人会の集まりがあって、おかんがいろんなことを聞いてくる。
空襲に備えての訓練だとか、竹やり隊を組織するだのとか…こんな山奥でいかほどの効果があるというのか?
おれら高等科に籍を置いている者も、疎開の子たちといっしょに教練に駆り出される始末だった。
五十がらみの頓狂な声を出す国民服のおっさんが、先にメリヤスの「たんぽ」をつけた木製の銃をおれらにかつがせて行進させるのだそうだ。
それよりも、近々、高等科の十四、五の男子と女子は、神戸の川西航空機の工場に派遣されるという話も持ち上がっていた。
親元を離れて、今度はおれたちが、よそで肩身の狭い生活を強いられるんか…
学徒動員とか、女子挺身隊とか、聞き慣れない言葉が村のあちこちで聞かれた。

八月に入ってテニアン島というサイパンの近所の島で日本軍が玉砕したという情報が大人たちから聞かされた。

「夏休み」とか「日曜日」なんていう言葉が聞かれなくなってだいぶ経つ。
おれは、あの頃を懐かしく思い出していた。
国民学校の三年生ぐらいだったろうか、おとんとおかんと若狭湾に海水浴に行った夏休み…
舞鶴で海軍の港を見て帰ってきた。
あんだけの軍艦があればアメリカなんかに負けるはずがないと、正直思った。
今は「月月火水木金金」の生活やった。
子供らしい遊びなんて夢のまた夢やった。
おれは畑の草むしりをしながら、照りつける太陽に焼かれていた。
ボロボロの麦わら帽子に容赦なく陽光が差し込む。
「喉、渇いたな」
おれはきしむ腰を伸ばして、沢に下りた。
緑陰で、微風に吹かれながらおれは水面を掬(すく)う。
そしてまず顔を濡らした。
ついで手のひらに掬った水を喉を鳴らしながら飲んだ。
「うまいなぁ」
すると、後ろに人の気配がした。
振り向けば、田村先生だった。
この下の畑で農作業をしているはずだった。
「せんせ…」
「ちょっと休憩」
「暑いもんなぁ。生徒らもバテてるやろ?」
「あんまり食べてないから、みんな元気ないわ」
「そろそろ甘藷(さつまいも)が食えるで。それに南瓜(なんきん)も」
「そやね。細いさつまいもは今朝、いただきました」
「細うても、腹いっぱい食べたいわなぁ」
おれは、南瓜をいくつか、みつくろって取ってこいとおかんに言われてきたんやった。
「せんせは、いい人いたんやろ?」
「なんでそんなこと訊くの?」
「なんでって、ちんこしごくの慣れてたもん」
「やらしいなぁ、孝君は」
そういって、ケラケラ笑った。
そして真顔になって、「去年の学徒出陣でフィリピンのほうに行ってしもた」とつぶやくように言った。
去年の秋やったか、大学生は理系を除いて、前倒しで卒業させて兵隊にとられたんや。
「相手の人、大学生やったんか」
「神戸商業大学(のちの神戸大学)で経済学を勉強してはってん」
「へぇ…」
「戦争が始まったころは、三ノ宮とかのカフェにいったり、宝塚の少女歌劇を観たりしてたんよ」
タカラヅカの名前はおれも知ってた。
レビューは敵性やから禁止されてて、モンペ姿の少女歌劇で学芸会みたいなもんやったらしい。
「ミッドウェーで快勝したはずやのに、彼は違うって言うてた。大本営は嘘ついているって」
「おれもそれは最近、知ったんや。山本元帥が戦死してからこっち、負け続けているんやのうて、その前のミッドウェーのころから負けてたんやって」
「社会主義者の人が学生の中に、ようさん(たくさん)おって、隠れて日本の本当のことを彼は聞いてたらしいの」
「ふぅん。非国民ってやつやな」
おれは、言ってしまって、後悔した。
「そうやね。みんなが一生懸命に戦っているのに、そういうことを言うたらあかんよね」
「あ、いや、おれもその人たちの言わはることのほうが正しいのと違うかなと思ってんねん」
おれは慌てて、取り繕った。
「ふふ、孝君となら思った事を言い合えるね」
「いやぁ…」
おれは、ぼさぼさ頭を掻いて、柄(がら)になく照れた。
「そんでも、せんせはそういうことを生徒の前で言うたらあかんのやろ?」
「もちろん。言わへんよ」
きっぱりと田村先生は否定した。
「あのな」
「なぁに?」
「おれ、九月にも川西航空機へ動員に参加せなあかんらしいねん」
「そうかぁ」
田村先生は空(くう)を見た。
「しかたないね。戦争やから」
と続けた。
「せんせ、キスしていい?」
「え?」
おれの真剣なまなざしに、田村先生は固まっていた。
そして、
「ええよ」と言ってくれた。
先生の方から、顔を近づけて来てくれた。
先生は目を伏せている。
おれは、かっと目を見開いていた。
柔らかな唇が触れ、軟体動物のような舌がおれの中途半端に開いた口に中に侵入してきた。
初めての他人の味…
甘いような、苦いような…無味の味というか…
「ああ」
しばらくして、先生は唇を離した。
おれは、棒立ちだった。
「どう?初めてだったんでしょ?なんとか言うてよ」
先生はにこやかに言う。
「夢みたいや」
くっくっくと先生が押し殺したように笑った。
「キスは敵性語やから、くちづけって言わなあかんよ」とも言われてしまった。

「せんせは、その人のこと忘れてへんのやろ?」
「そらそうや」
「必ず、帰ってくるって待ってるんやろ?」
「…」
先生は、下を向いてしまった。
「思ってないの?」
「わからへん。普通に考えたら、フィリピンって激戦地やん。あんな、勉強ばっかししてた学生に、ちゃんと戦えるわけないやん!」
先生が、声を荒らげた。
「そやな…」
「もういやや…」
田村先生が泣き出した。
おれは「しまった」と思い、慌てた。
「せんせ、ごめんなさい」
「ええのよ、孝君は悪うないの。あたし戻るわ」
「うん」
踵を返して、田村先生が土手を駆け上がって、畑の方に走っていってしまった。

おれは、唇を舐めた。

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