ベランダ膝太郎

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【新日本プロレス】1998年⑨スコット・ノートンのIWGP初戴冠

【G1クライマックススペシャル】9.10〜9.23 この年のG1スペシャルは「WCWタッグ王座挑戦者決定リーグ戦」として、3チームずつ2ブロック、計6チームでWCWで行われる世界タッグ王座への挑戦者を決めるリーグ戦が行われました。 それと並行して、最終戦では蝶野の持つIWGPヘビー級王座に、同じnWoのスコット・ノートンが挑戦することが決まっておりその前哨戦(というか、同じコーナーにいながら、仲間割れとも言い切れない空気感を漂わせていました) これに関してはシリーズ中から

    • 【新日本プロレス】1998年⑧蝶野最初で最後のIWGP戴冠

      【RISING NEXT GENERATIONS IN OSAKA DOME】8.8 G1クライマックスからわずか一週間。余韻の残る中でのドーム大会。 この前年から、坂口征二によって「ドーム興行でのビッグマッチを軸にして、年間試合数を減らしていく」と宣言していたこともあり、ドームがストーリーの軸になります。 この日のメインは蝶野が藤波に挑戦するIWGP戦。蝶野は実に8度目のIWGP挑戦となります。 これまで、武藤(ムタ)、橋本とライバルである三銃士に先を越され、二人に対し

      • 【新日本プロレスの歴史】1998年⑦橋本真也、悲願のG1初制覇

        【サマーストラグル'98】6.24〜7.15 いわゆる「東北・北海道シリーズ」となるこの時期。 基本的には札幌以外で大きな試合はありませんが、ここでも天龍率いる平成維震軍が猛威をふるいます。 各大会で、nwoと6人タッグで存在感を示した天龍は、最終戦の札幌2連戦の二日目で蝶天タッグからIWGPタッグ王座を奪取。王者としてG1出場が決まります。 一方、ベルトを取られた蝶野ですが、気持ちは既にIWGPヘビー級のベルトに向いており、その前日に天山相手に防衛を果たした藤波を挑発。G

        • 【新日本プロレス】1998年⑥ 職人・保永昇男の引退とBOSJ金本初優勝

          ①バトルライン九州 4.13〜4.26 アントニオ猪木引退試合の後、最初のシリーズ。2023年の今ならビッグマッチに使うくらいの規模感の九州の体育館を片っ端から回っていく、当時の新日本の体力を感じさせてくれるシリーズでした。 この時の目玉は平成維震軍の強力な助っ人、天龍源一郎。 ほぼ越中の一枚看板だった維震軍に天龍が加わることで、一気に軍団抗争のトップに躍り出ます。 これまで、木村健悟と藤波辰爾の再合体や野良犬タッグ脱退騒動くらいしか話題に上がらなかったのに、本隊やnwoと

        【新日本プロレス】1998年⑨スコット・ノートンのIWGP初戴冠

          【新日本プロレス】1998年⑤ アントニオ猪木引退試合 後編

          カシン、西村の若い世代が意地を見せ、藤波が年齢の壁を超えてIWGP王者に返り咲き。 そしていよいよその時が来てしまう。アントニオ猪木引退試合。 藤波が退場して、暫しザワザワとする場内。 藤波勝利の余韻なのか、メインイベントへの思いなのか、場内はそのグラデーションのような複雑なザワザワに包まれました。 あんなに音量の大きな「ザワザワ」は聞いたことがない、なんとも不思議な空間。 しばらくして、ビジョンに過去の名シーンが映し出される。 タイガー・ジェット・シンへのアームブリーカ

