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おいなりさんから始まる物語

6年前、私がノルウェーに住んでいた頃の物語です。せっかくなので全てノンフィクションにしました。


とあるバーで働いていたとき、お客さんの一人と仲良くなった。その男性は、レストランを新しく始めようとしているスウェーデン人で、フュージョン料理を専門に修行を重ねてきた人だった。私がアジア人ということでオスロでは珍しく、さらに料理好きと知って名刺を渡してきた。面白い料理を紹介したかったらいつでも連絡して、ということだった。


私はその頃ちょうど、ノルウェー人の彼氏との婚約が破談になったばかりで、一体どういう顔ひっさげて日本に帰ろうかと思っていた時だった。親にも友達にも、結婚式の計画こそしていなかったものの、広く伝えていた。なんだか訳もわからず、ノルウェーを出るチケットを慌てて買った。残すところ2週間となり、一緒に暮らしていたアパートはすでに半分だけ空だった。私一人、残り半分の片付けをしなければならない。


名刺をもらった次の朝、仕事もなかったので近くの公園をうろうろする。ベンチに座り、カフェで買ったサラミとルッコラのサンドイッチをかじっていた。


2月のオスロは凍えていて、全てが白かグレーだった。黒い車が美しく見える、全てを飲み込む灰色の空だけが広がる。ふとその中を楽しそうに舞う2羽のカラスを見た。あんなに単純なことが、私たちにはできなかったんだな。


そして、残りの2週間、どうやって過ごそうか、と考えた。部屋にいるだけでは、思い出の空間に取り残されるだけでは、潰れてしまいそうな気がした。ふと、名刺の男性を思い出した。そうだ、この2週間でたくさん作って、この知らない男に日本のうまいレシピを託して出て行ってやる、と決めた。なぜかはわからないけどそうするのが正しいと確信した。


とりあえず、私が日本に帰ったらいの一番に食べたいものを作って食べさせることにした。ずっと食べたいと願っていたものを、帰る直前に作ることになるなんて皮肉だ。



おいなりさんから始まる物語


なぜ、この料理にだけ敬称がついているのか、とかつて奈良で出会ったイスラエル人に聞かれたことがある。わからない、といって大仏を見上げた。いまだにわからないまま、それを作り、甘いと言って食べている。私がこれを習ったのは調理学校でだった。以来、既製品のおいなりさんの皮は食べられなくなった。



お揚げがノルウェーに売られているのかと聞かれれば、ある。ある店にはある。それを人づてになんとか聞き出して、行けばわずかに置いてあるのみで法外に高い。たった一度作るだけだから、と言い聞かせて2袋買ったら売り切れだ。入れ違いに店に入ってきた日本人の主婦らしき女性、どうかお揚げ目当てじゃありませんように。少し悪いことをしたような気になる。こういうところでは、分け合わないと、が暗黙の了解だ。欲しくても無い場所なのだから。


帰って酢飯をたく。SUSHI RICEと大きくかかれた、わざとらしい歌舞伎のイラスト入りパッケージをひきちぎる。コメがばらばらと、こぼれ出る。炊飯器がないので鍋で炊く。酢、砂糖、塩なんかでできるから、世界中に広まったんだな、この料理は。その辺にあった雑誌で酢飯を扇ぎながら、独り言を言う。独り言が増えた。今までは独り言も聞き取って欲しくて英語で言っていたけど、今は遠慮なく日本語で話す。この街にいる誰も知らない言葉を話し、誰も知らない料理を作る。


やっぱり、と声がした。人の人生に責任なんて持てない。自分の人生でいっぱいいっぱいなのに。


バーで仕事を終えて帰ると、普段は寝ているはずの彼は起きていた。深夜2時をまわっていた。珍しいね、というとこちらを振り向く。目の周りが赤く、涙をたたえていた。そんな風でも同情はしない。これは悲しいんじゃないのだ。この男は酔っ払うとこういう表情になる。半泣きの子供みたいな情けない顔に。現に背後に2本空けられたワインボトルがあって、だから同情しなかった。


夕飯まで準備されていて、それは珍しいと驚いたけど、全て帳消しにしたい理由には決して驚かなかった。友達が多く、いい学歴からキャリアを積んで、はたから見れば成功者だった。それでも、ただ誰かのそばにいるという単純なことができない人だと知っていたから。



