白い喪服

早稲田 揺れ動く熱っぽい微光

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式日、総ての初夏の光に

Null part trace de vie, dites-vous, pah, la belle affaire, imagination pas morte, si, bon, imagination morte imaginez. S. Beckett, Têtes-Mortes #23-6-2023 2022年9月13日、ジャン=リュック・ゴダールはスイスのロールにて亡くなった。 私は彼のメゾンのあるスイスのロールから電車で30分ほどのジュネーブのレマン湖よりこ

    • オッペンハイマー感想・走り書き追記有り

      こんばんは。日本で上映されていないので、思い立って8/4に台湾でオッペンハイマーを観てきました。まだ観ていない人にストーリーが完全にバレないようにする為に軽く感想と主観のみとしています。部分的なストーリーは分かってしまうと思うので、心配な方は読まれないことをおすすめします。 9月以降には完全ネタバレ込みでもう少しちゃんとした文章を載せます…… 冒頭には、今はパリに所属されているピカソ《Woman sitting with crossed arms》をオッペンハイマーが眺めて

      • 大隈講堂付近で青○している大学生カップルについての所感

        家でやれ

        • 映画の中のダンスシーンという偏愛

          私がこれから話すのは、22年間のかなり偏った映画鑑賞歴の中で、これから映画を趣味にしていこうとされる人に勧められる様な映画のダンスシーンについてであって、必ずしも「ダンス映画」の紹介ではない。 サブスクで観られるものに限ったつもりではあるので、気に入り次第即鑑賞して見てほしい。 サブスクにある映画は、いつでも観られるが故に、いつまでも観ないものなので。 ただ、良質なダンス映画そのものが観たいなら一旦この文章を離れて「ダンス 映画 おすすめ」(あなたの電子端末の言語設定が日本

        式日、総ての初夏の光に

          遥か昔、遠い銀河系のこと

           忘却の為の美しい記憶として、私があなたを思い出す時、いつもあなたは果てしなく遠い、遠い───余白だった。  狭い部屋でEarth, Wind&Fire「September」がBGMのホームビデオを観ていた。熱っぽい冬のディスコソングが眼前を通り抜けていく。この曲は九月の歌ではなく、十二月の曲だ。それは稲垣潤一「クリスマスキャロルの頃には」がクリスマスソングでは無いのと同じ様に、時々思い出しては妙な気分になる事実として存在する。  九月生まれの母を想って、曲名で安直に

          遥か昔、遠い銀河系のこと

          フィクションであることの誠実さ ーレヴィナスからみる芸術作品における「死者の領有性」の回避ー

           反戦映画をどう観たらいいのか分からない。 と言うより正直なところ、反戦映画が好きではない。 理由は「死者たちに代わって」もしくは「死者たちのために」死者の言葉を語ろうとすることは不可能でしか無いからである。 噛み砕いて言えば、戦争の悲惨さを想起させる装置としての映画は誠実でない、というわけである。 それゆえあらゆる反戦モノを観てこなかったのだが、先日授業中にアラン・レネの『ヒロシマ・モナムール』を観ざるを得なかった。 これが案外面白い。 被爆地広島県広島市を舞台にし

          フィクションであることの誠実さ ーレヴィナスからみる芸術作品における「死者の領有性」の回避ー

          沈殿物

          2021年11月某日 大学の喫煙所で「DELTA9KIDって、何時の季語?」と聞いてくれる友人がいてよかった。 「DELTA9KIDって、何時の季語?と、友達が聞いてきてね」と話すと「大学に友達いたんだね」と拍手までして喜んでくれる恋人がいてよかった。 「メガネをかけているから冬だろ」というのが、彼の言い分なので、中学生の私という固有名詞は冬の季語になるのだろう。 あの頃の私の涸れた思い出は、どこかに沈んでしまって、夏のプールサイドから恐る恐る飛び込んで、だらだらと拾う

          バタイユ『眼球譚』を通じたブニュエルと丸尾末広の眼球イメージに関するフェチズムとその「無意味」

           眼球舐めプレイ(Oculolinctus)は一種のフェチズムだろう。 ちょうど私が中学生の時に流行っていたので聞き覚えのある人も多いのでは無いだろうか。センセーショナルな報道により、多くの小学校で眼球舐めをする生徒の有無が確かめられたということを耳にした記憶がある。 当時、私は素知らぬ振りを突き通していた。 しかし「眼球を舐める」という行為に対しての興奮があったことは間違いではない。 10代のはじめ、私の眼球に対しての鬱屈とした美意識は、近視乱視による視生活改善器具の着

          バタイユ『眼球譚』を通じたブニュエルと丸尾末広の眼球イメージに関するフェチズムとその「無意味」

          新宿巡礼 

           フェデリコ・フェニーニの『甘い生活』を流し見していた。彼の映画は余りにも長すぎるし、古臭い。申し訳ないけれど。ただ映像が美しいということだけが色褪せない、そう思っていた。 「ときどき、夜中にこの静けさが私にのしかかってくる。平和ってなんて恐ろしいんだろう……」  アラン・キュリー演じるスタイナーの台詞が、遠のいた意識の外側を抉る様にして鼓膜を叩く。途端に私はこの角部屋で、身震いしてしまう。 不幸だ!あんまりにも、あんまりにも不幸だ! ……不幸だ。部屋の中でさえ休息出来