          【新日本プロレス】1998年⑤ アントニオ猪木引退試合 後編

          【新日本プロレス】1998年④ アントニオ猪木引退試合 中編

          猪木の引退試合の相手はドン・フライに決定。 小川直也に期待がかかる中での結果で、更に試合後の態度もあって場内は大ブーイング。 ザワザワした異様な空気を引きずったまま大会は進みます。 この決勝戦から、猪木の引退試合までは、あいだに試合を3つはさみます。 IWGPジュニアヘビー、タッグ、ヘビーの三大タイトルマッチです。 ジュニアヘビー級王座戦ではケンドー・カシンが飛びつき十字でライガーをあと一歩まで追い詰め、タッグ王座戦では西村がパートナーに橋本、対戦相手に武藤・蝶野組と闘魂

          【新日本プロレス】1998年④ アントニオ猪木引退試合 中編

          【新日本プロレス】1998年③ アントニオ猪木引退試合 前編

          ・燃える闘魂・アントニオ猪木引退試合 4.4 ブシロード体制以降の新日本で「集客の計算方法を変えた」みたいなあんまりよくわからない説明をしたことがありました。 それ以降、元々は空席の目立つドームでも「観衆:40000人(満員)」とかの発表が当たり前だったのが、大っぴらに「目指せ30000人」と言い始めるようになり「30255人」とかの発表でもしっかり埋まって見えるようになったんです。 要はこの集客方法が云々っていうのは「もう新日本は観客の水増し発表をしませんよ」という宣言だ

          【新日本プロレス】1998年③ アントニオ猪木引退試合 前編

          【新日本プロレス】1998年②1.26〜3.24

          ①ファイティングスピリット'98 1.26〜2.15 猪木の引退発表後最初のシリーズ。 このシリーズの目玉はIWGP…ではなく、正規軍vs nwoの7番勝負です。 IWGPヘビー級王座戦もあるんですが、シリーズ中盤の札幌で凱旋したばかりの西村が挑戦。そのままシリーズは流れて、最終戦の日本武道館メインイベントの健介vsノートンが既に決まっているという。万が一にも西村が勝つ可能性が考慮されていない無慈悲なシリーズだったのです。 このあたり、現場監督である長州の西村に対する評

          【新日本プロレス】1998年②1.26〜3.24

          【お詫び】1週間ほど更新をお休みします

          このnoteをご覧頂いている皆様 「現時点ではただのプロレスオタク、Just 1 Guy」でおなじみのベランダ膝太郎です。 おかげさまで当初想像している以上のアクセスを頂いていて本当にありがたいです。 「スキ」で反応頂けることが、本当に励みになって毎日「今日は書くのサボろうかな…」という気持ちを引き締めて執筆を前に進めてくれます。本当にありがとうございます。 さて、そんなプロレス年表なんですが、私の本業の繁忙に入った都合から、今週は更新をおやすみさせていただきます。 次

          【お詫び】1週間ほど更新をお休みします

          【新日本プロレス】1998年① 

          nwoブームで社会現象を巻き起こした1997年。 1998年はそのブームも多少落ち着いてきて、次なる一手を模索する一年となります。 一方でオーナーである猪木の意向や、押し寄せる総合格闘技の波も無視しきれなくなってきたことで、徐々に混迷が目に見えるようになってきます。 それでも客足が遠のくのはまだまだ先。改めて、闘魂三銃士全員が当たり前のように一枚のチケットで見られる事の威力の高さを感じさせます。 ①FINAL POWER HALL in 闘強導夢 1.4 いわずもがな、長

          【新日本プロレス】1998年① 

          【新日本プロレス】1997年⑥ nwo武藤始動!

          ①nwoタイフーン 10.10〜10.31 文字通り、nwoが主役となるシリーズ。 リングもいつものブルーではなく黒を貴重としたマットカバーを使用して記念グッズも発売して徹底的にnwoをプロモーション。 このシリーズ中に平成維震軍の後藤達俊、小原道由がnwoへの寝返りを画策。維新軍のメンバーに反旗を翻します。 本家nwoであれば、来る者拒まずで有象無象を吸収していきますが。蝶野nwoジャパンは違います。二人に対して「俺たちは一流の集まりだ、お前らマイナーリーグは相手しねー

          【新日本プロレス】1997年⑥ nwo武藤始動!

