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「大谷」には龍がいた?!

WBCで大活躍の「大谷」選手。
投げてよし、打ってよしの二刀流のみならず、新たなルールまで作らせてしまうという才能と運を持つ若者。

「大谷」という名前は日本と野球の歴史に深く刻まれるに違いありません。
とはいえ、日本の歴史に「大谷」という名前が登場したのは、今回が初めてではありません。

そう、少し前の私のnoteでもご紹介させていただいた「大谷探検隊」です!
「大谷探検隊」とは、20世紀初頭に日本の浄土真宗本願寺派第22代法主・大谷光瑞(こうずい)が、中央アジアに派遣した学術探検隊。

浄土真宗は現在、真宗本願寺派(西本願寺)と真宗大谷派(東本願寺)の二つに分かれていますが、いずれも「大谷」家から法主が継承されています。

その「大谷」家は、浄土真宗の宗祖である親鸞の子孫で、「大谷」の姓は、明治時代から用いているようです。

ではなぜ「大谷」の姓を用いたのでしょうか?
わかったことは、親鸞の廟堂が京都東山知恩院北門の「大谷の地」に定められたことです。

そして、「大谷」には「豅(おおたに)」の字が充てられ、
※「豅」の読みは「ロウ」、意味は「長大な谷」、転じて「おおたに」

本願寺は「豅山」(おおたにざん)を山号とし、「豅」の字の「谷」と「龍」を分かち、龍谷山本願寺(りゅうこくざんほんがんじ)と号したそうです。

ちなみに、真宗本願寺派(西本願寺)が設立した龍谷大学の学名はここからきており、また、真宗大谷派(東本願寺)が設立した大学は大谷大学とありました。

それにしても、「大谷」という名称へのこだわりがすごくないですか?
「大谷」=「豅(おおたに)」であるならば、「『大谷』には龍がいる」とも読めますよね。

そして龍神様は古くから人々に愛され、崇拝されてきました。
あ、ひょっとして、あの「大谷」さんの大活躍の裏には、大きな龍神様がついているとか?!

いずれにしましても、ルーツを辿ることは興味深いですね。
本当の歴史はどうだったのか?

旧字体のみならず、異体字からも歴史を辿ってみるのも面白いかもしれません。

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