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安らぎ 懐かしさ/追憶の音楽

9月にもなると15時を過ぎれば窓から入る光が夕方の色になっています。
箱から頭を出したティッシュが薄いオレンジ色に染まって、エアコンの風に揺られているのが、どこか心地よさそうに見える。

色や音、匂い、光や風。
それらは容易に記憶を呼び覚まします。

仕事や日々の暮らしの中で、嫌な思いをして傷付き、落ち込んだりしたとき、それもかなり深くそうなったとき、何も手につかず、ただただ痛みや苦しみに支配されてしまいます。

そんなときは、どんなに太陽が世界を明るく照らしていても、風が優しく樹々を揺さぶり美しい音を鳴らしていても、私の周りは灰色に染まり空間は音を失ったかのように静かで悲しいものになります。

そういう状態になると、絵を見たり、音楽を聴いたり、本を読んだりする元気すら湧いてきません。

本当は生き延びるためには、今いる場所から出ていかなくてはいけない。
暗くて静かすぎる場所にとどまり続けてはいけない。
そんなことは分かっている。
しかし、それができないほど、傷付き落ち込んでしまうときがある。

そんなとき、私をそこから連れ出してくれたのはいつも記憶だったように思います。

それは言語的に構成された具体的な思い出というよりは、断片としての記憶と、そこに付着している、ある種の情緒だと思います。

そして思い返してみると、記憶の断片を呼び覚ますのは、陽に照らされた樹々のモザイクや、風に揺れる梢の音が圧倒的に多かった。

情緒的な記憶の訪れ。

それはとても優しくて豊かな感覚です。
安らぎと懐かしさで私を包んでしまいます。
宗教的体験などではなく、それは死に近づいている心が、生き延びるため、ギリギリのところで発揮するエネルギーの働きだと思っています。

あくまでも私にとっては、ということなので、人それぞれ媒介するものは違うと思う。

そもそも私以外の人が、私と同じように、何かを触媒にして記憶を連想したりするのかはわからないし、情緒的な記憶が落ち込んだ精神を救うという体験をしているのかもわからない。

私の考えでは、美しい絵や、素晴らしい音楽、優れた文学などは、先に述べたような心のエネルギーをそこに内包している。
作り手の生命力が注ぎ込まれていて、その力が受け取る側に伝わるような気がします。

美術や音楽、文学には、自然がもたらしてくれるのと同種のエネルギーを受け手に伝える働きがあると思います。

私は自分が作る音楽にそこまでの力があるか自信がありません。
しかし、作るからにはそこを目指したいと思っています。

verde esmeralda

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