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#3なぜこどもは親の言うことをきかなくなるのか?子育てを”識学”で考えてみたら耳が痛ーくなった話

識学で考える子育ての話
なぜ子どもに「ご褒美」を与えすぎてはいけないのか? 子育てを”識学“で考えたら超わかりやすかった話)

が、思いのほか反響がよく、また自分自身の理解度の向上にも繋がったので、識学を受講し終わるまでの全12回を、子育てに置き換えて記事にしてみることにしました。

さて、第三回目のテーマは「役割」です。

組織には必ず「役割」がある

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識学では、組織の中には役割に基づいて役職があり、そこに個人が紐づくという関係性を大事にします。これを「組織内の位置」と呼び、個人がちゃんと決められた位置にいるという状態が望ましいとしています。
私たちの身の回りを見渡すと、必ずこの役割と位置の関係が色々なところに存在していることに気づくはずです。もちろん、家族においても例外ではありません。

例えば、親はお金を稼いでくるという役割を担っていますし、子どもは勉強する、学校にちゃんと通う、兄弟に勉強を教える、家事手伝いをするなど、家庭でも必ず何か役割を担っています。

でも、子どもは時に、この役割をはみ出す、つまり本来の位置からずれてしまうようなことがありますよね。宿題をしなかったり、家事を手伝わなかったりして「もう!なんでちゃんと勉強しないの!」とイライラしたことは、親であればきっと一度や二度ではないはずです。

誰もが悩む、この「子どもが言うことを聞かない」という現象。なぜそんなことが起きてしまうと思いますか?

言うことを聞いていないわけではない

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識学ではここに2つの理由がある、と定義しています。
ではそれをわかりやすく考えるために、こんなシチュエーションを考えてみてください。
例えば、勉強するという役割に対して、親であるあなたは”家に帰ったらまず、最初に宿題を終わらせてからおやつを食べる”と決めたとします。
ところがある日「どうしてもお腹がすいたから、先におやつが食べたい」と子どもに言われ、もうしょうがないなぁ、と宿題の前におやつを食べることを許してしまったとします。
この場合、子どもの頭の中ではどんな解釈が発生していると思いますか?

「あれ、ママ、帰ったらすぐに宿題するって言ってたけど、おやつ食べたあとでもよいのかな?」
と思うわけです。
「そうか、おやつだったら先に食べてそのあと宿題してもいいのかな?」と。

A:帰ってきたらすぐ宿題をする、という選択と、
B:おやつを食べたあとに宿題をする

という2つの選択肢が、子どもの中で発生してしまうことになります。

そうすると、今度また宿題をするときにどうなるでしょうか。
今日はおやつ食べた後に宿題しようか、それとも食べずに宿題をするか、どっちにしようかな?と考え始めます。なぜなら、もう1つの選択肢が生まれることによって、今まではAだけだった答えに、Bという選択の余地ができてしまうからです。

これが役割をはみ出してしまう理由の1つ目、「過去に上司の指示に従わずに許された経験」です。ここでの上司は親であり、許されたのは子ども、ということです。

子どもの頭の中だけで考えると、厳密にはルールも役割も逸脱していないんです。単に、選択肢が増えて自分で判断できる余地が生まれたというだけですよね。つまり、言うことを聞かない、という状態になる前には必ず、ルールを作った親自身が、どこかで必ずもう一つの選択肢を子どもに与え、判断の余地を与えてしまっているのです。
あぁ、これは耳が痛い、、、苦笑
でもこれ、結構やってしまうと思いませんか?

親と子どもは視座・視点が違う

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もう一つ、親の言うことを聞かなくなる原因は、「部下が上司を評価できる」と考えてしまうことがあります。つまり親を子どもが評価できると誤解するということです。
少し前に、経営者と従業員の視座・視点の違いについて書かれたnote

なぜあなたの会社の社長は朝令暮改が多いのか|池田 紀行 @ikedanoriyuki|note(ノート) https://note.mu/ikedanoriyuki/n/na63f63df0ead

がバズっていましたが、読んでみたことはありますか?
まさにこれを例に考えれば、親と子どもの視座・視点は経営者と従業員との関係とは比にならないほどに離れていますよね。ですから、当然のことながら、子どもの視点から親の判断や選択を評価することなどできません。

親は、子どもの5年後、10年後、20年後を考えて、あらゆる教育をしますよね。でも、子どもには、今日の出来事ぐらいしか頭の中にありません。だから本来は、子どもには親がなぜそんなことを言うのか、理解できなくて当たり前なんですね。ですから当然、親から言われることは、子どもの視点で考えると、たいてい今やりたくないことだらけです。なぜなら親はもっと先を見て今やるべきことを判断しているからです。嫌だ、やりたくないと子どもに言われて当たり前なんです。だからそれを続けさせるために、親は何度も言って聞かせて、継続できるように応援するしか方法はありません。

「判断すること」は親の役割

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私はこれを知った時に、「子どもの意思を尊重する」ということを履き違えていたなと思いました。判断するという仕事は親の役割です。もちろん、子どもに自分の意志を聞くことは大事かもしれません。でも、どうしたい?と聞いて仮に辞めたいと言った習い事でも、親が続けるべきだと思うなら、ダメ、続けなさい、と判断することは何も悪くないことなんですよね。
むしろ、子どもの意志を尊重する、と言うと聞こえは良いですが、言ってしまえば判断するという親の役割を放棄していますよね。
子どもより視座、視点が圧倒的に高いからこそ、子どもの将来を親が考えて最後は判断をする。それが親としての責任なのだと痛感しました。

ちょっと今回は自分も含めて耳の痛い話が多いなぁと感じましたが、でも親の責任を明確にすることで、むしろ子育てで迷うことも少なくなるように感じています。
ぜひそんな視点で識学で子育てを考えてもらえると嬉しいです。

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