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【短編小説】 ガーディアンエンジェル(守護天使)との再会 序章

ベンチにてひとり途方に暮れる

銀杏並木が続く道端のベンチに一人で座っていた。
今までの人生、特別にひどいことがあったわけじゃない。いや、あったのかもしれないがなんとか生活はできていたし、こうやって今も生きている。
20前に起業した会社も借金は増えたがなんとか金を融資を受けつつビジネスを続けていた。自分で会社をやっているなら誰でも金策の悩みは尽きないものだ。事業を続けていれば常に困難と立ち向かっていなければならない。良い時もあれば悪い時もある。いい時というのは一瞬で通り過ぎ、悪い時、つまり困難さを感じる方が多いかもしれない。
今までも貯金が底をつき「もうダメだ」と思うと金が入って来るという奇跡や幸運としか言い表せないことが起きて事業を続けてきた。
右に倒れそうになったと思えば今度は左、走るスピードがどんどん遅くなりついに止まってひっくり返るなと思ったら何とか少し動くというまさに自転車操業でやってきた。そうまさに絵に描いたようなママチャリによる自転車操業だ。
この先もどうなるかわからないが、唯一心の支えになっているのは「今までなんとかやってきたんだから、この先もなんとかやれるだろう」という全く根拠も何もない考えだけだ。
銀行にこれからの事業計画を出せと言われこのフレーズを言ったら「こいつはアホか」と氷水の入ったバケツを頭に被されるかもしれない。
Kという名のカマキリが一本足で右に左に揺れながら立っているような状態が続いているから安息の地はまだまだ遠いがそれでもやって行く。その覚悟は出来ていた。
だけど今度ばかりはついに「終わり」がやってきたのかもしれない。

10年ほどまえのことだ。事業がうまく行っていた時、叔父がやっていた事業を拡大するために銀行から多額の融資を受けた。そしてKはその連帯保証人になったのだ。よくある話だ。
その時はKも叔父も全く問題なくバブル風の言い方をすればイケイケな状態だったので全てがうまく行くと思っていた。悪いことが起こるなんて想像もできない。よくある話だ。
だが4年前の世の中の価値観がひっくり返るぐらいの出来事、全く予想もしなかった世界的なパンデミックのせいで叔父の会社はついに倒産しKは多額の借金を背負うことになったのだ。
まあこれも世間にはよくある話だ。
そしてまたまた世間によくある話、悪いことは重なるものだ。
Kが飼っていたネコが突然死んだんだ。前日まで何の問題もなく過ごしていたのにある朝突然死んだ。
彼はこのネコを可愛がっていた。
敬愛する夏目漱石の名作「吾輩は猫である」の真似て名前はあえてつけていなかった。
ニャーと鳴くので(ネコは普通そう鳴くのだが)便宜上ニャーと呼んでいた。
Kはニャーといつも一緒だった。商談で出かける時も以前ならあちこち飲みに出かけていたがニャーと暮らすようになってから用事が終わればそのまま真っ直ぐ帰ってくるようになり生活は一変した。
スケジュールやアポイントメントは必ずニャーのご飯の時間に間に合うように決めていた。場合によっては約束をキャンセルすることもあったんだ。
愛情を注いだニャーが突然亡くなったのと時を同じくして多額の借金を背負うことになるというこの何とも言い難い運命にKは打ちひしがれた。
絶望の淵に立たされ、そして心が折れたというのはこういうことなのだ。
「この際ケツをまくるか」Kは命を断つことを考えた。あとはどうやって実行に移すか。銀杏並木のある公園のベンチで考えていた。

歳ももうすぐ還暦だ。国民的な昭和の漫画「サザエさん」の波平は53歳だったというがとっくに追い越している。
あと10年、遅くとも20年後には三途の河を渡ることになるだろう。いや、Kが気がついていないだけですでにご先祖様たちが河の向こう岸に座って今か今かと待っているかもしれない。
亡くなった親戚は皆でオニギリを食べるのが好きだった。Kもこの際オニギリを食べに河を渡るか。

