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全てを便利にすればいいという訳ではない〜お洒落なBBQと泥臭いBBQ〜


どうも、昨日考えがまとまらなくてnote書くのを放棄した快晴です。


もう季節は秋になるのに夏の風物詩のBBQを取りこぼしていたので、一昨日友達とBBQして夏の忘れ物を回収してきました。

夏の感じを味わいながらBBQを楽しみましたが、僕たちが思い描いていた「泥臭いBBQ」とは違い、「お洒落なBBQ」でした。


「お洒落なBBQ」と「泥臭いBBQ」って僕が勝手に考えたんですけど、(いい感じの呼び方募集してます)ざっくり説明するとこんな感じです。


泥臭いBBQは、マッチでダンボールに火をつけて、小枝に火をうつして、炭に火をつけようするけど、なかなかつかないから何回もやったり、うちわで扇いだり。やっと火がついたと思ったら、勢いよく燃え上がって、いつの間にか肉が真っ黒焦げになっている。食べてる時は煙を浴びないように避けながら食べる。

こんな感じのやつです。


一方、この前やったお洒落なBBQは、

ガスバーナーで炭に火がつくまで1分。火がついたらうちわで扇ぐ必要も一切必要なし。火力も一定でよっぽど放置しない限り丸焦げになるこはない。炭がいいので、煙は出ない。

こんな感じでした。



僕らが思っていたBBQとは違いました。

泥臭いBBQとお洒落なBBQの何が違ったのかというと「便利さ」です。

いつもなら苦労していた部分が便利になりました。


でも、この便利になったことで僕たちの満足度が上がったというとそうではありませんでした。

むしろ「物足りなさ」を感じました。

(思い描いていたのが違ったから)


なぜその「物足りなさ」が生まれたのか。

それは便利にすることによって「コミュニケーションの場がなくなったから」です。

泥臭いBBQは、みんなで役割分担しながら、コミュニケーションをとっていきます。

それを便利にすることでそのコミュニケーションを取る場がごっそりとなくなってしまいます。


この2つBBQを比べてわかったことは、「全てを便利にすればいいとうという訳ではない」ということです。

泥臭いBBQを楽しみたい人にとっては、不便のままでいいんです。

このような「不便であることによって発生している利益」のことを「不便益」と呼びます。

この不便益は他にもいろいろあります。
例えば、富士山の頂上まで登るのが大変だと思うから、頂上までのロープウェイを作ってしまったら、富士山に登る意味がなくなり、価値がなくなってしまいます。

現代は技術も発達してどんどん便利することができるけど、不便だからと言って便利にする必要がないケースもあるみたいです。


追伸
お洒落なBBQは準備も調理も片付けも凄く楽でめっちゃ良かったです!!


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