【新日本プロレス】1998年③ アントニオ猪木引退試合 前編

・燃える闘魂・アントニオ猪木引退試合 4.4

ブシロード体制以降の新日本で「集客の計算方法を変えた」みたいなあんまりよくわからない説明をしたことがありました。
それ以降、元々は空席の目立つドームでも「観衆:40000人(満員)」とかの発表が当たり前だったのが、大っぴらに「目指せ30000人」と言い始めるようになり「30255人」とかの発表でもしっかり埋まって見えるようになったんです。
要はこの集客方法が云々っていうのは「もう新日本は観客の水増し発表をしませんよ」という宣言だったわけです。
調子のいい時の90年代ドーム大会は60000〜65000人の発表が平均的でした。

確かに現在のドーム大会…というかコロナ禍前の「V字回復」を掲げていたときのドームを見比べても、90年代のドームはよく入っていました。1階部分のイスの密集度が今とはまるで違います。
でも、それでも恐らく6万は言い過ぎだったんだろうなぁと今は思います。
さて、そんな中で98年のヨンテンヨン。動員数発表は驚きの70000人!もちろん主催者発表としては新日本で過去最多の動員数。
いやほんとに、7万くらい入っててもおかしくないなと今見ても思うような、本当にギッシリと客席が敷かれていました。
いまでもあの時の客席の数が、実際にはいくつだったんだろう、と考えてしまいます。
※余談ですがこの後K-1 WORLD GPの決勝戦の「70200人」というちょっと悪意なのか見栄なのか、ちょっとうーんって思ってしまうような発表に塗り替えられてしまいました。

とにかくギッシリ埋まったドーム会場。すごいのはこの期に及んで猪木の引退試合の相手が決まっていないということ。
このドーム大会中に「FINAL INOKI TOURNAMENT」の準決勝以降を行い、引退試合の対戦相手を決めるということになっております。

準決勝は
小川直也vsブライアン・ジョンストン
ドン・フライvsイゴール・メインダート
で、どう控えめに見てもフライか小川だろうな、という感じでした。

当時中学生だった筆者は素直に「こんな直前まで相手が決まってないなんて、作戦が立てられなくて大変」と思ってました。
「小川との師弟対決で終わるんだろうか。フライが来ちゃったらやばいな」とも思っていた気もします。
もちろんこれは私が純朴なファンだからそう思ったんであって、一般のプロレスファンからは「まあなんやかや言って小川と戦って大団円なんだよね?」と思っていたはずです。

さて、準決勝は小川、フライが順当に勝ち上がります。

で、決勝戦の前に試合がいくつか行われましたが、正直ここに関しては猪木引退試合目当てで見に来ている人たちにとっては意識も散漫で、ずっとザワザワとしていた印象です。

そして決勝。小川対フライ。
試合前「そのグローブをチェックしろ」と警戒心を露わにする小川。
なんとなく有耶無耶にしたまま試合が始まると、試合はフライがジャブで牽制しながらタックルで倒し、そこからのグラウンドは小川が応戦して一進一退の攻防になってロープブレイク、という展開が何度か続きます。
何度目かのスタンディングでのロープブレイクの直後、抜群のタイミングで小川のSTOがきまると、慌てて距離をとるドン・フライ。
起き上がり際を狙って一気に距離を詰める小川に、フライのカウンターのフックが決まってダウン。その後、マウント殴り続けるフライをみて、セコンドの佐山聡がタオルを投げ入れ、決着となりました。
タオルを投げ込まれても、そのタオルをどかして更に殴り続けるフライに、観客からは大ブーイングが巻き起こり、小川との引退試合を期待していたファンをヒートアップさせます。
本来ならがっかり、となってもおかしくなさそうなプロレスファンをあれだけ興奮させるんですから、総合格闘技の代表のような選手なのに本当にプロレス頭があります。
まして、後に「男塾・塾長」と呼ばれるようになったことでも分かる通り、本来男気に溢れた人格者なわけで、それが超満員に膨れ上がったドームの観客全員から大ブーイングを受けるような立ち居振る舞いを見せるというのは、今考えればよほどの強メンタルでなければできません。

…というのは、後になって受けた評価であって、この当時は完全に「嫌われ者」で、試合前まで「小川が猪木超えを果たして引退かなあ、でも猪木の負ける姿を見るのは複雑だなあ」と思っていたファン気持ちは一気に「猪木、フライをぶっ倒してくれ!」という思いに傾きます。

こうした仕掛けはまさに猪木イズムというか、猪木は予定調和を予想されればされるほど、それを覆したくなる性格です。
こうなってくると「猪木が勝って終わると思うけど…これはひょっとして、フライに失神させられて引退試合が終わってしまう可能性もあるのか?」「2分くらいでボコボコにされるんじゃないか」と思ってしまって、いざ試合が始まると片時も目が離せなくなるわけです。
引退の最後の最後まで、猪木はやっぱり「自己プロデュースの天才だな」と感じてしまいます。

さてこの後、猪木の引退試合前に猪木の愛弟子が会場を大興奮させるんですが、その話はまた次回。。。

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