【新日本プロレスの歴史】1998年⑦橋本真也、悲願のG1初制覇

【サマーストラグル'98】6.24〜7.15

いわゆる「東北・北海道シリーズ」となるこの時期。
基本的には札幌以外で大きな試合はありませんが、ここでも天龍率いる平成維震軍が猛威をふるいます。
各大会で、nwoと6人タッグで存在感を示した天龍は、最終戦の札幌2連戦の二日目で蝶天タッグからIWGPタッグ王座を奪取。王者としてG1出場が決まります。
一方、ベルトを取られた蝶野ですが、気持ちは既にIWGPヘビー級のベルトに向いており、その前日に天山相手に防衛を果たした藤波を挑発。G1直後の8.8大阪ドームでのIWGP挑戦が内定します。

ちなみに、ここでの7.14札幌でのIWGP戦、勢いのある天山を相手にした藤波。本来のファイトスタイルである受けのプロレスではなく、徹底的に天山の猛攻を封じ込めてグラウンドに引き込むスタイルで戦い、完封に近い形で勝利。コンディションの良さをアピールしてG1に臨む事になりました。

【G1クライマックス’98】7.31〜8.2

この年のG1は前年と同様トーナメントで両国3連戦。
出場者人数は16名。第2回以来の最多タイ人数での開催となります。
まず話題となったのが天龍の初出場。しかも一回戦がシングル初対戦となる武藤敬司。
当然、初日のメインイベントに据えられたこの試合は、期待を超える名勝負に。
荒々しいスタイルの天龍と、華麗な武藤で果たして噛み合うのかという不安もありましたが、蓋を開けてみれば天龍の厳しい攻めを逃げずに受ける武藤が、足殺しで天龍を悶絶させつつ、ペースを握らせない。
最後の最後までどちらが勝つかわからない攻防でしたが、最後は天龍がパワーボムで3カウント。
ただこれが微妙なカウントで、動きとしてはカウント2で返していたんですが、両肩が離れておらず、3つ目のカウントが入ってしまうような形に。
カウント2で返したと思った客席は唐突なゴングにしばらくざわつきましたが、結果的にはこれが、翌年に続く『ミスタープロレス』をかけた名勝負数え唄の始まりに。
そしてもう一人、波乱を起こしたのが山崎一夫。
一回戦がIWGP王者の藤波だったが、一瞬の腕ひしぎ十字固めでギブアップ勝ち。
ベスト8に残ったのは天龍、蝶野、橋本、健介、山崎、越中、小島、安田。
実は安田の一回戦突破もそこそこの波乱ではありました(対戦相手が中堅ガイジンのビッグ・タイトンだったから勝てた、というのもありますが…)

2日目、ベスト8の対戦は
 小島vs安田:若手の出世競争
 健介vs山崎:正パートナー同士の対戦
 蝶野vs越中:事あるごとに対戦する反体制対決
 天龍vs橋本:お互いが認める「遠慮せず殴り合える」相手同士
という、どの試合もテーマの深い試合ばかり。
(小島vs安田は『ん?』と思う人もいるかもしれませんが、当時は未完の大器と呼ばれて久しい安田がいよいよ覚醒するか、と期待されていたタイミングで、一方の小島は第三世代では天山に並ぶ成長株で、ここで一歩抜け出すのでは?と予感されていたタイミングでした)

試合はどの試合も好勝負でしたが、まずはここでも山崎が波乱を起こします。
自分自身のパートナーで、前IWGP王者。この時点で押しも押されぬエースであった健介を、秘策である「膝裏へのキーロック」で下しベスト4に進出。
そして、メインでは天龍と橋本がお互いの打撃をぶつけ合う消耗戦を展開。
筆者個人としては、橋本の生涯全試合の中でも一番と言ってもいいレベルの名勝負だと思っています。
橋本は元々強さへのこだわりが強く、一つ一つの技が『硬い』ため、受け止めるには相手を選びます。
新日本の中でも真っ向から受け止められる選手は多くはいません。
闘魂三銃士の武藤や蝶野ですら、いかにいなして自分のペースで試合をするかに重きをおいていたといいます。
(よく、蝶野選手がyoutubeで当時を振り返る際に『橋本くんと試合するのは、みんな嫌いだったよね』と語っています 笑)
そんな中での天龍は橋本にとって数少ない「いくら打っても壊れない」「それ以上の力でやりかえしてくる」という絶好の相手です。
(じゃあなんで天龍は誰とでも名勝負を作り出せるのかというと、自分が攻めるのと同じだけ受けるから、というところなんでしょうね)
この試合は橋本がDDTで押し切り、3カウントを奪いましたが、試合後は両者立ち上がれないほど消耗していたのが印象的です。