お揚げを半分に切って、砂糖じょうゆに浸して煮出す。煮汁がなくなるまで落し蓋をして熱し続ける。冷めたら中に軽く握った酢飯を詰めた。せっかくなので手作りしておいたガリも添えた。


このガリは彼のために作り置きしておいたものだ。どこでも手に入る生姜をスライスして、ホワイトビネガーと大量のグラニュー糖で甘く漬けたガリ。私は好きではないので、今となっては食べる人もいない。たくさん添えた。

つづく



You are better than that


隣の家にイタリア人が住んでいるのを知っていた。そしてイタリア人なら製麺機を持っているということも。チャイムを押すと在宅で仕事をしているサラという女性が出てきた。彼女に事情を説明するとすんなりとアトラスの製麺機を渡してくれた。刃の目に小麦粉が詰まる時があるの。そうしたら・・・


爪楊枝でとるから大丈夫だよ、と言いたいところだったが、爪楊枝を相手が理解するか一瞬迷った。イタリアに爪楊枝はあるのだろうか。遮ってまでいうことじゃなかったと後悔したが、サラは微笑んで、言わなくてもわかるわね。と笑った。アドリア海に浮かぶ半島にも爪楊枝はあった。


鶏ガラを買いに出かける。精肉店に行って、鳥の骨だけを買いたい、と言ったらあからさまに変な顔をされた。スープを作りたいから、というと了解したが数日かかるとぶっきらぼうに言われたので、手羽元を2kg買うことにした。この国はなぜか手羽元がものすごく安い。安いものだけ買いやがって、という顔をされた。


精肉店で愛想がいい店に当たった試しがない。殺しているからね、毎日動物を。それで売れ残るなんて気分悪さ甚だしいだろ、だからいつも不機嫌なのさ。とラースはいう。ラースはいつも私の料理を味見に来る男だった。婚約者、いや元婚約者か、と幼馴染で、私たちがこうなってしまった後にも会いにきては何か食べていく。


ラースは写真家でわたしの料理が出来上がると必ず記念写真を取りにきてくれた。こうすると、じゃあ食べてくかい、という話になるだろ。写真家やっててよかったときはだいたい記念写真さ。という。調子のいいやつである。


彼はこの家に自分のスリッパを置いている。私が一時帰国したときに買ってプレゼントしたバーガースリッパだ。ハンバーガーの形をしていて、トマト、レタス、チーズが挟まっている。肝心のパテがないけど。と嬉しそうに履いて入ってくる。


腕まくりする。ラースはカメラを取り出し、レンズをはめ、構える。小麦粉と塩を混ぜて卵黄と重曹水をゆっくり入れながらボウルの中でかき回す。まとまったら軽くこねて、あとは足で踏む。


食べ物を足で踏むやつ、初めて見たぜ。とシャッターを切っている。気が済んだところで、踏むのはラースに任せて私はスープを作っていく。煮込んだ骨からは随分なコラーゲンが出ていた。青ネギもドロドロと溶けたところで醤油、みりん、酒を入れて味を整える。最後にたっぷりのチー油で炒めたニンニク生姜を投入する。これでは味は出ないので、さらに焼豚のために作っておいた濃厚だれを加える。ようやくラーメンらしい味になってきた。


焼豚は前日に作って冷蔵庫で寝かせておいた。豚の肉塊はこの辺じゃどこでも売っている。ご丁寧にハム用のネットもつけられているので用意が済む。フォークで穴を開けタレにつけて一晩、ネットで縛って煮てからまた一晩、そして今日、タレを煮詰めてよく絡める。


焼豚を厚めに切りながら、指を舐める。濃厚な豚の、溶ける脂の味。

もうあいつのことは大丈夫なの。とラース。私は黙って指を舐める。そんなわけはないか。ため息をつくように語尾で息を吐き切る。
今オスロじゃブームでね。婚約破棄。そこら中で聞くよ、やっぱりやめた、ってさ。だいたい男だな。だらしないよな。


切る手を止めて、見る。


悪口を言う気は無いよ。俺はあいつの幼馴染で親友だからね。
両手を上げて、俺は無実だ、って顔をする。得意のポーズだ。黙っていると静かになって、ハンバーガーのレタスのところを引っ張りながら小さく言った。
あいつの自由にすればいいさ。まあ、もったいないな、とは思うけど。


