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【短編小説】 30年後,街角にて。 (オー・ヘンリーに捧ぐ)

その警官は暗い路地裏をゆっくりとパトロールしていた。
警察官になってもう30年にもなるが相変わらず交番勤務で街をパトロールをしていることが多い。
警察官は昇進試験に合格しないと出世できない。早い人は巡査部長を経て、警部補・警部と出世していくのだが、彼はいつまでたっても巡査部長のままだ。
もう一つ上の階級である警部補にはなりたいとは思っているがどうしてもというわけではない。
彼の元来優しすぎる性格は競争や争いなどを好まない男で出世には興味のない男なのだ。
「友情」だとか「愛」「友情」「義理」「感謝」などを最も大切にする彼の性格は若い頃から変わらなかった。要するに優しい男なのだ。よく言えばだが。
たとえ他の職業に就いていたとしても彼が出世することはないのかもしれない。そんな男がなぜ警察官という職業を選んだのか。それはシンプルに社会の秩序や安全、そして人の命を守ることができ、人から感謝される職業だったからだ。
彼はそういう男なのだ。競争だとか争いとかその類にあるものとは静かに距離を取る男なのだ。
パトロールをしている途中でも季節の変わり目の匂いに感動しその場に立ち尽くしてしまうような時もあったし、先日も非番の日に絵画のギャラリーが多いこの街にわざわざやってきてジョルジョ・デ・キリコやイヴ・タンギーの絵を見に来たものだ。
彼の休日はそうやって静かに一日を過ごすことが多い。

世の中はクリスマスも終わって一息つき、そろそろ年も暮れ、正月の準備をしようとしているこの日、表通りとはうってかわって人も少ない全く雰囲気の異なる、まるで1940年代から1950年代後半にハリウッドでさかんに作られた映画、フィルム・ノワールのような香りが残るこの路地裏をパトロールしていた。
その時ビルの片隅に眼光鋭い自分と同年代の男をみつけた。その男は明らかに挙動不審だった。せわしなくあたりを見廻していたせいもあるだろう。男は善良な一般市民とは異なる何か異様な雰囲気を発していた。明らかにこの男は怪しい。
それを感じることができるのは、今の時代もう口に出すのも憚れるほど死語となったフレーズだが「警察官の勘」というものだ。
それは長く警察官をやってるとそのような超能力が自然に発達するものなのだ。
理性を超えた警察官としての非常に崇高な属性ともいうべきものだ。

