【新日本プロレス】1998年⑤ アントニオ猪木引退試合 後編

カシン、西村の若い世代が意地を見せ、藤波が年齢の壁を超えてIWGP王者に返り咲き。
そしていよいよその時が来てしまう。アントニオ猪木引退試合。

藤波が退場して、暫しザワザワとする場内。
藤波勝利の余韻なのか、メインイベントへの思いなのか、場内はそのグラデーションのような複雑なザワザワに包まれました。
あんなに音量の大きな「ザワザワ」は聞いたことがない、なんとも不思議な空間。

しばらくして、ビジョンに過去の名シーンが映し出される。
タイガー・ジェット・シンへのアームブリーカーや、往年のジャーマンスープレックス。更には第一回IWGP決勝、ハルク・ホーガン戦のアックスボンバーで場外に吹っ飛ぶシーンまで、一つ一つのシーンで観客は大歓声。

その後登場するのが、対戦相手のドン・フライ。
これは改めて『やっぱり猪木は凄いな』と思わされたんですが、当然ながらフライには大ブーイング。
これが小川であれば「小川が猪木を乗り越えて次の主役に」と思うファンも一定数出ていたかもしれません。
しかし、勝ち上がってきたのはこの時点でプロレス界イチの嫌われ者であるフライ。
そもそも、フライは新日本のリングに上がってからほとんど負けがありません。
ファンは「フライの負ける姿が見たい!」
更に「猪木の最後の勇姿を力いっぱい応援したい」
という2つが重なり、7万人の観客が完全に一体となりました。

そういう意味で、猪木は「どうするのが、一番観客が熱狂するのか」の最適解を選んだわけです
(もちろん、猪木自身が純粋に『自分のための舞台を完璧に作り上げたい』と思っていた部分も大いにあるでしょうけど、自身の価値を正確に把握できている事もまた、猪木の才能の為せる技でしょう)

そんな猪木の入場前、最大のライバルであるモハメド・アリが入場。
パーキンソン病と戦っていたことはかねてより報道されていましたが、日本メディアの前に姿を表すのは久しぶり。その頃見ていたファンの多くは猪木−アリ戦をリアルタイムでは見ておらず、アリを文字や写真でしか知らなかったはずですが、猪木のライバルとして知られるアリの現在の姿に病の大きさを感じずにはいられませんでした。

そしてついに主役の登場。
「燃える闘魂、アントニオ猪木入場!」の田中リングアナのコールとともに、まさに地鳴りのような猪木コール。入場曲が聞こえなくなるほどの大コールに、いつもと変わらない猪木の出で立ち。
時折客席に手を挙げてアピールしながら、小走りで入場する猪木。その評定は落ち着いているように見えました。
入場時にロープを開けたのは橋本真也。笑みを堪えきれないといった表情で、恐らく生粋の猪木ファンとして引退試合の入場に携わったのは最高に嬉しかったんだろうと思います。

両者のコールを終え、試合開始。
リングの周りにはフライサイドにはブライアン・ジョンストンとブラッド・レイガンス。猪木サイドには佐山、小川。少し離れた位置に長州もいます。
テイクダウンの技術に勝るフライに対して、グラウンドでのコントロールで勝負する猪木。
関節の取り合いで優位に立つ猪木が、アキレス腱固めでフライがたまらずロープブレイク。
更に魔性のスリーパーでフライが苦悶の表情。
これまでフライは、どんな試合でも冷徹な表情で相手を殴り倒してきたので、フライの表情が崩れた事だけでも、プロレスファンには堪りません。
重ね重ね、猪木を光らせるフライの存在感が本当に素晴らしい…と、今なら思います。当時は筆者もテレビで「いけー!落とせー!!」って騒いでました。

フライは、猪木のスリーパーに対して顔面を掻きむしって解くとすぐマウントポジションを取って顔面パンチを見舞います。
改めて言いますが、フライはアルティメット最強のチャンピオンという触れ込みでやってきたエリート格闘家です。
そんなフライが、猪木にガッチリとスリーパーを極められて死にそうな表情をカメラに映され、更に顔面に爪を立ててその技を解くわけです。いま思うと、UFCを制した男にそこまでさせる猪木にも、それをしっかりやり抜くフライにも底しれぬ物を感じてしまいます。
ともかく、今まで数々の猛者を打ち破ってきたパンチの連打で、会場の歓声は一気に悲鳴と「いのきー!猪木返せー!」という声が響く。