          【新日本プロレス】1997年⑤健介政権の夜明け…しかしリング上の話題はnwo一色

          ①FINAL POWER HALL in YOKOHAMA 長州引退記念ツアーとして、大きな箱を次々埋めていく強気な新日本。 長州・天龍・藤波トリオの初合体、小林邦昭とタイガーキングの合体など昔からのファンにはたまらないカード編成。 長州の試合後には、前田日明がサプライズ登場して花束を渡すサプライズ。 過去の顔面襲撃事件以来となる、公の場でのコンタクトでしたが、双方満面の笑顔。長州がロープを開けてリングに通して握手を交わしたシーンが印象的。 この場には、他にもアニマル浜口

          【新日本プロレス】1997年⑤健介政権の夜明け…しかしリング上の話題はnwo一色

          【新日本プロレス】1997年④ ムタが小川の毒を浴びる!ナゴヤドームの変

          ①THE FOUR HEAVEN in NAGOYA DOME 『フォーヘブン』とは、この年にまわる4大ドーム(大阪、名古屋、福岡、東京)を指しています。 長州の引退ロードと、小川・フライらの格闘技戦、本隊とnWoの対戦を軸にカードが組まれていきますが、この日の目玉はグレート・ムタvs小川直也の異次元対決。 プロレスではよくこの「異次元対決」という言葉が使われますが、この試合を超える異次元にはもう連れて行ってもらえないでしょうね…。 とにかく、大会前から終わった後まで、話

          【新日本プロレス】1997年④ ムタが小川の毒を浴びる!ナゴヤドームの変

          【新日本プロレス】1997年③ 努力の男、健介の台頭。そしてドン・フライの登場

          ①サマーストラグル’97 このシリーズの目玉は『グレート・ムタのnWo帯同』です。 これによって、これまでドーム大会などビッグマッチにしか出てこなかったムタが地方巡業に登場するという副産物が生まれます。 そして、ムタと蝶野が同じコーナーに立つという状況もファンにとって大きなニュースでした。 実際、地方をこのコンビで回っていきますが、まさに双璧といって良い活躍を見せます。 そして、長州の引退発表により、この後のドームツアーには『FINAL POWER HALL』の副題がつく

          【新日本プロレス】1997年③ 努力の男、健介の台頭。そしてドン・フライの登場

          【新日本プロレス】1997年② 長州引退発表と全国ドームツアー

          ヘビー級はテーマが乱立。ジュニアは後世語り継がれる名勝負が誕生4月ドームの終了後、ヘビー本線はnWoが本隊を圧倒。ところが主役の橋本は小川へのリベンジに向けてシリーズ全戦を欠場。主役不在の中進むシリーズに不穏な空気を隠せません。 相変わらず猪木は小川育成に傾倒し、ヤングライオンの藤田和之も猪木サイドに帯同。少しずつ「坂口ー長州ライン」に風穴を開けようとしていたのでしょうか…。 ①STRONGSTYLE EVOLUTION in 大阪ドーム この年の目玉である『全国ドームツ

          【新日本プロレス】1997年② 長州引退発表と全国ドームツアー

          【新日本プロレス】1997年 この一年は間違いなく歴史に残る

          1997年の新日本プロレスは、大きな転換期を迎えます。 具体的には  ・小川直也デビューをきっかけとする格闘路線  ・nWoジャパンによるアメリカンプロレス路線 この2つを同時に走らせることになります。 おそらく、それぞれ違う人の思惑のバランスを取った結果こうなったんだと思いますが、それぞれどちらの路線も盛り上がりつつ両者陣営が牽制しあっている様子がそれとなく伝わり続けているのが、この年の特徴と言えるかもしれません。 まだまだそんな匂いのしなかった1.4から始まりです。

          【新日本プロレス】1997年 この一年は間違いなく歴史に残る