【新日本プロレス】1998年⑥ 職人・保永昇男の引退とBOSJ金本初優勝

①バトルライン九州 4.13〜4.26

アントニオ猪木引退試合の後、最初のシリーズ。2023年の今ならビッグマッチに使うくらいの規模感の九州の体育館を片っ端から回っていく、当時の新日本の体力を感じさせてくれるシリーズでした。
この時の目玉は平成維震軍の強力な助っ人、天龍源一郎。
ほぼ越中の一枚看板だった維震軍に天龍が加わることで、一気に軍団抗争のトップに躍り出ます。
これまで、木村健悟と藤波辰爾の再合体や野良犬タッグ脱退騒動くらいしか話題に上がらなかったのに、本隊やnwoと同格の存在感にあがってくるんですから、天龍の格の高さが伺えます。

実際、この九州シリーズではほぼメインかセミにラインナップされて、連戦連勝を重ねていったままシリーズを終了。この勢いは
あと、このあたりから、何故か後藤・小原の狂犬コンビがぬるっと維震軍に戻っています。なんか戻るきっかけあったんだっけ…。

そしてこのシリーズとは独立する形で、後楽園ホールにて『保永昇男引退記念試合』が開催。
新日本ジュニアの主役で、保永が数多くの抗争を繰り広げたライガーが引退試合の相手を務めました。
この試合自体はライガーが勝利を収め介錯したわけですが、試合後に上がって来た若手三人組、金本、大谷、高岩(この頃からトンガリコーンズと呼ばれ始めたはず…)が何やら保永に詰め寄ってガチャガチャ揉み合いに。
どうやら、金本から「このまま引退なんてさせんぞ」と言ってた様子で、そのまま三人で保永に攻撃を仕掛け、ライガーとサムライがそれを助ける形で急遽6人タッグでの追加試合になるというおみやげが。
(正直、外側から見てるとなんだかよくわからないまま急に試合が始まったような印象でしたが…)

とにかく三人が徹底的に保永を痛めつけながらも、最後は保永がウラカンラナで高岩からフォールを奪う形で今度こその引退試合が終了。
試合が終わってからは、普段敵同士のマスクマン軍団と新世代軍が一緒になって保永を胴上げするという、保永によって作られたレアな演出も見られました。

ブロンドアウトローズ、レイジングスタッフでヒールを極めてライガーに立ち塞がった90年代前半。トップオブ・ザ・スーパージュニア優勝、IWGPジュニアヘビー級王座戴冠。怪我に悩まされながらもしっかりと役割をこなす”職人”の仕事が終わりました。
ここから保永は新日本プロレスにレフェリーとして帯同し、やがてメインレフェリーの一角としてまた居場所を作っていきます。
一説には、「長州さんに『お前は選手としてはクビ。レフェリーなら複数年契約してやる』と言われたから、不本意ながら引退した」と本人が語っていた…という話があります。
話の真偽はわかりませんが、この後の保永はWJ→リキプロと、長州に付いて行動していきます。
現場監督であった長州からしたら、怪我や体調不良の多い保永の今後の人生を考えての決断だったと推測できますし、言われた時は不本意だったとしても、長州のそうした思いは理解できていたんだろうなと思います。
ともかく本人の意思は置いておいて、こうしてきちんとした形で引退試合を組んで幕引きできたのは、今となっては幸せなことだったのかもしれません。2000年以降に出てくる大量の離脱者の、その後のレスラー生活を考えると…。

②ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア 5.16〜6.5

この年のスーパージュニアは6人2ブロック。
各リーグ1位同士が決勝を行う形式です。
リーグ分けはというと…

■Aブロック
 獣神サンダー・ライガー
 エル・サムライ
 大谷晋二郎
 高岩竜一
 福田雅一
 ドクトル・ワグナーJr
■Bブロック
 金本浩二
 ケンドー・カシン
 安良岡裕二
 獅龍(カズ・ハヤシ)
 南条隼人
 エル・フェリーノ