体を入れ替えてガードポジションからのナックルパンチに移行した猪木。そのまま顔面蹴りを挟んで、ついに延髄斬りがフライの後頭部にクリーンヒット!ひときわ大きな歓声が響く。
更に、キラーとなった猪木の弓引きナックルパート二連発からコブラツイストがガッチリと決まり、フライがギブアップを申告。

試合時間4分9秒。
試合時間自体はあっという間でしたが、しっかり猪木の色の詰まった名勝負でした。
思えばこの頃は「どうせ復帰するんだろ」くらい言われてた気がしますし、実際筆者もそう思っていました。
ですが、知っての通り猪木はこのフライ戦で引退。復帰すること無くこれがラストマッチとなります。
その後は色んな人に神輿に担がれて、晩年は良いように使われて、時代に合わない発言も多く、まさしく老害扱いされていた時期があったのは確かです。
思えば、80年代のアントンハイセルに代表される、純粋であるが故のトラブルも枚挙にいとまがないですが…プロレスラー・アントニオ猪木は自分自身でまばゆい光を放つ正真正銘のスーパースターでした。

試合後は、花束贈呈にウイリアム・ルスカ、ボブ・バックランドなど往年のライバルや、長州力、先程ベルトを奪取したばかりの藤波、そして因縁浅からぬ前田日明も登壇。前田からの激励に笑顔を見せる猪木が印象的。

そして最後はモハメド・アリが再度登場。
アリから「友情を築き上げた猪木の引退が寂しい。しかし、これから同じ志をもつ者としてともに世界平和の活動をしていきたい」という主旨の手紙が読まれました。

更には古舘アナウンサーによる、魂の朗読。
正直、古舘世代ではない筆者なんかからすると少し胸焼けするような熱さでしたが、いま改めて聞くと、猪木自身のアクの強さと相まってすごく心に染みます。
これは、筆者の年齢によるものなのか、古舘アナへの印象が変わったからなのか、はたまたプロレスというもの自体の変化なのか…。
「我々は今日をもって猪木から自立しなければならない」は、当時はともかく、往年の猪木を心の拠り所としていた人がそれほどまでに多く、古舘アナ自身がそれを痛感した上での言葉だろうと思うと、本当に『刺さる』言葉のチョイスだな、と思います。

そして最後は、猪木のマイク。
『道』の朗読が有名ですが、実は結構喋っています。そして実は『道』そのものよりも、猪木の引退時の言葉として扱われているのは

私は、色紙にいつの日か『闘魂』という文字を書くようになりました。そして、ある人が『燃える闘魂』と名付けてくれました。
『闘魂』とは、己に打ち勝つこと。そして闘いを通じて、己の魂を磨いていくことだと思います。
最後に私から、皆様にメッセージを贈りたいと思います。
人は歩みを止めたときに、そして挑戦をあきらめたときに年老いていくのだと思います。

という部分だったりします。
『最後に私からメッセージを贈りたい』と言ってから、「人は歩みをやめたとき」と話始めているので、この部分からが「道」だと思ってる方も多いかもしれませんが、この部分はまだ、猪木自身の言葉です。
そして、この言葉こそが、生涯における猪木自身を表す言葉だったように思えてなりません。

ブラジル開拓に駆り出されて過酷な生活を強いられながらも、一生懸命生き抜いて家の近くで大好きな砲丸投げに打ち込んだ少年時代。
体格に勝る馬場と比較されながらも努力の末に二大エースと呼ばれるほど大活躍した日本プロレス時代。
新日本旗揚げ後も、馬場全日本との差別化のために革新的な挑戦を打ち出し続け、引退試合でも初対決の門外漢を相手に最高の試合を展開。
そしてこの後、様々批判を浴びながらも矢面に立ち続けて、命が燃え尽きる直前までYou Tubeを更新した猪木。
これこそ、猪木の言葉を本人自身が体現していた…と思います。

花道を下がって、最後の「123ダー」をファンと大合唱して大団円となったアントニオ猪木引退試合。

感動的な時間とは裏腹に、新日本プロレスはここからゆっくりと時間を掛けて、猪木イズムと時代の流れに飲み込まれて行くこととなります・・・。 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?