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つれづれ #14『モンゴルとウランのお話』

こんにちは、véritéです。
ドイツ在住時代のモンゴル人の友人とウランにまつわるお話です。

私は16年前までの7年間、ドイツの田舎町に住んでいました。
田舎町には日本人は皆無といっていいくらい出会う事はなく、街中で見かけるアジア人は中国人とトルコ人でした。

娘が生まれてから、ベビーカーをおして街中を散歩するのが日課だったのですが、ある日、娘と同じくらいのアジアとヨーロッパのダブルと思われる女の子を連れているアジア人女性をみかけました。

その国に外国人として住み、言葉の壁、手探りの育児の苦労を分かち合える友人を渇望していた私は迷わず彼女に声をかけました。

私は日本人でドイツ人の夫がいて、この町に住んでますと自己紹介。
すると彼女はモンゴル人で旦那さんはドイツ人、そして彼女の娘は私の娘より1歳年上であることがわかりました。

それからすぐに互いの家を行き来するようになり、親しい友人になりました。

それまで私はモンゴル人と触れ合う機会は皆無でしたので、彼女から聞くモンゴルの話はとても新鮮でした。

たとえばモンゴルではモンゴル語のほかに中国語とロシア語を習ったと。
また彼女の本名はとても長いためにドイツでは短い名前をつけたとか。

それから、千昌夫さんの「北国の春」を歌えたこと。「北国の春」はモンゴルの民謡にどこか似ていて親近感がわくのだとか。

ちなみに、モンゴル語は日本語と同じような構文だそうで、モンゴルの伝統的な文字は一見するとサンスクリット文字(梵字)によく似ています。

そんな彼女の出身は首都ウランバートル。

ウランバートルという地名の由来を調べてみますと、「赤い英雄」(ウラン=赤い、 バートル=英雄)という意味だそうで、1924年にモンゴ ルが独立した際に命名されたようですね。

そして「ウラン」と聞くとどうしても放射能を連想せずにいられない私ですが、モンゴルでは東部 3 県に 8 つのウラン鉱床があり、1990 年代まで旧ソ連が数か所開発採掘していたそうです。(現在はすべて閉鎖)

近年ウランの質と埋蔵量を調査する試験採掘が各地で行われ、その中でドルノゴビ県ミャグマル鉱床において、ある海外企業が試験採掘後、放射能を含む土壌をその地に放置していた例が報告されているのだとか。

しかし、鉱床近郊に住む人々には被曝の可能性について知らされていないとも...

いずれにしましても、国籍の異なる友人を持つことで、興味や関心の範囲が広がりますね。

また、未曾有の災害体験により、知識は深まり、五感が研ぎ澄まされます。「すべての経験に無駄はない」そうしみじみと感じる神無月です。

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