筆者は子供心に『なんかAブロックにかたまりすぎー!』と思いました。
当時の選手たちには失礼ながら、Bブロックが金本かカシン以外考えられないブロック分け。
そして、Aブロックは当時ジュニアの中心人物だったメンバーが4人固まってます。
もうちょっとちゃんと振り分けてほしかったなぁ、と思ったんですが、これだけのAブロックの布陣で決勝進出を果たしたのはなんとワグナーJr。
優勝候補3人(ライガー、サムライ、大谷)で星を食い合う格好になってしまったことも災いし、更に『みちのくドライバーⅡ』を引っ提げて二度目の参戦を果たした伏兵がまさかの決勝の切符を手にします。

一方のBブロックは、大方の予想通り金本が決勝進出。
これ自体は、金本の決勝進出そのものよりも「開幕戦で安良岡のアゴを破壊」という方が話題に登ることになってしまいます。
安良岡は最後までこの後遺症に悩まされて若くして引退することになり、これが後年、金本の凶暴エピソードの筆頭で語られる事になるわけですが、試合自体は「いつもの金本」でしたし、個人的には他団体からの刺客に対して「厳しい攻めでうちの団体の強さを示してやろう」とするのはプロレスラーとして決して間違った発想ではないんじゃないかなぁ…と思ったりします。

実際1998年当時に「選手を壊すなんて!」という論調はほとんどありませんでしたし、金本本人は『安良岡の気持ちも背負って戦う』とも言っており、決して悪意のある攻撃ではなかったように感じます。
ついでにいうと、この件から南条隼人が金本に対して大きく萎縮してしまい、試合後に「勝つとか負けるとかじゃなく、無事にリングに戻ってこられるかの戦いだった」という主旨の発言をしております。
金本のファイトスタイルに賛否があるのは間違いないですが、リーグ戦中にこの気持ちをマスコミの前で言ってしまうメンタリティなのは、当時の新日本プロレスの風土とは確かに合っていなかっただろうなぁとは感じます。

金本は2年連続の決勝進出となり、世代交代を狙った前回と違って、新日本代表として外敵を迎え撃つ立場となりました。
そして試合は、9割型ワグナーが攻める展開になります。
他団体の選手を震え上がらせた金本ですが、そんな金本自身も膝のダメージが蓄積して、決勝の時点で本調子とは程遠い状態でした。
その膝の状態は、ワグナーのロメロスペシャルを受けた時の痛みが、腕よりも膝に来る、というほど悪く、はっきり言って試合内容そのものは決して良いものとは言えませんでした。
ワグナーはそこに手を抜かず、徹底的な攻めを見せます。
雪崩式BTボムや、フィニッシャーであるみちのくドライバーⅡも2発決めるなど容赦なく攻勢にでますが、最後は金本のムーンサルトプレスからタイガースプレックス。一撃必殺に賭けた金本が大逆転でスーパージュニア初優勝となりました。
フィニッシュでは、ブリッジが利かずエビ固めに切り替えるような状況でしたが、これがかえって、極限での勝利を象徴するようなシーンでカッコよかったのを覚えています。

…と、しつこいようですがこの時期のジュニアは長州現場監督からの評価があまり高く無く、たとえベスト・オブ・ザ・スーパージュニアといえど、興行の中心には据えてもらえません。
この後もシリーズは続き、最終戦のメインイベントは藤波対橋本のIWGP王座戦。セミファイナルは武藤の膝の手術で王座返上となり空位となったIWGPタッグ王座決定戦の蝶野・天山対天龍・越中戦です。
どちらも素晴らしい試合でしたが、選手としては複雑な思いだったでしょう。
実際この頃から、ジュニア冷遇を憂うコメントが公然とされ始めるようになります。

そしてこの後は夏の札幌大会、G1クライマックス。更に大阪ドーム大会と夏の大イベントが続きますが、そこはまた次回。

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