腹減った。おれも。麺を茹でる。いよいよだよ、と伝えるとまたカメラだ。


いよいよ。こんな言葉が似つかわしい料理が他にあるだろうか。いよいよ、すするときだ。

つづく




自由になれたらどれだけいいか


夜中に、ニーナ・シモンのI wish I knew how it would feel to be freeを聴きながら置き手紙を描く。最終的に大家と話してこの家の鍵を渡すのは私ではなく彼だ。


楽しい旋律ならばちょっぴり悲しい曲だとしても、楽しく書ける気がする。楽しいと思える気がする。こうやって、世界に音楽があってよかった。耳がいたいほど大きな音でジャズを聴いてみる。こういう人はどういう人生を送って、どうやって毎日歌っていたんだろう。


昔はレコーディング技術もそのほどではなかっただろうに、間違えたり音を外したときにはどうしていたんだろう。人のご機嫌をとっていたのだろうか。挫折しそうになったら、なにを飲んでいたのか。人前で大きな恥をかいたら、誰のいうことを聞いていたのだろうか。死にそうなほど疲れる夜は、家に帰って一人になりたくないのに、一人な夜は。


今は、ツイッターで愚痴るとか、友達と飲みにいくとか、なんとなく予想はつく。動画を見るとか、出前取るとか。でも、この人たちはどうしていたんだろう。どうして生きていたんだろう。いなくなってしまいたいと思ったことはあるのか。それとも、死にはしないぞ、と思っていたのか。どうしていたのか、わかるなら教えてほしかった。


自由になるとはどういうものか、知ることができたらなあ。自由でない私はそう思う時があるけれど、この人みたいに歌に乗せていうこともできないし、文に書いて表すこともできない。


夜中に一人で黒ごま豆腐を作る。ただ手を動かしているだけで出来上がるこの料理は、なにも考えたくない夜に最適だ。


まずはアジアンマルクトで買った黒ごまとArrowroot flourと書かれたものを取り出す。日本で言えば葛粉だ。これを豆乳にとかす。黒ごまをプロセッサーですりつぶす。油が滲んでしっとりしてきたら、良質のごま油をちょろり垂らしてもいい。それも豆乳に溶かす。砂糖と塩で味を整えたら、かなり弱く火にかけ、鍋の中でずっと練り続ける。練って練って、疲れて諦めようかという頃にようやくねばりが出てくる。ぐいぐいと練って、粗熱が取れるまで少し置いたら容器に入れ替えて冷やす。


冷やして固まってから四角く切る時が面白い。水をためたボウルの中に大きな豆腐ごとザブン、と入れてしまうのだ。それを水の中でちょうど良い大きさに切り分ける。普通のお豆腐のように手の上で切ることなんてできない。そんな聞き分けのいいこと、このねっとり濃厚が許してくれないのだ。



名刺の男を家に呼んだ。友人をぞろぞろと連れてきて、みんなでおいなりさん、ラーメン、そして黒ごま豆腐を平らげた。ラースも呼んだ。調子に乗って、作り方のコツなんかを伝授している。俺はそばで見てたからさ。


男にいくら払えばいい、と聞かれ、お金はいらないからなにかヒントを欲しい、と言った。笑われるかと思ったが、みんな真剣に考えてくれた。ちょうどその時、一人の女性が遅れて現れた。そして言った。ヒントなら持ってるわ。ポケットからドイツ行きのオープンチケットを取り出す。これ、お礼ってことにしてよ。これをつかって。必ず何かが見つかるから。


私は翌朝、空港に向かった。荷物のほとんどは捨てて、今は空といっていいようなキャリーケースを楽々と引いている。そんな簡単なものじゃないだろう、とわかっているけれど、なにもかも剥がした身はやっぱり軽い。


空港のフロアで約束の飛行機を待つ。セキュリティーに行こうと腰を上げ、ふと自分が彼からのプレゼントを着ていることに気づいた。ジャン=ポール・ゴルチエの白いニット。相当奮発してくれた。お気に入りだった。私はそれを脱いだ。空港はニットなんかなくても十分暖かい。飛行機の中ではブランケットが山ほど用意されている。そして日本はもう、春一番が吹きはじめようとしている季節だ。


セキュリティーを抜ける。振り向くと、向こう側で警備員が声を上げている。これを落とした方はいませんか、大事なものを落としていますよ。誰か、見覚えはありませんか。手に白いニットを掲げている。
私はそれに背を向けて、ゲートに向かって歩き出した。









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