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怒ることで得られる安心

見守るって、すごく大事で、すごく難しいこと。

先日Xでポストした通り書きます。

怒る人は減ったが

僕が小学生の頃と比べると、怒る指導者は確かに減ったし、数年単位で見ても減りました。このこと自体は良いことだとは思っていますが、本質的な部分ではあまり改善されていないように感じます。時代背景を理由に怒っていないわけであって、怒る以外の新しい指導法が確立されてないからです。怒っちゃダメだから怒らないのではなく、より良い指導法を見つけなくてはいけません。そのために、まずは怒る指導者が減らない理由を考えていきたい。

不動の一位

何年間も不動の一位は感情的になってしまうことです。調査をしたわけではありませんが、絶対にこれだと言い切れます。「感情的になって怒った。」なんて口が裂けても言えないから、あれやこれやと理由を作りますが、本当に何かを伝えたいなら怒って伝える必要なんて無いです。どういう風に伝えればいいかわかっていない時や、何を伝えていいかわからない時に怒っちゃったりしますよね。僕も経験がありますし、本当にいけないことをした、と今はとても反省しています。

普段ののストレスを解消するために指導のフリして怒っている人も多いですが、論外だから、ここはあまり触れないでおきます。

見守ることの難しさ

感情的になって怒ることは必ず気を付けなければいけませんし、そのことは多くの方が既にわかっていると思っています。本題はここからで、それ以外にもこういった理由から怒る指導者が減らないのじゃないか、という考察です。

指導者である以上、「見守る」時間が必ず存在します。練習で取り組むことが決まってからは特に口出しすることはないからです。取り組むべきことと違うことをしていたり、意識はしているものの違うことをしている場合は何かしら言う必要はもちろんあります。しかし、基本的には何も言うことなく、練習を見守る時間帯が必ず存在します。

その見守る時間が不安な人って一定数いると思うんですね。仮にそれで結果が出なければ、ただ何もしていない人に見えてしまう可能性があります。指導者には必ず責任が伴いますから、何も結果が出なければ、もしかすると「見ているだけで何も指導していない!」のような批判だってあるかもしれません。だから、怒ることで指導者としての責任をアピールしている人もそこそこの数が存在すると感じています。

僕はこれをベースに練習を

僕は基本的に、この考え方で普段の練習に取り組んでいます。とはいえ、一年目のチームですから、ほとんど付きっきりで練習を見たいのが本心ですが、多くの部員に恵まれたことで付きっきりもできない状態です。

話を戻します。この2つの区別がきちんとできてしまえば、怒る必要なんて無くなります。問題は、この2つを区別するため、どのように指導するかですが、とにかく言語化だと思っています。誰かの役に立てればと思い、色々と発信しています。

最後に

まだまだ話したいことはあるのですが、今日はこの辺にしておきます。「怒る」に関しては色々と思うことがありますよね。
少しでも何かより良い指導法を築く中で参考になればいいと思います。お付き合いいただき、ありがとうございました。

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