かくして最終日。準決勝、決勝と連チャンで対戦する過酷な日程。
準決勝は「蝶野vs山崎」「橋本vs小島」。
準決勝第1試合はなんと山崎が蝶野から裏アキレス腱固めでギブアップを奪い決勝進出を果たします。
元々、トーナメントが始まった頃から山崎は伏兵中の伏兵で、準決勝のカードが出揃った時点でも、まさか決勝に山崎が上がってくると思ってるファンはかなり少数でした。
テレビ中継でも、思わず「蝶野ギブアップ!蝶野敗れる!」と連呼されており、山崎が勝った事よりも蝶野が負けたことで大騒ぎしているような状況でした。
一方の第2試合。こちらは橋本が強烈なDDTで小島を下します。
昨年の準決勝では天山に敗れ準決勝敗退となった橋本だけに、ここでもヒヤヒヤさせられましたが、終わってみれば完勝。
(なおこの後、小島が網膜剥離の手術を控えた状態でG1出場していた事が公表されました)
第一回から出場しつづけ、常に本命と言われ続けた橋本が、ついに優勝に大手。
大本命と超ダークホースの決勝戦は、山崎の奮闘でG1にふさわしい名勝負に。
思えば山崎こそ、UWF・Uインターでも常に2番手、3番手で大事なところを勝ちきれないプロレス人生でした。
1995年にフリーとして新日本プロレスに参戦してからも、IWGPタッグ戦線では結果を出しているもののシングルの頂点は取れず、気付けば新日本の格闘要員のような立ち位置について「陰の実力者」というイメージが定着。
強いけど、勝てない。前哨戦では勝てるけど、最終戦では勝てない。それを繰り返してきたのが山崎でした。
いつもは、蹴りを多用しながらも相手の技を受けて逆転の関節技を狙うスタイルで、実際に準決勝まではその戦法で勝ち上がってきました。
しかし、決勝の山崎は、真っ向勝負にこだわっているように見えました。
橋本のチョップや蹴りを受けても逃げずに蹴り返す。鬼気迫る表情で、体格差のある橋本と正面から戦う姿に心を打たれたファンも多かったでしょう。

一方の橋本は、山崎のローキックに苦しめられ、関節技に悶絶しながらも山崎の思いを受け止めるように真っ向から叩き潰しにいきます。
最後は、押し切った橋本がトーナメント中温存していた垂直落下式DDTで3カウント。悲願の初優勝を飾りました。

橋本にとってG1はまさに『鬼門』でした。
『G1は波乱が起きる』
『G1は本命が優勝できない』
これらのジンクスは、むしろ橋本が作り上げたものだったように思います。
第一回での蝶野の敗戦、第三回の馳戦の敗戦、第六回ではまさかの全敗、第七回では天山に敗戦。
極め付きは1995年。IWGP王者として決勝に上がってきた武藤と対峙した橋本は、ムーンサルトプレス2連発で敗戦。
30年以上たった今も語られる「IWGP王者は優勝できない」というジンクスすらも崩してしまうほど、橋本はG1に見放されていました。
ある意味で、G1で起こるドラマを主役を引き立てるのが橋本の役割だったのです。

そんな橋本なので、ダークホースである山崎との決勝戦もある意味で『これはまさかが起きるかも』と思わせる緊張感が漂っていました。
橋本自身も、そんな空気をずっと感じてたと思います。優勝が決まってからの笑顔がそれを物語っていたような気がします。

これが、橋本のプロレス人生で最大の成功にして、レスラー人生としてのピークだった…と筆者は感じています。
ここから、プロレス界に押し寄せる波、猪木や新日本の思惑全てに飲み込まれて波乱の人生を歩むことになるのでした。

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