「こんなところでお待ち合わせですか?」まるで古くから友人であったように彼は和かに尋ねた。
ビルの前で周りを窺っていた男は一瞬警官を見てかなり驚いた様子だったが直ぐに視線をそらし加えていたタバコを投げ捨てた後投げやりな調子で言った。
「友人とね。待ち合わせてるんだ」男はこの寒空の中、額から大粒の汗をかいていた。
「この時代にメールやSNSも使わずに待ち合わせするなんて奇妙だと思うかな?
なんせ30年ぶりに会うんでね」
「ほう、30年ぶりですか」警官は感心したように言った。
「そうだ。30年前に友達と約束したんだ。30年後のクリスマスも終わり世の中が少し落ち着き正月に向かって忙しなくなるぽっかりと空間ができたような、まるで一瞬だけエアポケットのようになった12月26日の夜午後8時にここで再会しようってな」
男は聞いてもいないことを喋り始めた。
「30年前ですか。ずいぶん昔の話ですね」
警官は視線を男の目に照準を定め、高性能の中距離地対空誘導弾のようにロックオンして言った。
「時代は浮かれたあのバブルも急速に終わろうとしている時だったな。それでもまだこの通りは今と違って人で溢れていたよ。この場所にジャズクラブがあってね、オレたちはしょうっちゅう一緒に酒を人でいたんだ。そこではあるシンガーが毎晩歌っていたな。この女が抱けるのだったらだったら全てを投げ出してもいいと思わせてくれるそんなシンガーだった。歌がうまいシンガーなんて世の中にごまんといる。人前で歌を歌うなんて女はそれ以上の何か特別なものがなきゃだめなのさ。
つまり「Something ELse」ってやつだな。オレたちはそのアニタ・オデイのようなシンガーが得意だったラヴ・フォー・セールを聴きながらどうすればこの女を自分のものにできるか、なんてことばかり話していたんだ。
この頃の人々はこのバブルが消えないように、過ぎ去っていく泡、夢が消えないように必死に掴んで離すまいとしている様だったな。
オレたちはそのシンガーのドレスから時々見える綺麗な白い足を見ながら約束したんだ。いつまでもこんなところで燻っていないで何か大きなことに挑戦しあんな女を毎晩抱けるような男になろうぜ、ってな。」男は煙を大きく吐きながら言った。
「君はオレのことを虚言癖のある男だと思ったかもしれないな。だがこれは作り話でも何でもないんだ。オレたちは子供の頃から一緒に遊んでいた、そうだな、映画の『スタンド・バイ・ミー』のような世界を過ごした幼馴染同士だったんだ。だから大人になっても夢を語り合えるようなことが自然にできたんだ。」
男は遠くをみつめながらも堰を切ったように喋り続けた。彼の額からは相変わらず大粒の汗が流れていた。
「そのジャズバーは確か「SO WHAT」というお店でしたね。ずいぶん前に閉店しビルも取り壊されました。今のこのビルは新しく建て替えられたんです。まるでそんな店は最初から無かったように」
警官は瞬きもせず男の目をロックオンしながら言った。
男は落ち着きなくタバコを捨て直ぐに新しいタバコを取り出して今ではあまり見られなくなった金属製オイルライター、ジッポに火を着けた。
その時、定規とコンパスと大きな目がデザインされたそのライターから発せられた青白い炎が男の顔を照らし出した。
警官は息を呑んだ。なぜならその男の頬は痩せこけ目はうつろで不健康に黒く荒れた肌だったからだ。明らかに普通じゃないその男は自分が観察されているのを感じたのか直ぐに顔を背けた。それでも話をやめなかった。
「バーで何杯目かのGinを飲んだ後、これからはお互い別の道を歩んで30年後に成功した姿で再会しよう、そしてたとえうまくいかなくても、どんな世界で何をやっていようとも必ず会おうと誓い合った。」
男は努めて自分が正常だと思わせようとしているようだった。むしろこちらが聞いているわけでもないのに喋り続ける姿は明らかに正常ではないことに気がついていないようだった。
「そしてオレは海外でビジネスをやろうと決め日本を飛び出した。あいつは日本にとどまり何か人の役にたつことをやる、と言った。それもいいだろう。それぞれのやり方でうまくやればいい。」
「いい話ですね。本当にいい話だ。」警官は感情を全く込めてはいないが、まるで保護観察官のような優しい口調で言った。
「30年もの間全く連絡は取り合わなかったんですか?」
「そうだ、完全に関係を断ち切ろうと決めたんだ。全く若者らしい清々しいほどの純粋さじゃないか」
「そう、オレたちはピュアで純粋だった。だがあいつはオレよりも純粋だった。
時々そんなことで人生渡っていけるのか?と心配するほどだった。あいつはとにかく誠実で真面目、そして一度決めた約束は絶対に守る男なんだ。」
男の顔から流れる汗はまるで滝のようだった。
「だから、あいつは必ず今日ここに来る。だがオレだってこの日のために生きてきたんだ。あいつと会うためだったら例えどんなことをしても必ず成功してここに来ようと頑張ってきたんだ。」
「それであなたは成功したんですね?」
警官は自分の職業を忘れたかのような優しい眼差しで聞いた。
「そうさ。オレは成功した。大金持ちになったんだよ。あいつもオレの半分でもうまくやっていればいいんだが、、、」
「だがあいつは欲のない男だったからな。他人を蹴落としてまで他人の人生を利用してまでのし上がる様な男じゃなかったからね。」
その刹那、警官の目が鋭く光ったことに男は気がつかなかった。まるでひとり芝居のように喋り続けていたからだ。
そしてすぐに悲しみを帯びた目になりその男を見つめながらひとしずくの涙がこぼれ落ちた。
しかし暗い夜の帳の中でこの男が警官の涙に気づくことはなかった。

(つづく)


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