問題はどうすれば楽に死ねるか、ということだ。
楽に死ぬ、それは死んだことを判断できないほどのスピードで事を終わらせなければならない。間違っても手足が皮一枚で繋がり断末魔の叫びを上げながら苦しみもがいて死んでいくのは嫌だ。
想像しただけで身震いしてしまう。
この世には何の未練もないがこんな苦しむならば生きてる方が楽だと思い直しかねない。

Kはいくつか死に方候補をあげてみた。

・電車に飛び込む
一般市民へ甚大な迷惑をかけることになる。
「死ぬんだから関係ないだろう」と投げやりになるのはあまりにも無責任な考え方というものだ。
大事な入学試験に向かっている未来ある若い人がたまたまその電車に乗っていて遅刻するかもしれない。
そのせいで一生を棒にするかもしれない。
挽肉になったKを片付けるのは善良な鉄道会社の作業員や国の治安を守ってくれている警察官だ。暖かい家庭が彼らを待っているだろう。
彼のせいで笑顔が絶えなかった家庭を壊すことになる。
ほんの小さな誤解で不幸にも別れたカップルがまた関係をよりもどし楽しく食事をしたあと記念にコンサートに行く途中に乗り合わせるかもしれない。
その精神的なショックでそのカップルの心に大きな傷を作ってしまうかもしれない。
彼らにとって全く関係のないKの事情のせいで彼らを巻き添えにすることは絶対に自分の人生の最期にやることではない。

・首をつる
迷惑をかけないために広い樹海で人知れず首をつる。
自殺のメッカと言われる樹海に一人で死に場所を求めて彷徨う恐怖。想像しただけでも恐ろしい。
仮にうまくいったとしても首をつって死んだ姿は相当悲惨なものらしい。
舌が伸び切り眼球が飛び出たあげくウジ虫に身体中食い潰される姿では無事に三途の河を渡れるとは思えない。
今はやりのYouTuberの心霊スポット巡りで見つけられでもしたら自分の無様な姿が世界中に配信されてしまうことになる。
奴らが再生数を伸ばし、Kの無様な姿で小銭を稼ぐのも気に入らない話だ。

・薬の過剰摂取 オーバードーズ (Overdose : OD)
若者の間で深刻な問題となっていることから厚労省も乱用のおそれのある医薬品の適正な販売を薬局やドラッグストアなどに周知するよう都道府県などに通知しており大量に買うことはできない。
もちろん不当に医者の処方を頼むこともできないし、頼むことができる人脈もKにはない。
道端でそれっぽい奴に話しかけて違法薬物に手を出すほどの勇気はない。だいたい自分のマンションで自殺をはかったら資産価値は暴落、この部屋も告知義務が発生する事故物件になってしまう。
自殺が発生した場合は、原状同復の必要などもあり、当分の間その部屋を貸すことはできなくなる。この賃貸マンションの大家さんは人の良い老夫婦が管理しており、どうしてもあの二人をの困らせるわけにはいかない。迷惑はかけられない。
ネットには自殺のあった部屋ということで書かれ、いわゆるデジタルタトゥーとして永久に残り続ける。老夫婦の悲しい顔を思い浮かべただけで涙が溢れてくる。

・入水自殺
昔の小説の哀しい恋愛物語、心中する手法としてよく使われたがいい歳をした男一人でやっても全く絵にならない。
おまえは江戸時代に実在した力士「成瀬川土左衛門」かと呼ばれ時代遅れのバカなおっさんとして腹を抱えて笑われるだけだ。
それにそろそろ寒くなってきた季節、こんな季節に海でも川でも水に飛び込むなんて狂気の沙汰でしかない。先の健康診断で「心疾患の疑い有り」と出るから間違いなく心臓発作を起こすだろう。
大量の水を飲むのと合わせてもがき苦しみ、藁を掴みながら溺れて死んでいくのなんて悲惨すぎないか。下手すれば沖の方に流されサメに食われる。とにかく絶対に嫌だ。

その他にどんなやり方があるのか調べてみると、ガス、縊首(いしゅ)つまり固定した索状物を頸部に巻きつけて全体重をかけて巻きつけた索状物で頸部を圧迫する、低体温、感電などなど。
どれもピンとこない。避けたい理由としてはどれも同じでそもそも恐ろしい。
Kは途方に暮れてしまった。

(続く)


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