          新宿巡礼 

          涙の乗車券を握り締めて

           松田聖子を聴き始めたのは、確か高校生の頃だった。 他人よりも遅いであろう彼女との出会いの理由は「母親が聖子ちゃんを好きじゃなかったから」ただそれだけ。 家にある膨大な80年代アイドルグッズの中に、松田聖子はいなかった。 斉藤由貴も薬師丸ひろ子もWinkも工藤静香も、ついには、おニャン子クラブのポスターすらあったのに。 一度好きになったアーティストは大体3年周期で再度はまり出すという習性を持つ私は、ふと思い出したように彼等を聴き出す時がある。  そして2019年の夏

          涙の乗車券を握り締めて

          きっと私もタクシードライバーになれない

           ドライブのためにデリヘル嬢をやっている友人がいる。  私はみうちゃんと呼んでいるが、源氏名は知らない。聞いた気もするが、覚えていない。  何にしろ、デリヘル嬢が友人になった訳ではなく、友人がデリヘル嬢になった。それ故に、私にとって彼女を言い表す言葉は他にもある。  だけども、今の彼女を取り立てて言い表すとしたら「デリヘル嬢の」という形容が一番しっくりくる。なんにせよ、彼女は好きでこの仕事を選んでやっているのだ。 「私ね、デリヘルの仕事で車で運ばれている時間が一番好き。

          きっと私もタクシードライバーになれない

          嗜好品としての煙草のすゝめ

          マルボロ 私が最初に吸った煙草はこれです。洋モクにありがちな匂いのつきやすさは否めないけど、味のバランスが良いのでチェーンスモーキングにも合っている気がする。少し湿らせた方が吸いやすい。雨の日に吸うと妙に美味しかったりするので。サタデーナイトフィーバーの主人公が吸っていて、時代を担ってきた様子が窺える。 ハイライト 同居人が吸っているので最近よく貰い煙草で吸わせてもらっている。 クールスモーキングだとラム酒の味が鼻腔に充満する。そうじゃないと辛いし苦いんだけど、この吸

          嗜好品としての煙草のすゝめ

          食卓と沈黙

           昔から、決まって家庭の不和は食卓で起こっていた。 例えば、ほうれん草のスープを啜った時に音が出れば叱られた。 幼い私は、テーブルマナー通りにも、はたまた『斜陽』冒頭のお母さまのような「ひらりと一さじ」口に運ぶようにも、スプーンを扱えなかった。 お皿に擦らせた銀食器の音や液体と粘膜の触れ合う奇妙な低い音は、確かに心地の悪いものだったが、どうすることもできなかった。 叱られながら、それでも子供には大きすぎるスプーンで食事を続けることは苦痛だった。 食べることを放棄する

          食卓と沈黙

          右頬のケロイドと「リリィ・シュシュのすべて」

          私の右頬には、直径8ミリ程のケロイドがある。 写真を撮られたり、横並びに座ったりする時、私は常に左頬を晒し出そうと身構える。 向かい合う時間が増えてきた相手から「どうしたの」と聞かれる時に、彼らに話していたことは、決まって「誤って彫刻刀で傷つけてしまった」の一言と、「本当に痛かったんだよね」という呟き。 それだけ。  先日、新文芸坐で岩井俊二監督特集がやっていたらしい。 何個か観にいく予定を親しい人たちと立ててはいたが、私自身が体調を崩してしまい、断りを入れてしまった

          右頬のケロイドと「リリィ・シュシュのすべて」

          独り寝

          四歳の頃から、独り寝をしている。 ぬいぐるみを30体くらい敷き詰めた、100cmほどの私には大きすぎるロフトベッドが、幼稚園の年長さんの頃には聖域だった。 あともう少しで生まれるはずの妹を孕んだ母親が、「一人で寝られるようになろうか」と言ってきた訳ではない。 私が、四歳の私が、自ら望んで一人で寝ようとしたのだ。 「明日から、一人で寝たいです。」 そう母親に伝えた日の、数日前のことである。 (私は親に敬語で話すことを半強制されていた) 午後七時には、お風呂に入るこ

          崇拝と、ほんの少しの敵意

          私はアカウントを何度も転生しながら、かれこれ5年ほどTwitterを使っている。 高校生の頃も、現在運営しているようなアカウントの内容を呟いていた。 周りに馴染めていない自覚はあったが、時折直接「自分に酔ってそう」「何が言いたいのかわからない、Twitterの使い方間違えてるよ」と笑われることがあった。 それでも自分の趣味嗜好や読了感想を話す場はそこしか無く、アカウントを分けて呟くほど器用でもなかったのでそのまま呟き続けるしかなかった。 私の高校から少し離れたところに

          崇拝と、ほんの少しの敵意