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だれかに責任を押し付けて、私は今日も生きている


午後


今日は午後中、noteを書いていた。
とすればかなり筆が進み、大量のストックができたのかと思われるけれどなぜか2本だけ。何をしていたんだろう。


キャラメルタルト

キャラメルが濃厚なチーズタルトを思い浮かべたら、食べて見たくなった。なので作った。

私はタルトのフィリング部分は火を通していないのが好きだ。フランス語でそういうのをなんとか、っていうんだったはずだが、知らない。


ゼラチンと牛乳、生クリームをたっぷり加えて冷蔵庫で冷やし固めるのが好きだ。固めるといっても、ババロアみたいになっちゃうんじゃなくて、とろん、とかろうじて固形になる感じ(ババロアをディスってない。ババロアは好きだ)。


アプリ


最近、ピンタレストとYouTubeとInstagramがスマホ画面の中で並んでいると、一瞬どれがどれだか全くわからなくて困るときがある。

全て全体的に赤っぽいというのもあるけれど、それを「あれ、これはなんだっけ」とかいって真剣に考えている自分もなんだか情けなくなる。


最後の人

情けないといえば、トイレにいるときトイレットペーパーで最後の人になりたくないという気持ちが私にはある。


どうしても、あの「カラカラ、あ、終わっちゃった」というのを経験したくない。
思ったより足りない、なのか、私が取り替えなきゃいけない、なのか、とにかく最後っていうのが嫌だ、なのかわからない。


とにかく、芯に紙が張り付いているような状況の時、怖くて回せないので、一度取り出して残りがどれくらいあるのか、という全体像を把握してから、だいたいその3分の2位を取る。

そして次の人が最後になる、ということでホッと一安心するのだ。


こうして人は責任を押し付け合いながら生きている。
責任というか、トイレットペーパーの芯を押し付けながら。
芯というか、最後の1、2区間を押し付けながら、私は今日も生きている。


夢を叶えたら幸せになるの?

と叫んでいる子供がいた。雪の中歩いていた。
お母さんらしき人が軽で迎えに来ていた。公園だ。
小さいニット帽をかぶっていて可愛いけど、実際家にいるとすごくおてんばで頭のいい激しい子なんじゃないかな。


高校の同級生でこんな子がいた。

すごく読書家で本に詳しい。当たり前のように、高校時代から小説家になりたいと言っていた。


私よりもずっと選ばれるようないい文章を書いていた。
今頃、どこかで文章で食べていけていることを願っている。


いろいろな人生があって、自分が叶えたいと思ったことを叶えるということだけが全てじゃないし、叶えても不幸になる人もいる。

なんでかっていうと叶えても、おそらくそこで終わりではないから。文章書いて例えば本とかを出して。それが売れたら、さらに次の文章書かなきゃいけない。そしてそれも売れなきゃいけない。文章だけじゃなくて曲とかもそう。

続かないと、続けないと。


結婚しても、まだ続きがある。玉の輿になっても続きがある。映画みたいにそこで幕が降りればいいけど、残念ながらそうじゃない。


玉の輿でも、その人ともし離婚したら?
自分は無一文に戻るのか、とか、子供育てられないとか。
そういう現実がいつも押し寄せてきていて、その波の中で生きます。


ドーナツ

夢を叶えてない私だからなんともいえないけど、まずは今を大事に出来るかどうか、というのはすごく大事かと思う。
夢を叶えたから、とかそうじゃないから、ではなく。


今、幸せじゃないなら、すごく待って莫大な幸せを得るよりも、今すぐに小さく幸せになる方法を考えたほうがいい。


何かを手に入れたら、じゃなくて、それを手に入れなくても幸せになるんです。その方法は必ずあって、よく考えれば誰でもできる。


私はドーナツを食べたりする。
ミスドに早い時間に行って、オールドファッションができたての時に食べる。


オールドファッションってできたての時に食べるとすごく美味しい。
時間がたっても美味しいんだけど、どこかギトギトっとしていて、油の匂いが強くなる。
出来立てってすごく軽い。ポテチ食べてるみたいにサクサクふわふわ食べれちゃう。いつの間にかなくなってる、重さを感じさせないおいしさだ。


それをおかわり自由のコーヒーといただく。そのあと本やで本を見て回る。

とても満たされて、幸せだなあ、と思う。


双極性になってから本はうまく読めないんだけど、本に囲まれてるのはすごく好きだ。だから、本屋には行きます。
雑誌は見なくて、文庫本とか、ハウツー本とか、啓発本とかエッセイ本みたいなところをよく見る。


何も買わずに出てきたり、何か文庫本をジャケ買いして読まなかったりする。そのあとはゆっくり町を歩いて帰ってきて、夫と家でコーヒーを飲み直して昼寝をする。


そういう日が週に1回とか、2週に1回とか。この休日の過ごし方が本当に好き。幸せを感じる。


お金がないと幸せになれないと思っていた

この話はしたいけど、今はできないかも。長くなるし、いつもそのための体力がない。眠い。またこんど。


ロック

ロックは、日常から飛び出して、あえて非日常の中に飛び込んでいくようなイメージがあるけれど、実は違うのではないか、と最近思うようになってきた。


例えば子育てなんていうのは、見ていてかなりロックな気がするし、退職とか転職とか。起業とかもかなりそう。人によるけど、私たちは日常の中にロックを見出している。それをあえて言語化している人たちが、変な革ジャンとか着たりしているから、切り離されちゃうだけだ。


なんて言っていたら、次の日の朝になっていた。今日は晴れた。

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